2016年9月16日金曜日

スウェーデンの保存容器に思う


スウェーデンの磁器の保存容器です。
端正な姿。あいまいさがありません。


蓋を嵌めるところは削ってありますが、内側全体にも、まんべんなく釉薬がかかっていて、色や香りが移りにくく、洗いやすくできています。


かっちりした姿でありながら、蓋のつまみは厚ぼったく、しかもまっすぐにつくらないでゆがんでいます。これが緊張感を緩めて、全体を温かいものにしています。
つまみのおおらかさに対比して、蓋の形は正円で、エッジがぴんと尖っています。


蓋の内側にも釉がかかっています。
 

ちょっと形が似ているのは、デンマークの保存ビンです。
どちらも、渾身の力を込めてつくられているようで、見ていると、なんていうか、社会全体のありようまで考えてしまいます。

母の住んでいるあたり、東京郊外ですが、一軒の家が売りに出されると、必ず細分化されて数軒の家が建ちます。都会では、どこでも道路が広げられ、広い道路に面しては高い建物が建てられるのが当たり前で、道路の両側にまるで屏風のように建物が並びます。仕方がないどころか、それでいいと考えている人がたくさんいるからだと思います。

つくばに住んでいたとき科学博がありました。
我が家(借家)の前は行きどまりというか、鍵型に曲がった道路で、人通りも少ないものでした。ところが、幹線道路まで道をつなげる工事がはじまりました。予定地でもないのに何故とたずねると、田んぼなので道が通しやすいからだと説明されました。抗議しても、「便利になるのでいいでしょう」と、あきれられただけでした。
すべてに、「とりあえず用さえたせば、便利であれば、儲かれば」という思想が流れている気がします。

昨年デンマークに行ったとき、ドイツ、ソヴィエトという大国にはさまれて第二次大戦中翻弄されたデンマークが、翻弄されないような国になろうと、湿地を農地に変えた場所を見ました。鳥のための湿地は、ちゃんと残してありましたが。
やはり戦後、日本はやはり翻弄されない国になろうと、外国頼みの経済大国になる道を選びました。何か起こったときには、金にものを言わせて生き延びよういうわけで、自立とは正反対の道です。

また、デンマークは、第二次大戦後、電信柱をなくして、すべてを地下に埋める道を選んでいますが、日本はそんなことは気にしていません。身の回りの汚さは受け入れ、ときおり海外や日本の景勝地と言われる場所や自然の多いところを訪れて、美しさに触れてエネルギーを蓄え、また汚いところで頑張るのです。

北欧の美しいものたちを見ていると、身近で一番充足する、その日その日をないがしろにしない、そんな生活が見えてきます。








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