2017年6月5日月曜日

莚(むしろ)

「一番いいのを選んでおいたから」
骨董市に行くと、まことさんが約束通りむしろを持ってきてくれていて、巻いて紐で結んでありました。
「お金はいらないよ。持ってって」
前回の時に、「一枚500円でいいから」と言われていたものです。
「そんなわけにいかないわ」
「いいんだよ」

残り二枚も、巻いて紐で結んで、近くに置いてありました。
「もっと欲しい?」
「えっ?」
「なんだったら、こっちの二枚のを持って行ってもいいよ」
「わぁ、そうしようかなぁ」
欲張りな私は、色めき立ちます。
「いいよ」
というわけで、お金を払う、要らないの押し問答の末、むしろを二枚もいただいてきてしまいました。


むしろを見て、気がつきました。
これまで、考えたことがなかったけれど、菰(こも)は、簾(すだれ)同様「編みもの」ですが、茣蓙(ござ)と莚(むしろ)は「織りもの」です。
よく似た(あるいは、まったく同じ)材料を使って、よく似た用途のためにつくるものですが、全然違うものでした。


むしろ編みは、緯糸(よこいと)に、稲わらやスゲといった短い材料をそのまま使うので、一段ごとに端の始末をしなくてはなりません。
緯糸を、一段さして筬(おさ。むしろ織りでは、筬が綜絖も兼ねている)で打って締めたら、毎回、端の経糸(たていと)に緯糸を絡めておいて、あとで切りそろえます。


もちろん、織りはじめと織り終わりの始末もします。
むしろの織り方を丁寧に紹介しているサイトがありました。動画もついていますが、二人がかりでなかなか手間のかかる作業です。
冬の農閑期の作業だったに違いありません。

ござは経糸に細い麻糸などを使い、薄く仕上げますが、むしろは厚みを出したいので、経糸には、撚って太くした縄を使っています。どちらも、緯糸をしっかり締めて、経糸が見えないようにつくるのは、織り目から、上に乗せたものがこぼれ落ちたりしないようにするためです。
一般的に、ござは囲炉裏の周りに敷いたりと室内で使い、むしろは収穫物の米、豆、雑穀などを広げて干すために屋外で使いました。


玄関に敷いてみました。弾力もあり、いい感じです。
さっそくトラがやってきました。楽しく毛づくろいしたり寝たりするのは一向にかまわないのですが、やおら爪をとぎはじめたので、せっかくのむしろが台無しになると、慌てて、仕舞ってしまいました。

ホームセンターにも、むしろを売っていますが、値段は高い上、機械で織ったのか、材料を吟味していないのか、似て非なるものです。
ネットショップでも、3,229円で売られていました。ところが、銀杏を干すために、やっとむしろを見つけて買った人の、がっかりしたレビューが載っていました。
もう、どんなにお金を出しても、質の良いむしろを手に入れることはできなくなっているのです。







4 件のコメント:

  1. なるほど、ゴザと筵の違いって経糸による厚みの違いなんですね。囲炉裏の周りに敷くなら筵の方が痛くなくてよさそうだけど。筵の厚みは風に煽られにくいのもよさそうです。ゴザだったらすぐに収穫物がばら撒かれて大惨事です。筵の端の始末がとてもきれいで屋外で使う農作業用のものとは思えません。
    前回の筵ネタの時にネットショップで見ましたが、みんな「切れ端のようなものが干しているものに混じる」とか「昼寝に使いたいのに服にいっぱい切れ端が付いて使えない。結局昔からあるもの使ってます」とかがっかりコメントがいっぱいでした。

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  2.  姐さん
    手法は異なっても古代から編むと言う作業が
    続いているのですね、
    雨降りには義父母はざつ・炭俵を編んでいました。
     炭鉱時代畳の表換えをするとママごとの座敷です。

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  3. hiyocoさん
    私も何も気がついていなかったのですが、最近『越後三面山人記』を読み返していて、
    マタギの仕事だけでなく、女たちの仕事についてもこんなに書いてあったのかと感動しているところですが、それによると囲炉裏の周りに敷いていたのは茣蓙でした。
    私の記憶でも、イグサの茣蓙を縁側に敷いたりしましたが、むしろを室内に敷くというのは見たことがありません。畳の上にむしろを敷いているのを見たのは、あの千葉での展示会が初めてでした(笑)。
    ちなみに、カンボジアにいたときは部屋付きのベッドのマットレスが柔らかすぎたのでベッドの下に押し込み、市場で買ってきたイグサの茣蓙に寝ていました。茣蓙は外では使えません。地面の凸凹を吸収しないし、おっしゃるように風ですぐ飛びます。
    乾燥機ができて、「干す」という作業がなくなったせいもありますが、むしろはもう社会からは消えています。かつては、お米と同じように稲わらもとっても大切なものだったんですがね。

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  4. 昭ちゃん
    「編む」と「織る」とを混同してはいけませんよ(笑)。まったく別な時代にまったく別な地域で始まった、完全なる「別文化」ですから。
    まあ、多くの文化で、「織る」と「編む」の両方やっていたようですが。
    米俵は、こもですから「編む」ですね。ガスが普及してからもさんまを焼いたりするのは、ベランダや庭に出した七輪だったのかしら、東京の燃料屋さんには炭俵も積んであったような記憶があります。
    畳表は「織る」です。私が小さい頃は岡山県でもイグサをつくっていました。隣家にも動力織機があったので、むしろの機械化は難しくても、茣蓙の機械化は、畳表をたくさん作るという性格上、早くから進んでいたのかもしれません。織機のある家からは、いつも「ガチャンガチャン」と聞こえてきたものでした。

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