お客さんを迎えたとき、まずはビンロウを噛む道具と材料一式を差し出して、くつろいでもらうのが、最大のおもてなしだった地域も、たくさんありました。
数年前に、150年ほど前の時代を舞台にしたタイ映画を見ましたが、美男美女の若夫婦の口が、キンマーで真っ赤で、
「ここまで忠実に時代考証しているのか!」
と驚いたものでした。日本の時代劇には、鉄漿(おはぐろ)をして眉を剃った女性など、絶対に出てきません。
タイでは、かつては男女とも、若いときからビンロウの実を噛んでいたのです。
A Potato in a Rice Fieldより |
でも、私が知っている1980年以降のタイでは、ビンロウを噛むのは、田舎に住む、年を重ねた女性だけでした。おそらく、男性は早い時期に、もっと刺激の強い紙巻きたばこに、嗜好品を代えたのでしょう。ビンロウを長年噛み続けると、口の中が赤く染まってしまいますが、赤い口をした男性はほとんど見ませんでした。
同上 |
タイ各地では、ちょっと大きな市場なら、ビンロウの実が売られています。
このビンロウ売りの女性も、今まさにビンロウを噛んでいるところというか、噛む人たちは、間断なく、一日中噛んでいます。
1981年にビルマに行ったとき、タイと違って、若い男性がビンロウを噛んでいるのが、新鮮でした。
当時、ビルマの男性は、私の見た限り、飛行機の操縦士以外、バスやタクシーの運転手も、空港職員などの公務員も、すべてロンジー(腰巻)を身につけていました。そして、通りを歩く男たちはたいていビンロウを噛んでいました。
彼らはときおり、歩きながら、おへその前でねじって留めてあるロンジーを解き、左右にぴんと引っ張って、パタパタと締めなおします。
その、ロンジーを締めなおす姿と、ビンロウのかすをペッと吐き出しながら歩いている姿が、ビルマの、いわば第一印象でした。
同上 |
これは、一番上の写真の女性の、キンマー道具や材料を入れている籠です。
女性たちは、専用の箱や籠にビンロウ一式を入れて、いつも手元に置いています。
籠が、ココヤシの葉脈で編んだたぶん自作の籠であることから、 東北のブリラム県あたりのものと思われます。
籠には、プラスティック容器に入れた石灰、ビニール袋に入れた刻み煙草とともに、ナイフや鋏が入っています。鋏は1990年くらいまでは、荒物屋で普通に売っていた、ビンロウを切るための鋏(カッター)です。今も売っているかもしれません。
前置きが長くなりました。
いつもは眺めて楽しむだけの骨董アンタイディーのブログで、タイで買いつけてきたという、ビンロウを切る鋏が紹介されていました。
しかも嬉しいことに、私が買える値段でした。
ビンロウの鋏には、地域色があります。
この形は、インドの形です。
上の写真で鋏の下に敷いているのは、インドの刺繍カンタの絵葉書ですが、このカンタにはビンロウの鋏が刺繍されているのです。
インドスタイルではあるものの、柄の先端は、タイのビンロウの鋏と同じように、優雅に平らになっています。
そのため、とても柔らかな印象になっています。
開いた姿も、なかなか優雅です。
以前、ビンロウの鋏をUPしたとき、フィリピンのビンロウの鋏は見たことがない、フィリピンには特別なビンロウの鋏がないのだろうかと書きました。
すると、フィリピン人のエルマーが、
「フィリピンにも、鋏があるよ」
と、情報を寄せてくれました。
その、フィリピンの、ビンロウを切る鋏です。
握るところが普通の鋏のような、何とも素敵な鋏です。
この記事には、この写真のほかに、ビンロウにまつわる道具の写真もいろいろ載っていましたが、植民地支配が長く続いて、都市部では早くにビンロウを噛む習慣は途絶えてしまったであろうフィリピンだからか、ほかの国でつくられたような道具ばかりでした。
その記事に載っていたビンロウの鋏には、おもしろいことにkalukataという名前がついていました。カルカッタ(現在のコルカタ)から来たものという意味だったのでしょうか?
とすると、その上の写真の、普通の鋏型の持ち手のビンロウ鋏も、もしかしたらフィリピン独自のものではないのかもしれません。
ついでに、他のビンロウの鋏の写真も載せてみます。
まるでワヤン(影絵芝居)の人形を見るような形の鋏は、インドネシアのものに違いないと思ったのですが、一緒に噛むものとして、ナツメグやカルダモンが見えているので、わからなくなりました。
写真の出所では、どこと特定しようがなかったのですが、もしかしたら、これもインドのものかもしれません。
下に敷いてある布は、マドラスチェックのようだし。
ビンロウの鋏と一緒に、タイのビンロウのナイフも手に入れました。
ずんぐりしたナイフで、背が大きく張り出て、幅広になっています。
ビンロウは、輪切りにしたり、くし形に切ったりといろいろですが、ビンロウの鋏だけでなく、三枚目の写真にあるように、ナイフも使います。
『THAI FORMS』には、ビンロウのナイフがいくつか、載っていました。
象牙の柄のものなど、かつては上流階級の人たちも、ビンロウの実に親しんでいたことがよくわかる、豪華なナイフばかりです。
この反りのおかげで、ナイフは具合よく、手に収まります。
日本では、果物をむいたり切り分けたりするとき、包丁の刃を手前に向けますが、タイでは刃を向こうに向けて切ります。
玉ねぎのみじん切りも、手の中で、まな板なしでやってのけます。
インドでは、下に置いた包丁に押しつけて切るのですが、文化の違いとは、なかなか興味深いものです。
おまけです。
検索中に見つけた、結婚式の贈りものの、飾り立てたビンロウの実の写真です。器は、ビンロウの枝でつくったのかどうか、プルーの葉を、びっしりと敷き詰めています。フランス語で書かれていて、国や地域は不明です。
プルーの葉とビンロウの実の組み合わせは、お寺にお参りしたり、結婚式を執り行ったりするときの縁起物としても、タイやカンボジアでは欠かせないものでした。
春姐さん
返信削除小学校時代読んだ冒険小説にビンロウジゥの実を食べ
真っ赤な唾を吐く描写がありました。
どんな味なのですか、
味より長い間の習慣でしょーか。
昭ちゃん
返信削除そんなのを読みました?そのくらい一般的だったのですね。
まぁ、葉っぱは胡椒の葉のようなものですから、ちょっと苦い、煙草も苦い、ビンロウは生だと生臭い、乾燥していたら、木屑を噛んでいるみたい(笑)。それに石灰です。気分的には、「石灰はちょっとね」となりますね。どうして癖になるのか、不明です(笑)。
タイの北の方の人は、ビンロウがないのか、煙草の葉を塩漬けにして、発酵させたのを噛んでいました。それもちょっとね。
子供のころ、松のヤドリギの実を噛んでいましたが、そっちの方がずっといいです(笑)。どんな松にもヤドリギがついているわけじゃないから、もらって手に入れたときは、王侯貴族気分でした(^^♪
九州に来る前まで横浜の米軍基地で働きました。
返信削除G,I,がくちゃくちゃ噛みタバコをところ構わず
吐き出していましたあれも強烈でしたよ、
チュウブ入りの歯磨きは美味しかったなー
ワイルド&ハングリーの時代でした。(笑い)
昭ちゃん
返信削除しばらく前にラジオで、疎開していて戦争孤児になった人の話を聞きました。戦争孤児はやくざに働かされたりして大変だったんだけれど、食べるものがなくてお腹がすいて、みんな、柔らかいものが他にはないからと新聞紙を拾って水に浸して食べて、死んでいったそうです。
それに比べたら、歯磨き粉を食べた昭ちゃんはよかったですね。
1980年代、ラオスやヴェトナムで屋台でおそばを食べ終わったら、周りにいる子供が、わっとどんぶりに残った汁を飲みに来ました。ひもじいのはつらいですね。
姐さん
返信削除汚いとか臭いとかはまだ飢えには入りません
考える前に手が先にでます。
池袋や上野の浮浪者と一杯飲んで話ましたが、
歓楽街のゴミには食べられる物が一杯です。
上野の地下通路には浮浪者が死んでいました。
(昭和20年9月)
昭ちゃん
返信削除誰でも衣食足りたら優しくならなくてはいけませんね。
私、アンマンの町のコーヒースタンドで、スーダンからの難民にコーヒーをごちそうになったことがあります。そんな状況になったときは私がおごるものと思っていたので、とっても嬉しかったです(^^♪
キンマ(プルー)はつる植物なんですね!ベトナムにはビンロウとキンマと石灰の昔話があるようです。最後の写真はベトナムっぽいかも。
返信削除https://vietnameselanguage.wordpress.com/2010/12/13/trau-cau-the-betal-and-areca-tree/
hiyocoさん
返信削除いつも、情報ありがとう。読んでみました。
私がおまけにつけた写真は、ヴェトナムのものに違いないですね。物語は可笑しい!双子のどちらか区別がつかないのに、兄を好きになるってどういうことだろう?笑。
でも、結婚式の飾りものには石灰を加えてないから、弟はちょっと除け者ですかね。それとも、私のおまけの写真、ビンに入っているのは聖水だと思っていたけれど、石灰を溶かしたものだったりして。噛むと赤くなるのが、「血」を意味しているという節も面白いです。不思議ですものね。
そう、プルーも胡椒も蔓です。プルーは、タイ東北では、出入り口のすぐそばに一本、ほかの木や柱などに絡ませて植えている家が多かったです。手を伸ばせば新鮮な葉が採れますから。最初は胡椒を植えているのかと思ったのですが、胡椒は畑に植えています。胡椒の青い実を使う料理もありますが、山椒の実の嫌いなhiyocoさんは、好きにはならないでしょうね(笑)。