2017年10月7日土曜日

再考、ピッタインダウン


京都で人形師の修行をしているtopcatさんから、京都の達磨寺に奉納されている、ピッタインダウンの写真が送られてきました。
戦前のだるまというコーナーに奉納されていて、その区分は必ずしも厳密ではなさそうだったと書いてありましたが、戦前かどうかはともかくとして、古いものには間違いなさそうに見えます。現在つくられているピッタインダウンとは、全然、雰囲気が違います。
ビルマには、芝居のためのパペット(操り人形)がありますが、このピッタインダウンは、パペットのお顔に通じるものがあり、品があります。


私の持っている張り子の人形とも、二重瞼のあたり、似ているでしょうか?

先回のブログで、私はおもちゃ好きの私が見かけなかったのだから、ピッタインダウンそのものが新しいものではないかと、勝手な憶測をしましたが、topcatさんの送ってくれた二葉の写真を見ると、古くからあったものの可能性が大ではなかったかと、思うようになりました。

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私がビルマに行ったのは1981年でした。
当時、タイには国境を越えて、あるいはボートピープルとして海から、ラオス、カンボジア、ヴェトナムのインドシナ三国から戦火や弾圧を逃れた人たちが流入し、大きな国際問題になっていました。
また日本は、「金は出しても人は出さない」と非難もされていましたが、実際は、なんとか手伝えないかと、たくさんの日本人が、当座の生活費を持って駆けつけていました。
ところが、受け皿がなければ、難民キャンプに近づくことさえできません。そこで、1980年4月に、有志がバンコクでNGOを結成して国連にも登録、初の日本の国際NGOとして、難民キャンプで働くことができるようになったのです。

当時、日本から来た人は、二年で千人を数えました。休暇などを利用していて、数週間だけ来る人もいましたが、長期滞在して、活動を続けた人もいました。しかし彼らには、3か月の観光ビザしか出なかったので、3か月を超える人は、陸路でマレーシアのペナンへ、新たにビザを取るために出かけなくてはなりませんでした。列車旅は時間がかかりましたが、一番安上がりでした。
中には、何度かペナンに出て、たまには別の場所にも行きたいと思う人もいました。そんなHさんが、TさんとSさんを誘ってビルマに行き、ついでに行けるところをめぐってくるというので、家族でバンコクに住んでいて、ビザの心配が全くなかった私も、同行させてもらうことにして、ビルマに行ったのでした。

当時、ビルマは鎖国状態で、行きにくいところでした。
しかし、ビルマ政府としても外貨(米ドル)が欲しいので、一週間の観光客だけ受け入れていました。観光客が行けるところは、ラングーン、マンダレー、マンダレーの北のメイミョー、パガン、ペグーだけで、南や田舎の村などには、一切行くことができませんでした。
入国すると、使おうと使わまいと、200ドル(だったか、もっとだったか?)をビルマ通貨に両替させられました。そして、通帳をもらって、行く先々で、いくら使ったか各地にある「観光案内所」に申告してサインをもらわなくてはなりません。
当局は、人々に闇で外貨が渡ることを嫌ったのです。
私たちは、ペグー以外のすべてに行くことにしました。

バンコクからラングーンへの飛行機は小さなものでしたが、それに乗ってラングーンに着いた観光客は、だいたい同じような旅程を取りました。多くは、ヨーロッパから休暇を利用して遊びに来た、バックパッカーたちでした。
交通機関も、宿泊所も足りなめだったので、どこに着いても、急いで次の目的地に行く切符を手に入れ、泊まる宿を見つけなくては、一週間以内に旅が完結しません。

私たち四人は、最初はそんなこととは知らず、ラングーンの宿を探しているうちに、ラングーンからマンダレーへの飛行機の席を逃してしまいました。仕方なく時間のかかる列車で移動しましたが、この教訓を生かして、マンダレーに着くとすぐに「観光案内所」に駆け込み、次の切符を取る者、宿をさがす者、荷物を見ているものの三手に分かれて行動しました。目的地に着くたびに、「観光案内所」をめがけて、一番乗りしようと走るのです。この手はとても有効でした。
例えば、マンダレーからパガンへは、飛行機だと確か30分くらいでしたが、船でイラワディ川を行くと、一昼夜かかりました。
船旅も魅力的ですが、なにせ時間は一週間しかないのです。

ビルマ国内を旅して面白かったのは、飛行機も列車も、通路を挟んで観光客は片側にしか座らせないということでした。
ただでさえ少ない交通機関を、観光客がビルマ人から奪ったりはしないよう、配慮されていたのでした。


そんな状況でしたから、私が行ったのは「点」でしかありませんでした。行かなかった場所に、ピッタインダウンがあって不思議ではありません。
当時はある地域でしか、ピッタインダウンは、見られなかったのかもしれません。


とすると、このピッタインダウンの型の古さが、うなずけます。

現在では、ピッタインダウンは、ビルマ国内のどこでも売っているようです。
ラングーンのスーレーパゴダにもあるし、パガン近郊のポッパ山で、たくさん見られるそうです。
そして、ビルマ随一のキャラクターでもあるようです。








2 件のコメント:

  1. 前回のピッタインダウンの写真を見て、うわぁー!!!…。と思ったのですが、今回の古いピッタインダウンさんは確かに品があって、いいですね…(^^;)。
    ビルマの旅の話面白いです。バイタリティーありますね…いろいろな経験なさったのですね。

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  2. karatさん
    私も、達磨寺のピッタインダウンを見て、がぜん興味がわきました。

    旅の話、喜んでいただいてありがとうございます。あの時は泊った宿は、教室のような部屋にシーツのカーテンを下げてたくさんの簡易ベッドを置いたところ、竹のパネルを貼っただけの宿、極め付きは避暑地の古い洋館で、雨が漏っているのかベッドがじっとりと濡れていて、一晩中、ほとんど眠れませんでした。
    昔のインドやビルマの安宿は最高でした(笑)。もう、ないかもしれません。

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