三、四年前、突発性難聴になったとき、病院に行くと、
「すぐ入院して、一週間ほどステロイド漬けにするとよくなる」
と勧められました。
ステロイドと聞いた夫は、
「ちょっと、考えさせてほしい」
と、言って帰り、そのまま入院はしなかったので、耳は聞こえにくくなったままになりました。
その後も、もう一方の耳がやはりある日突然聞こえ難くなり、両耳とも症状が進んだりして、私は日増しに声を張り上げる生活となりました。デリカシーも何もあったものではありません。
人が来たのを、遠くにいる夫に知らせたいとき、私が、
「おぉい」
と呼ぶと、たいてい笑われたり、あきれられたり、心の中で「ひどい人だ」と思われたりしてしまいます。
でも、夫の耳が悪くなってから、私は深遠な事実を発見したのです。どんな言葉より、名前を呼んだりするより、
「おぉい」
が、一番聞こえやすいのです。
さて、気になっていた、耳守神社に寄ってみました。
耳守神社は、人家の途絶えた畑の中の丘の上にあり、静寂に包まれていました。
足の悪い人がお参りする足尾山神社が、足の悪い人はとても登れないような山の頂上にあるのと比べると、耳守神社は石段を数十段登るだけで、お参りできます。
竹が用意してあるのかと思っていたけれど、竹は自分で持ってこなくてはならないようでした。
いろいろなお願いのある中で、
お礼の書かれたものもあり、希望が持てます。
夫は、この一月ほど補聴器を試していて、いろいろ試したり、調節したりして、やっと買いました。
補聴器の調整に、何度か足を運んでくださった男性は、いつも普通の声で穏やかに話されました。補聴器をしているとはいえ、あれが全部夫に聞こえて普通に会話しているのに、どうして、補聴器をつけていても他の人の声は聞こえないのか、不思議に思えるほどでした。
さて、私はこれから、一日中声を張り上げて、怒鳴っていなくてもすむでしょうか?
補聴器が順調に働いて、耳守神社のお加護もありますよう、願うばかりです。
私も子供の頃からの耳鳴りと炭鉱の騒音で難聴です。
返信削除もう補聴器のボリュウムを上げても無理ですね。
一番困るのは病院の支払いですが姉ちゃんも知っているので
こちらを向いてにっこり知らせてくれます。
聞きやすい声と分かりにくい声がありますので
ゆっくりな会話がいいですよ。
昭ちゃん
返信削除そう、高い声が聴きやすい人もいれば、低い声が聴きやすい人もいるそうですね。
でも、耳が悪いと、都合の悪い話は聞こえないふりをすればいいので、便利です(笑)。本人が聞こえないことを気にするのは集会の時ぐらい、日常では、大きな声を張り上げなくてはならない周りの方が苦労(?)します。
聴力がある間は耳鳴りがセミの声のように
返信削除絶えづ聞こえましたが、
今は治ったのではなく聞こえなくなったのです。
もう年だからいいかっ!
昭ちゃん
返信削除えええぇっ、ずっと耳鳴りですか。辛かったですね。難聴の方がまだ辛くないような、人間はいろいろな目に遭いますね。
ご近所の製材所の社長さんも耳が遠いのですが、いつも耳元で大きな音を聞いていたからとおっしゃっています。
いつも声を張り上げているので、他の人が来て、普通の声でぼそっと話しても通じると、何か信じられないような気がしたりします(笑)。こんなガサツな私に誰がした?(爆笑)。
耳守神社って、小説にでも出てきそうな名前ですね。
返信削除絵馬じゃなくて、こんなふうに竹に名前や願いを書いて下げるのは
はじめて見ました。
細いのは普通にその辺にある篠竹ですよね?
こうして、まわりにあるものを元々は使っていたんだろうな。。。と
思うと、白樺の浮きもそうだけど、人々の暮しが垣間見えるようでほっと
します。
私たちのお餅つきの竹の容れ物もお正月っぽくて、ひとにあげる時に
ことのほか喜ばれます。
kuskusさん
返信削除入り口に「〇〇一社」だったか、「一社○○」だったか、彫った石が立っていたので、全国で耳の神さまは小美玉(と言っても355の行方に行く方)にしかないのかもしれません。
どうして、竹に願い事を書いて結ぶようになったのでしょうね?耳の悪い母が入院していたとき、看護婦さんが短いホースを用意してくれてそれを母の耳にあてて話すとよく聞こえました。竹筒を使って話してみたことから、竹を奉納するのかもしれません。まさか糸電話由来じゃないでしょうね?(笑)。
賽銭箱もなくて、ただでお願いするのも申し訳ないかと、社殿にコイン(ほんの些少ですが)を投げ込みました(笑)。近所の孟宗竹も真竹も顧みられないのが残念です。