2017年8月10日木曜日

行ってみたかったなぁ、カメルーン

生まれて初めて日本を出て、ガーナのクマシで暮らしはじめた当初、私は時間を持て余していました。
何せ、飛行機を乗り継いで、クマシまで行くのに一週間もかかった時代ですから、別送荷物が届くには二、三か月かかり、手元には読む本もありませんでした。
住まいは、クマシの中心街から離れた、クマシ工科大学のキャンパスの中の教員宿舎だったので、気軽く町や市場をうろつくというわけにもいきません。 車が要るからとあらかじめ言われていて、夫の父に買ってもらった車を日本から送ってもらっていましたが、これも受け取るまでに時間がかかり、食料の買い出しに行くのさえ、ほかの人に誘っていただいて、やっと出かけられる状態でした。

そんなとき、夫が大学の図書館から借りて来てくれる本や、ほかの方たちの蔵書を見せていただいたり、お借りしたりするのは、大きな楽しみでした。
と言っても、もちろん絵や写真の本が中心です。


なかでも、とても気に入っていたのは、『THE HABITAT OF CAMEROUN』という本でした。
英語表記もあったようですが、カメルーンは1960年に独立するまでフランスの植民地で、本はフランス語で書かれていたと、記憶しています。


いろいろな地域の、家の実測が載っている大型本で、とくに、北部の高地の家は、興味深いものでした。
その地域にごろごろしている岩や、石をうまく配して、泥を積み上げて壁をつくり、草で屋根を葺いた家で、家の中には、ベッド、穀物倉庫、台所などがつくりつけになっていました。
たちまち、カメルーンは私のあこがれの地となりました。

今だったら、あっさりとデジカメで複写できますが、当時は日本でもまだカラーフィルムがやっと出はじめたころ、スライドフィルムはコダックかアグファしかなく、しかもフィルム自体がべらぼうに高いうえ、コダックは日本へ、アグファのフィルムはもともと現像代込みで売られていたので、ドイツへ送る以外、現像することができませんでした。
そこで、私は暇にあかせて、『THE HABITAT OF CAMEROUN』をノートに模写しはじめました。


平面図だけでなく、断面図もあって、家の様子はよくわかります。


本を丸々写そうという意気込みはよかったのですが、残念ながら、三日坊主ならぬ三枚坊主で終わってしまっています。


インクを入れたページの後には数枚、描きかけや、下書きだけのものがあります。
下書きの線がとても薄いので、たぶん、本の上にトレッシングペーパーを置いて写し、裏から鉛筆で線上を塗り、それをノートに置いてなぞったもののようです。

三枚で終わっているのは、日本からの荷物がやっと届いて、読む本が手に入ったとか、車が届いて行動範囲が広がったとかして、集中して描くよりおもしろいことが見つかったためと思われます。


本の模写は挫折しましたが、やがて、夫の休暇を利用して、何度もガーナ北部やブルギナファソ(当時のオートボルタ)に出かけて、実際に泥を積み上げた丸い家や、日干し煉瓦を積んでつくった四角い家など、いろいろ見る機会がおとずれました。
旅先で、これはと思った家に声をかけ、中を見せていただきました。
 

家の中には、ベッド、台所の竈、雑穀をつぶす臼、ときにはゲーム盤なども、土を積み上げたり削ったりしてつくりつけてあり、それはそれは、工夫に富んだ、楽しい家ばかりでした。


やがて見るだけでは満足できなくなり、何回目かの旅から、実測もさせていただきました。


小さな家からはじめましたが、


最後には、とうとう大家族の住む大きな家を実測させてもらいました。
丸い部屋は個室です。小さい子どもたちは母親と同じハット(個室)に住んでいますが、成長すると一部屋もらいます。そんなとき、壁をぶち抜いて、外へ外へと新しいハットをつくっていきます。
屋根は、ソルガムなど雑穀の茎で葺きますが、尖った部分には、雨水除けに、割れてしまった壷やヒョウタンをかぶせていて、素敵な装飾になっています。
立面図で、壁に立てかけてある長いものは、予備のソルガムの茎です。


これは、壁の外にソルガムが見えるので、雨季の写真です。
乾季にサバンナのこの辺りを訪れると、なだらかでむき出しの地形の上に、バオバブの大木や家が点々と見渡せますが、雨季に行くと景色は一変して、家も道もソルガムやミレットの畑に埋没して、視界はまったく利かなくなります。
乾季に訪ねた家を再び訪ねたいと思っても、たどり着かないことさえありました。
雨季が終わると、壁の修復がてら、樹液や泥で壁を、赤や黒に彩色します。
それはそれは美しいものでした。






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