2016年5月14日土曜日

おらが村


いやはや。
ちょっとばたばた、ブログを書く暇がありません。
仕方なく、わが村の田植え前の風景でも載せておきましょう。


この写真の右手の方に我が家がありますが、水はまだ低い田んぼだけ、上の方には水が入っていません。





2 件のコメント:

  1. 門外漢ですが戦後九州にきてから農業の変遷を見てきました。
    昭和30年代ごろまでは「ちっこさん・筑後さん」と呼ばれる
    田植え専門のねえさんたちが田圃に並ぶ風景でした。
     当時見たイタリア映画Riso amaro邦名「にがい米」が
    同じような風景に驚きました。ストリーは別にして、、、、
     その後の盛衰は私の働いた炭鉱と同じような流れかな、
    不作なら、すべてが輸入で補う時代ですね。
    (私の独断と偏見で)

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  2. 昭ちゃん
    私も本で絣の着物の早苗娘たちを見て、それが昭和30年代なので驚いたことがありました。
    水田はあっても、今では人の働く姿がほとんど見えません。この15年でも変わっています。個人で耕作をやっていた人が減り、水稲組合の請負が多くなりました。でもこの村はしっかりした水稲組合があるのだけれど、ないところでは大きな農家が請け負っているようです。
    昭ちゃん、不作はそうありませんよ。早生にして短い時間で収穫するし、あの1993年だったかの不作以来、ササニシキが廃れて、コシヒカリなどが全盛、お米離れも進んでいますから。でもパン材料の小麦の多くは輸入ですから、他の国頼みではありますが。

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