でこぼこのある土地に、きれいにできた足場。コンクリートに半分以下しか乗っていないパイプもありますが、力をかけてみてもびくともしません。
足場は、建物の邪魔にならないよう、でも離れすぎないよう、適切な場所につくられています。
下屋(げや)の屋根の瓦桟を打ち終えたあと、大工さんが再び足場屋さんを呼びました。
5人というこれまでの最高人数でやって来た足場屋さんたちは、二時間ほどで、下屋の屋根の上にもパイプを立てて、足場をつぎ足しました。
連係プレーで、手際のよいことに、またまた驚いてしまいました。
大工さんがいたあいだ、足場は大工さんの舞台なので、ちょっと遠慮する気持ちがありました。ところが大工さんたちが去り、やっと遠慮なく足場に上れるようになりました。
足場は、隅から隅まで、これ以上望めないほど、使いやすくできています。
室内には可動式の足場もあります。
ストッパーを外すと、軽々と動かすことができます。
この足場が、追加料金なしで使えるのは、二ヶ月だったか、三ヶ月だったか、返す前に高いところの作業を終えなくてはなりません。
どんなにきれいに組み立てても、必ず壊す足場。
その恩恵に今、どっぷりとあずかっています。
東南アジアや南アジアでは、竹の足場が、手に入りやすくて安く、軽いので運搬が楽で、強度もあるということで、いまでもよく使われています。
ネットで見つけた竹の足場(木の足場も)を転載させてもらいました。
ブログ『海外反応』から |
私は、とても怖くて歩けません。
ブログ『Meiさんのメモ帳』から |
日本での建設事故のトップは、足場から落ちるというものです。
ブログ『ちんゾウニュース』から |
竹はしなるけれど、木は大丈夫でしょうか?そんなハラハラする足場です。
わー 海外編の凄いこと、、、、
返信削除荒縄や番線ですかー
昔台湾で建物の周りに組まれた竹の足場をみてびっくりしましたが、今も健在なんですねー!
返信削除昭ちゃん
返信削除私も実際に見たときは何で結わえていたのかまで頭が回りませんでしたが、ネット見るとプラスティックの結束線を使うそうです。そんなところはしっかり現代化されているのですね。
金属の足場も、雨季などには錆びてかえって危ないから使わないという理由もあるようです。番線も、毎日のように雨に当たっていたら、錆びるのが怖いですね。
それにしても、写真で紹介した足場は全部すかすかですが、竹がびっしりと林立しているのなんて、壮観でしたよ。
タイ人を初めて日本に連れてきたとき、彼らがびっくりしたのはポンプ車でした。あれでコンクリートを高いところにも飛ばせます。1980年代のタイでは、練ったコンクリートをバケツに入れて吊り上げる風景が一般的でした。東京タワーの建設風景の映像を見ると、みんながコンクリートをネコ車に入れて、高いところを走っていましたが、ポンプ車ができたことでどんなに仕事が楽になったことか。家でもポンプ車台をケチって、ネコ車とバケツで打ったことがありましたので、身にしみて感じます。
hiyocoさん
返信削除今も竹の足場が健在かどうか、1990年代から、どこにも超高層ビルが立つようになりましたからね。高層ビルに竹の足場は合わない気もしますが、ネットで見たら、まだまだ使われていると書いてありました。
確かに、最初に竹の足場を見たときは度肝を抜かれました。でも見慣れるとそんなものだと思って。美しい足場もありましたね。
カンボジアにいたとき、大家さんが隣にビルを建てたので逐一見ていたのですが、超簡単。床のコンクリートを打つ時も、下からの支えの棒は「これでいいのか?」と思うような細いもので、床の「型」にする板と板の隙間が開いていたら、セメントの入っていた厚手のビニール袋を細く切って隙間の上に置いて、漏れないようにしていました。セメントは、練り舟なんか使わず、舗装しているところではどこでも練っていました(笑)。もちろん、バケツリレーも。
あれを見て、「私たちにも家がつくれる」と思ったことが大きかったんじゃないかと、今では思っています(笑)。
ところでその大家さん、器用な人で、頼めば家の修理などすぐしてくれるのですが、半日は役人で、あとは「絵屋」を開いて、大きなアンコールワットの絵や亡くなった人の肖像画(写真から描く)を自分でも描いていました。海外のレストランなどにはアンコールワットの絵は必ずのように掲げられているので、けっこう売れていました。ところが、元同僚がいつかプノンペンに行ったら空港で、その大家さんが入管手続き(パスポートコントロール)をやっていて、私の消息を聞いたとか、いったいどんな人だったのか、わからなくなっていました(笑)。多彩な人でした。
大家さんに大爆笑です!マンガみたい。堅い仕事とアートな仕事両方なんて、枠にとらわれてなくていいですねー。
返信削除hiyocoさん
返信削除そう、変な人でしょう。強面じゃなくて、にこにこしていて、朝は暗いうちのジョギングを欠かしませんでした。
いつも上半身裸の半ズボンで、親子四人で六畳一間みたいな、絵屋の奥の穴倉に住んでいて、煮炊きは裏の露地でやって、上の階を三部屋も貸して暮らしているんだから、たくましいことこの上なしでした。
しかし、絵はうまい!「昔の正装した王女様」みたいなのをよく描いていました。小さなモノクロの写真から、カラーの大きな絵にして!しかも、見たこともない人なのにそっくりで。
どうしているかなぁ?懐かしくなりました。