2017年10月2日月曜日

にし阿波、山の生活

徳島に旅をして帰った次の日に、15人ほど昔の仲間たちが訪ねて来て、我が家に泊まり、昼過ぎから深夜まで、わいわいと、楽しい時を過ごしました。
次の日の日曜日は、八郷に住んでいる、やはり昔の仲間たちの家や田んぼを案内するという、ほぼ一週間の忙しかったスケジュールをこなして、まだ後片づけが残っていますが、日常を取り戻しつつあるところです。

さて、先週の水曜日から、シンポジウムに参加する夫とともに、二泊三日で徳島に行ってきました。
出発の日は、朝6時に家を出て、犬のうなぎを東京に住む息子の家に届けました。猫のトラは留守番です。
うなぎは15歳、数年前から白内障と角膜硬化で視力を失い、耳も聞こえなかったのに加えて、頼みの嗅覚も落ち、三半規管がおかしくなったのか方向感覚を失って、ときに激しくうろつきまわり、認知症も進んでいるという要介護犬なので、あらかじめ、自作の柵などは、息子の家に届けてありました。

徳島空港からは、全国からの参加者と、徳島や高知に住んでいて迎えてくださった方たちなど、同行20名ほど、マイクロバスに乗せてもらい、東西に流れる吉野川に沿って、西へと向かいました。
吉野川の支流の貞光川と交わるあたりで、その日のガイドをしてくれる、Iターン、Uターンで、農業をしたり、町おこし協力隊員になったりしている三人が加わり、剣山の山腹に点在する村々を訪ねました。
 

山腹の村々は、かつては、日照や風の動きによって、また、土地の高低差を利用して、平地の村々よりも多種類の作物が栽培でき、豊作を約束された、住みやすい地でしたが、近年は徐々に人口が減り、高齢者ばかりが住む限界集落となりつつありました。

ガイドの三人は、外の人に向けて、傾斜地の生活に学ぶエコツアーなどをしながら、なんとか生活の知恵を次世代につなげていきたいと、熱く語る方たちでした。


うちの一人Nさんは、母上がその集落の一つの出身で、自身は長野県で育ち東京で働いていたものの、思うところがあって、祖母上の住む村に入って、農業を始めた方でした。
  

傾斜地に住む知恵の一つが、石垣でした。
誰でも積むことができた石垣、崩れることがあっても、修理も自分たちの手ですることができました。


石は、「阿波青石」と呼ばれるもの、緑泥片岩(りょくでいへんがん)で、たくさんのミネラルを含んでいて、これが水に溶け、吉野川流域の土壌を豊かにしたのだそうです。
 

ほかにも知恵はいろいろあありましたが、私が面白かったのは、カヤ(すすき)の利用です。
あちこちにカヤを生やして置き、刈り取ったものは、地面に突き立てた棒の周りで保存(これをコエグロと呼ぶ)したのち、いろいろに利用します。


茅葺屋根の材料にするのはもちろん、


カヤを切ったもので地表を覆って、土壌流失を防ぎ、保水力を高め、雑草を抑え、そして、朽ちては肥料にするなど、多角的に利用しています。
古い屋根は、葺き替えたときゴミにならないで、畑の肥料にすることができました。


二つの集落で、三軒の家を訪ねたのですが、当たり前ですが、ついつい、自分の関心で眺めてしまいます。
これは、Mさんの家の、今はもう使われていないお手洗いです。


しっくい壁の明り取りが、とても粋でした。同じようなお手洗いが、たくさんありました。
 

同じく、Mさんの家の井戸、水のないところには住めませんが、先人はこうやって湧き水の出るところに居を構えたことをうかがわせる、素敵な井戸でした。
飲料用と雑利用用とあり、二つありました。







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