2017年12月17日日曜日
最近読んだ本
『木のいのち・木のこころ・地』(小川三夫著、草思社、1993年)は、『木のいのち・木のこころ・天』(西岡常一、1993年)、『木のいのち・木のこころ・人』(塩野米松、1994年)の三部作の一つです。いまは、この三冊をまとめた文庫本も出ています。
日本最後(ということは世界最後)の寺つきの大工であった法隆寺大工の西岡常一が、1300年にわたる古建築の技と知恵を語ったのが『天』の篇。そして西岡の唯一の弟子である小川三夫が、技を継承する立場から、師である西岡常一や宮大工の未来を語ったのが『地』の篇。そして『人』の篇は、小川が主宰する工人集団の「鵤工舎(いかるがこうしゃ)」に集う若者たち19人へのインタビューを中心に、伝統の技術が新しい世代へといかに受け継がれているかを追った、ドキュメントになっています。
『木のいのち・木のこころ・天』はずいぶん前に読んだことがあったのですが、『木のいのち・木のこころ・地』は初めて、古本屋さんで出逢いました。
寝る前にちょっと読むつもりが、一気に読んでしまいました。おもしろかった。自分の若いころは、なんてぼんやり生きていたんだろうと、思い知らされるような本でした。
銀行員の家庭に育った小川さんは、修学旅行で法隆寺を見て圧倒され、こんなのをつくれる大工になりたいと、卒業を前に法隆寺を訪れ、西岡さんにお会いすることができました。
当時、寺つき大工の生活は厳しいもので、修復の仕事もなく、西岡さんの家族は先祖から受け継いだ田畑を売って糊口をしのぐ生活をしていました。小川さんの弟子にして欲しいという申し出は、宮大工は食べていけないし、技を覚えるには年を取りすぎている(当時、18歳)から、弟子にするつもりはないと断られます。
しかし、そんなことで諦めない小川さんは、まず道具を使えるようになろうと仏壇屋に徒弟で入ってかんなやノミの使い方を覚えたり、西岡さんの紹介で神社修復の図面を書く仕事をしたりしながら、宮大工への道に備えます。
やがて、西岡さんから仕事ができたので弟子にしてもいいと連絡をもらい、西岡さんの家に住み込んで、晴れて弟子になったのは、21歳のときでした。
以後、「新聞も読まず、テレビも見なくていい」と棟梁に言われ、自分を無にして、ひたすら刃物の磨き方を身体で覚え、道具の使い方も身体で覚えて、やがて棟梁となって、宮大工の生きる道を開いていくお話です。
木を知り、一つ一つ違う木を活かすことは、一人一人の違う人を生かす道でもあること、頭ではなく体で覚えることなどなど、たくさんの生き方の知恵がちりばめられている本です。
『地蔵さまと私』は、hiyocoさんが教えてくれた、最新の『たくさんのふしぎ』(福音館)で、世界の子どもたちの写真を撮っている、田沼武能さんの、お地蔵さまにまつわる行事を写した絵本です。
山形県尾花沢市北郷の地蔵転がしは、子どもたちが木のお地蔵さまをお堂から出して首に縄をつけ、集落の家々を回り、お地蔵さまにたくさん雪をつけて家の上がり框に持ち込み、「地蔵が来たぞ!」と言って、雪とともに福を運びます。
こちらは福井県小浜市西津の化粧地蔵です。
地蔵盆の行事は各地にあり、子どもたちの無病息災を祈るものですが、西津の化粧地蔵は、子どもたちがお地蔵さまを祠ごと海岸に運んで、一年の埃を洗い流し、そのあと思い思いに彩色するものです。左は1980年の写真、右は2015年の写真です。
他にも、群馬県玉村町箱石の、お地蔵さまを担いで家々を回る話など、お地蔵さまの魅力満載の絵本です。
『ばいかる丸』(柳原良平、岩崎書店、2017年)は、1965年に出版されたポニーブックスの復刻版です。和田誠、柳原良平、長新太、園山俊二、やなせたかしという、当時売れっ子のイラストレーターや漫画家が、絵だけではなく文も手掛けた絵本です。
『ばいかる丸』は、子どものころから船好きだった柳原が、大正十年に豪華客船として完成し、やがて、古ぼけた客船となって満州に商売人を運び、日中戦争後は病院船にされ、機雷に当たって船体に大穴が空き、戦後は寄宿舎になったりしたあと、捕鯨母船に改造されるという、激動の時代を見てきた実在の船を描いています。
この本が素敵なのは、2ページいっぱいに描かれたイラストが、折り目のところでもよく見えるような、特別な綴じ方をしてあること、そのため、絵の細部まで楽しむことができます。
当時は若手で、バリバリだった方たち、和田誠さんを除いて、彼岸に行ってしまわれました。
買ったんですね!お地蔵さんに服を作ってあげている春さんなのでお好きだと思いました。お地蔵さんは子供が好きだから子供になら何をされても寛容なんですね~。引きずられようとも(笑)。
返信削除宮大工など職人の方々は好きなことを仕事にしていて幸せそうです。
hiyocoさん
返信削除情報ありがとうございました。いい本でした。
確かに、お地蔵さまの首に縄をかけて雪の上を引っ張って歩くというのには驚きました。今みたいに縮み志向ではなくて、何でもやったんでしょう。そうでなかったら、各地にある裸祭りとかもなかったかもしれません。やっぱり、横綱に品格なんか求めちゃいけません(笑)。そんなことをいつまでも話題にする大人の品格を問うべきです。
そうなんです。頭じゃなくて身体が技を覚えて、しかも仕事がある、宮大工さんたちは幸せに違いありません。いつか、『人』の篇も読もうと思っています。
それにしても、法隆寺を見て、宮大工になろうと思ったとか、薬師寺の高田好胤師のガイドを聞いて、宮大工になりたいと思った子どもたちってすごいです!高田好胤師は笑わせる名物ガイドでしたが、私なんか、中学高校の修学旅行と、大学生になってからと、三度も四度も聞いて、そのたびにげらげら笑っただけで、ぼんやりしていて、恥ずかしいです(笑)。
大連の埠頭はみんなこの角度からで
返信削除五族共和の満州国の旗が見えますね、
いろいろ改装された運命の船です。
子供の頃東京湾航路
房総館山までの遊覧船「橘丸」も病院船に改良されました。
昭ちゃん
返信削除大連の埠頭も満州国の旗も知りませんでした。若いでしょう?(笑)。
もちろん、ばいかる丸も知りませんでした。この本の1965年の刊行当時、ばいかる丸は捕鯨母船となって再出発をしていますが、捕鯨も落ち目だったでしょうから、活躍は長くはなかったでしょうね。
小学生のころ、♪母なるバイカル湖よ♪なんて歌いましたが。
ソ連のカラー映画「シベリア物語」に登場する
返信削除民謡「バイカル湖のほとり」検索で聴けますよ、
好きな唄です。
わぁ、昭ちゃん
返信削除子どものころうろ覚えで歌っていたけれど、農奴制廃止と立憲君主制を求めてシベリアへ送られた政治犯たちがつくって歌い継いできた歌だったんだ!知りませんでした。
『シベリア物語』という映画も知らなかったし、勉強になりました。ロシアの合唱団が歌っているのも、日本の方が歌っているのも、とっても素敵でした。
ありがとう。