2017年5月17日水曜日

「茨城黄色種創始記念碑」

つくばに住むN.Tさんから、最近、我が家の近くの日笠神社にある、煙草の記念碑を、わざわざ見に来たと聞きました。
「黄色種煙草の記念碑って何?」
毎日のように傍を通っている日笠神社、全然知りませんでしたが、行ってみると大きな碑が立っていました。


碑には、「茨城黄色種創始記念碑」と彫ってあります。
由来を一番よく知っているのは郵便局長さんだろうと、日笠神社のそばの郵便局をたずねてみたら、やっぱりよくご存知でした。

局長さんによると、記念碑は、戦後まもなくできたとか。
黄色種とは、今でも栽培されているアメリカから輸入された煙草で、葉が大きく、商品作物として効率的なので導入され、瞬く間に普及しました。

それ以前、八郷では煙草は栽培されていませんでした。
江戸時代から、県北で栽培されていた「水府」や、県西で栽培されていた「桐が作」は葉が小さく、自然乾燥することができましたが、黄色種、通称米葉(ベーハ)は、葉が大きい分、自然乾燥することができず、乾燥小屋をつくって密封し、薪で熱して乾燥させなくてはなりませんでした。


その煙草乾燥小屋は、今でも、八郷やその周辺のあちこちに残っています。


私たちが八郷に来た15年前に比べると、煙草栽培農家は減っていますが、まだまだ健在です。


煙草畑の多くは、ライムギの垣根に囲まれています。
ライムギの垣根は風よけか、それとも麦は甘いので虫よけか、誰かに訊いてみようと思いながら、まだ訊けずにいます。
 

黄色種、通称米葉は、播種時から収穫まで、たくさんの農薬を必要とします。
農薬は、栽培する人や近隣の人にも影響を与えますが、問題は煙になるとき、その残留農薬が発がん物質になって、煙に含まれることです。煙草を巻いている紙も、製造の過程で化学物質を使いますが、それも高温で発がん物質となり、煙には6,000種類もの発がん物質が溶け出すことになります。

健康を考えるなら、煙草そのものを標的にするより、農薬を標的にする方が妥当と思われますが、それができないのが、社会のありようかもしれません。

煙草では、鹿児島の「国府」が有名でしたが、「水府」や「桐が作」はどんな味がしたのでしょう。
いまでも、農薬を使わない煙草をキセルで吸っていたら、煙から発がん物質は検出されず、そう目の敵にされることもなかったかもしれません。








4 件のコメント:

  1. 春姐さん我が家に儀祖父が使用したキセルがあり
    がん首は灰を落すように平らですね、
    一度かっこつけて「やに下がり」に咥えてみようかな。(笑い)

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  2. 昭ちゃん
    玄関の上がり框に火鉢が置いてあって、私や祖母は畳の上に座って、客は上がり框に腰掛けて、世間話や身の上相談をしながら、自分のキセルを取り出して、煙草を吸っていました。

    父がキセルを持ったのを見たことがありませんでしたが、たぶん、全然絵にならなかったでしょうね。やっぱり、洋服では無理でしょう。昭ちゃんもきっと、着物を着て帯を締めないと絵になりませんよ(笑)。

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  3. 昔から地名を付けて呼んでいましたね、
    母の伯母は「京橋の伯母または木挽町の伯母」とか。
    長火鉢にはいつもお湯が沸き酒の燗もいつでも、
    後ろは神棚  もう銭形平次の世界でした。
    私は灰ならしで遊んでいましたよ。

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  4. 昭ちゃん
    そうでしたね。私は、「いばらきのおばあちゃん」です(笑)。

    このあたり、同姓が多いので、みんな屋号と名前で呼んでいますよ。「車のまさえちゃん」とか、「三夜のしろうちゃん」とか。
    車ってわからないでしょう?昔水車をやっていた家のことで、「一の車」とか「二の車」があります。三夜は二十三夜供養塔のわきの家です。
    みんな、八十過ぎても、「たけちゃん」、「ちよちゃん」と呼び合って可愛いですね(^^♪

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