2017年7月1日土曜日

頭陀袋


片づけをしていたら、モンの袋が出てきました。
糊で模様を描き、藍で染めてつくったもので、タイのバンコク郊外のパナッニコム難民キャンプにいた、モン人の難民が売っていたものです。

ラオスに住んでいたモン人の一部は、アメリカに利用されて、ヴェトナム戦争に巻き込まれました。ヴェトナム戦争でラオス民族戦線が勝利したのち、アメリカに加担したモンたちはラオスに留まるのが難しくなり、メコン川を渡ってタイに出てきました。1979年からのことです。
難民となった人々は、タイ北部の国境沿いの、バン・ビナイ、バン・ナムヤオ、ソプトゥアンなどの難民キャンプで、気の遠くなるような長い年月をすごしたのち、アメリカ、オーストラリア、フランスなどへの定住が決まった人たちは、バンコクに近いパナッニコムの「出国準備キャンプ」に移され、そこで、出国手続きや健康診断をするとともに、語学、職業訓練など、定住に必要な最小限を学んだ後、第三国へと旅立っていきました。


パナッニコム・キャンプは、忙しいキャンプですし、通常数か月しか滞在しないので、これは、国境添いのキャンプでつくって持ってきたか、染めていた布を運んできて、仕立てたものでしょう。

袋にするために染めた布で、肩紐にも動物が染めてあります。


この形の袋は、タイやラオスでは、定番中の定番です。
お坊さまは、袈裟と同じ山吹色や暗黄茶色の、この形の袋しか持っていません。ラオスでは、子どもたちの学校鞄として、この袋が使われています。
タイに住んでいた時は、私も使っていたし、息子たちも使っていました。


肩紐布と袋布の二枚の布だけ組み合わせてつくる、シンプルな袋ですが、大きいのでも小さいのでも、自在につくれます。
タイ北部の村では、幅が60センチもあるような大きな袋を、山地に住む人たちが、額に紐をかけて、背中に背負い、物資の輸送に使っていました。
山から、ミェンという、お茶の葉を発酵させた嗜好品などを運んできて、米や魚などと交換して山に戻るのです。
その袋は、ふもとの村に住むおばあちゃんが織って、縫って、つくっていました。


シンプルな袋だからこそ、意匠にこだわることもできて、こんな、絹の紋織の袋まであります。
もっとも、絹紐だと肩からすべって、とっても使いにくいので、お金持ちだからと贅を尽くせばそれなりの見返りがあるのではないところが、面白いところです。





13 件のコメント:

  1. 何気なく子供の頃から呼んでいる「頭陀袋・づだぶくろ」の
    起源ですね、
    有難うございます。

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  2. 「ずだ」とわ梵語からきているのかな。

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  3. おはようございます。
    そういえば、母が「ずた袋」という言葉を使っていて、なんでも詰め込める大き目布袋…という認識がありましたが、お坊さんが持っていたという、この袋から来てるのですね。初めて知りました。正式にはずだ袋という事も。
    口を絞って、絞った紐が丸い底とつながっていて、肩から掛ける巾着みたいな、船乗りさんが持ってるみたいなのもずた袋と呼んでました。

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  4. 昭ちゃん
    ずた袋(ずだ袋)って、昔の人はちょっと大きめの袋のことをこう呼んでいましたが、名前には何でも歴史が詰まっているんですね。面白いです(^^♪
    梵語(サンスクリット)のドゥータから来ているって、では布を巻いて股をくぐらせて、ズボンのようにして着るドーティーも同じ語源かな?違うかな?
    ドゥータの意味は払い落とす、棄捨だそうです。今は棄捨ではなくて、「喜捨」ですよね。アラビア語では喜捨のことは「ザカー」と言いますが、アラビア語を使っていないインドネシアでも喜捨のことをザカーと言っていました。
    言葉は、面白いです。喜捨も面白いです。

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  5. karatさん
    そう、母の世代は、ずたぶくろって言葉を普通に使っていました。
    高校生のころ、私もドンゴロス(これも死語!)に毛糸でクロスステッチしたずた袋をつくって、学校に持って行っていました。高校生って、袋物とかお財布とか、どっちでもいいものが、いろいろ欲しくて。遠足でいつも同じ袋しか持っていないと、引け目を感じたりしたものでした。だから、せっせとずた袋をつくったりして(笑)。バカでしたね。
    日本の托鉢僧が首から下げている頭陀袋と、中学生の時の肩掛けかばんはそっくりですね。東南アジアでは、お坊さまとはいろいろな交流もあったので、黄色い頭陀袋、懐かしいです。タイのお経も、もう長いこと聞いてないなぁ。聞きたいです(^^♪

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  6. ドンゴロス・筑豊ではドングロスと、
    そうゆう話が面白いですね。
     水車の周りに出来たつらら・氷柱をモガンボと
    何のことかと思いましたよ。

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  7. 昭ちゃん
    ドンゴロスは、粗い綿布(デニム)を指す英語のdungaree(ダンガリー)からの転訛ですって!
    でも、モガンボはその地方にしかない言葉で面白いですね。普通、「水車にできたつらら」と言いますものね。水車は回って当たり前なもの、つららができて困って言葉が生まれたのでしょう。
    すっかり消えていくものが言葉ですが。

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  8.  水車のしずくが飛ぶ辺りは葉っぱまで
    氷柱のようになります。
    でもそんな様子はもう見ることができない冬です。

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  9. 昭ちゃん
    水車は、燃料の要らない動力として、日本国中にあったのですね。八郷でも、水流という水流に設置されていて、みんな粉ひきに使っていたようでした。今残っているのは、杉の葉の線香をつくる家、ただ一軒だけです。

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  10. 家内の村では石灰岩を砕いて米の精米用で
    石粉と呼んでいました。
    小屋内部の装置が面白いです。

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  11. 昭ちゃん
    そうそう、お線香の杉葉を砕く水車は現役ですが、山を越えた先には、お蕎麦を粉にしている、お蕎麦屋さんの水車もあります。
    まわりはそんな、「日本昔話」の世界ですが、最近の新築家屋はたいてい〇〇ホームの文化住宅が多くなり、景色も崩れて、残念です。

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  12.  昭和初期作りの家は暑さ対策がどこでもありましたね、
    商家は別として。
    二階の掃き出し口からは涼しい風が畳の高さで流れるし
    台所は土間で空気が冷たいし日除けもあるし。
    まあ京都に行けば見られるでしょーが。
     冷暖房完備だから関係ない心配ですよね、
    でも吹き抜ける風って最高です。
    高齢者にリモコンは無理バイ。

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  13. 昭ちゃん
    うちにはエアコンはありません。田園地帯だからできることです。東京だったら無理かもしれませんね。
    もっとも、バンコクより気温が高い、連日30度を超えるプノンペンで、3年間エアコンなしで暮らしました。昔のアパートで、天井が高く、窓を開け広げることができて、扇風機だけでOKでした。職場でも私の部屋のエアコンをつけたのは、一年に数日だけでした。ここも古い邸宅で、暑さ除けはよく考えられていました。昔は生活の知恵がありましたね。

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