帰りがけに、軒下に置いてある籠玉を見て、これは何かと訊かれたことから、こいのぼりの竿の先につけるものの話になりました。
「ばんばさんのところは、矢羽ですか?それとも籠玉?」
確か、茨城県周辺のご出身です。
「こいのぼりは、一度も立てたことがない」
「えっ、そうなんですか?」
「立てちゃいけないんだ」
「えぇぇぇ!」
なんと、ばんばさんは、栃木県小山の生まれで、高椅神社(たかはしじんじゃ)の氏子だったのです。
高椅神社は、648年(天武天皇の十二年)に現在地に神社を建てたという古社で、1029年(後一條天皇の長元二年)に、社域に井戸を掘ったところ、大きな鯉が出ました。奇異なことなので、ときの神主が都に参上して、その由を奏上したところ、天皇は、まことに霊異なこととおぼしめされ、「日本一社禁鯉宮」の勅願をさずけたそうです。
それ以来、高椅神社の氏子は鯉を食べることだけでなく、鯉の絵のついた器の使用なども禁じられ、今日までこれを侵す者はなく、鯉を食べないことはもちろん、五月の鯉のぼりも立てない風習が続いてきたのだそうです。
すごいと思うけれど、鯉を食べないのはいいとして、どうして鯉を愛でるこいのぼりもだめなのでしょう?
さて、話は変わって、八郷には犬供養と言われる、子孫繁栄を願う、女性たちによる信仰が、今も続けられている集落が、私の知る限り二か所あります。
これまでは、よく手入れされた石像群の前に、立てた三又がたくさん残されていたのですが、一月にその前を通ったら、すべて取り去られてしまっていました。
これまでに、一度もなかったことです。
新しい三又は、毎年二月に立てられます。
節分(小正月)が過ぎてから行ってみると、残念ながら三又は立っていませんでした。
その日、やはり犬供養の三又を立てる、、もう一か所の三叉路には、新しい三又が立てられていたというのに.....。
ばんばさんとこいのぼりの話をしたとき、なぜか、地域の信仰である犬供養のことを思い出していました。そして、もう一度確かめたくなり、その足で石像のある三叉路に行ってみました。
もう、二月も半ばを過ぎていました。
ほとんどあきらめていたのに、ありました。
新しい三又が立っていました!
他人事ながら嬉しくて、なんだか笑がこみ上げてきました。
三又も、とってもきれいなものでした。
小正月過ぎには立っていた、もう一か所の三叉路です。
新しい三又は、枝を、申し訳程度に削ったもの、もう一か所に比べるとおざなり感がただよいます。
ここは荒れた土地で、左手には選挙候補者の大きな看板まで立っています。すでに火の見櫓が立っていますが、こんな神聖なところに恐れ多くも選挙の看板など立てたら、きっと当選はしないでしょう。
よく見ると、まわりには、古い三又が、打ち捨てられています。
古いのが転がっているだけでなく、根元からぽっきりと切り取られたようなのも見えます。
新しく立てたのが倒れて、草に覆われる日も遠くなさそうです。
それにしても、もう一か所が続いていてよかったなぁと、改めて胸をなでおろしました。
ところで、こいのぼりの靴下を買おうかどうか迷っていましたが、ばんばさんに敬意を表して、やめることにしました。
鯉を踏みつけるなんて、履くたびにばんばさんを思い出しそうですから。
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