2018年1月31日水曜日

仏縁日のご馳走


先日見たラオス紹介の本には、知っているもの知らないもの、なかなか興味深い写真がいくつもありました。


その中で知らなかったもの、この色がついたライスペーパーは、何に使うのでしょう?


竹で編んだお膳の上に敷くものでした。

仏縁日に、各家庭でつくった料理をお寺に持ち寄り、小皿に分けて並べ、お坊さまに食事を差し上げたあとに、自分たちが食べる食事を用意しているところですが、その一つ一つに彩色したライスペーパーを広げています。
お膳の上にはレンゲやスプーンが見えますが、その数がお膳を囲む人数です。輪になってお膳を囲んだ人たちはこれとは別に、ご飯を盛ったお皿を各自もらって床に置き、それにお膳の上のおかずを少しずつ乗せていただきます。
おかずはたぶん、ラープやスプノーマイなどどれも辛いので、一つのお膳で5人ずつとして、この写真の食事だけで150人も食べられるというわけです。

タイやカンボジアの場合には、このように食事をいただくときは、床に茣蓙を敷いて、その上に琺瑯のお盆を置いたり、またはお皿を直接茣蓙の上に置いたりするだけで、お膳は使いません。 

さて大人数の食事会、日本だととてもこうはいきません。
日本では、ご飯と酒の肴を分けて考えることもあって、6人前用意するのと20人前用意するのでは、準備の手間が全く違ってきます。
それに比べると、何人集まってもまかないが簡単なタイ、ラオス、カンボジアがうらやましい限りです。ご飯さえ余分に炊けば、飛び入りで食客が5人や10人増えても、まったく動じません。
タイでは一家庭の米の消費量が高いと言われますが、彼らはそうやって、来るかもしれない人の分まで毎日ご飯を炊いているのです。そして誰かが来たら、まずご飯は食べたかどうか訊き、食べろと勧めます。
もし、夜になってもご飯が余ったらどうするかって?余ったら犬や猫がやっと食べもの(ただの白飯)にありつけますが、犬猫は餌にありつけない日も多いので、いつもうろうろと餌を探しています。


手持ちの紙焼き写真から仏縁日の写真を探し出すのは面倒なので、過去にUPした写真の中にないかしらと探したら、カンボジアのお寺の写真が見つかりましたが、食事が全く移っていませんでした。
しかも、白い服の女性ばかりで、まるで制服の女学生が集まっているように見えますが、カンボジアの老齢の女性は、お連れ合いがなくなると、剃髪して白い服しか身に着けない在家出家をする人が数多くいます。そんな女性たちの集まりです。

ラオスやビルマの女性は、年老いても長い髪を髷にまとめて、とくにビルマの女性は朝、採れたての生花を髪にさして優雅ですが、カンボジアの老いた女性は、10人集まると9人はくりくり坊主で、しかも歯が全部抜けている人も多く、色香も何もあったものではありません。





2018年1月30日火曜日

墨壺

 
墨壷は、大工仕事には欠かせない道具です。
かつて、墨壺なしには長い直線が引けませんでした。
使い方は、池(壺)に墨を含んだ綿を入れ、墨さしでおさえながら糸の先につけたピン(軽子、小さなキリ)をゆっくりと引っ張ると、糸車に巻き取られていた糸が壷の中を通って墨に染まりながら出てきます。そのピンを材木に刺し、ぴんと張った状態で糸をはじくと、長くて正確な直線を引くことができるのです。
コンクリートや石の上に線を引く場合、ピンは刺さらないので、一人が糸端を印上で抑え、墨壺を持ったもう一人が、糸を張ってはじきます。

こうやって遠く離れたところまで直線を引く道具は、古代エジプトで発明されましたが、墨壺、糸、糸車を一体化したのは、古代中国だったとされています。
墨壺は、日本には、中国文化とともに伝来しました。法隆寺に使われている古い木材に、墨壺を使って引いたと思われる墨線の跡があるので、七世紀ごろから使われていたようです。

正倉院の墨壷

日本に現存する最も古い墨壺は、正倉院に収蔵されているものです。
これはしかし、実際に墨壺として使われたのではなく、儀礼に使われたものだそうです。

東大寺に残されていた墨壷

こちらは、1879年(明治12年)に奈良の東大寺南大門が修復された折、その梁の上で見つかった墨壺です。大切な道具ですから忘れるはずがない、おそらく棟梁が一世一代の仕事をなしとげ、その証として、自分の代わりに墨壺にこの門を守り続けて欲しいとの願いを込めて、わざと置いてきたのではないかと推測されています。
鎌倉時代の、木匠を描いた絵に出てくる墨壷も、これと同じ形をしています。

墨壺は、かつてはそれぞれの大工が、創意工天しながらつくるものでした。やがてその中から「墨壺づくりの名工」と称えられる人たちが生まれ、明治28年(1895年)頃からは、墨壺を専門につくって売買されるようになりました。
墨壺をつくる職人は、たとえば、陽射しの強い土佐では、墨壷の墨が乾きやすいので、壷の入る池を深くするなど、それぞれの土地や流派ごとに工夫をこらしました。

1990年代に、レーザー光線によって直線を材木上に表示する装置がつくられ、販売されるようになると、墨壺の利用は激減しました。とはいえ、まだまだ昔ながらの墨壺を使って仕事をしている大工さんたちもいます。そして、一点一点、木を彫ってつくる墨壺の代わりに、安価なプラスチック製の墨壺が多数出回っています。


池の周りに鶴亀を配した伝統的な形の、我が家の墨壺と墨さしです。


まるで、木目がよく出たケヤキ製に見えますが、じつはプラスティック製です。


新型の墨壷も使っています(手入れが悪いけれど)。
どちらも、毎日使っていないで、ときおり使おうとすると、線がかすれて見えなかったり、インクがどぼどぼこぼれたり、糸が切れたりと、なかなかいうことを聞いてくれません。

墨壺に、さまざまな工夫をこらしたのは日本だけではありませんでした。東南アジアでは、竹でつくられた墨壺や、水牛の角でつくられた墨壷など、その土地固有の墨壺が、各所に見られます。
 

そしてこれは、インドネシアのロンボク島の、木彫りの墨壺です。

 
織物コレクターのOさんが、20年ほど前にロンボク島を訪れたとき、
「倉庫を片づけていたら、40年ほど前に亡くなったおじいちゃんがつくった墨壺が出てきた」
と言われて手に入れたものだそうです。


未使用ですが60年くらい前のものになります。
イノシシの子どもかネズミかわからない動物が蓋になっていて、
 

その下が池になっています。


獅子が先頭を走り、しんがりはイノシシが固めています。


針のついていない軽子は、たぶんイノシシの牙でしょう。
おそらく、インドネシアではピンを材木に刺して印つけをしなくても、糸の先端を持って押さえてくれる弟子や手伝いの子どもなどがたくさんいて、不自由しなかったのではないかと、考えられます。


糸を巻く取っ手は、太い釘を利用して、曲げてつくってあります。
大きな釘は、なかなか利用価値が高いものです。
 

糸巻きが小さいので、糸が糸巻きから外れやすいのが欠点ですが、さすがインドネシアの木匠のつくったもの、見事な彫りです。





2018年1月29日月曜日

試行錯誤

 
「東のガラス窓の両脇に、棚をつくってみたらどうかな?」
と、夫。
「いいかも」
確かに、まだガラスが新しくて透きとおっているせいもあるけれど、枠がないので素通しに見えて、「いつかぶつかるのではないか」という、心理的な不安があります。
 

厚さ13ミリの残り板で、棚をつくってみました。
でも、ちょっと板厚が薄すぎました。置くものは分厚いラムネビンと決めています。


板の厚みを2センチにして、ビンが映えるように、縦にも板を入れてみました。
武骨すぎたかなぁ、板もちょっと厚すぎたかもしれません。


できたら左右は対称にしたいし、ビンを置かないときでも見栄えを良くしたいのですが、窓の高さとビンの大きさが決まっているだけに、制約があって、制約に足も手も引っ張られてしまいます。
「この壁は、もともと縦の線が多いのに、縦板を入れたらもっと縦を強調することにならないか?」
と、夫。
そう言われれば、離れて見ると縦線がうるさい気がします。


そこで、板厚は同じ2センチでもっとシンプルな、横線を強調する棚をつくってみましたが、う~ん、棚の高さを大小あるビンの高さに合わせたので、間が抜けていて、まったくいいところがありません。


煮詰まっている私を見て、夫が、
「ちょっとこのままでしばらく置いておいてみたら?」
と言います。 納得です。
たかが棚、されど棚。
しばらく手をつけないで冷却期間を置き、よりよい案が浮かんでくるのを待つことにしました。


数日して、ふと一案浮かびました。縦の板で横の線を裁ち切ってしまわないところを残したらどうだろうかと。
早速つくってみました。北側の棚は、外に材木置き場が見えているので、そう目立ちませんが、


南側を見ると、いい感じです。
一部つながっていないだけで、横に広がりが出ました。


試行錯誤していたビン棚は、これでよしとしました。

次は、棚板の下の戸棚の扉づくりでしょうか。残り板を利用して、しかも見栄えの悪くない扉をつくりたい。
一歩一歩です。




2018年1月28日日曜日

チョコ募金


今年もJIM-NETの、冬季限定のチョコレートが届きました。


毎年この時期にしか売られない募金チョコで、北海道の六花亭のハート形のチョコレートが十個、小児がんにかかった子どもたちが描いた絵の、かわいい缶に入っています。


今年は、十歳の時に小児がんにかかったイラクのSUSU(スース)さんが闘病中に描いた、友だちのマスク姿や、点滴の絵の缶です。

チョコレートだけでなく、毎年絵が違う缶も楽しみなチョコ募金で、実費を除いた売上金は、イラク、シリア、福島のがんの子どもたちのために使われます。

先日、箱の中から昔の募金チョコの缶が出てきて、
「あら、こんなところに」
と思ったのに、一緒に写真を撮ろうと探しても、見つかりませんでした。
 


 

2018年1月27日土曜日

本棚、すっきり


作業棟の北側の本棚は、ずいぶん前に三つともできあがりました。


そして、南側も先々週だったか、できあがりました。
本棚は、下で組み上げてウインチで吊り上げます。


それを、柱と梁の中に嵌め込みます。


二つ設置し終わったところ。
 

最後の一つは二マスだけ、A4サイズの本も並べられるように、高くしました。


これで南側も完成です。
夫の本を並べ終わってもマスが余っていたので、本棚からはみ出してしまって、床に積み上げていた私の本も母屋から移動させました。


私の本だけでなく、息子の本も移動です。
「処分してもいいよ」
と言われているのですが、息子の心の軌跡が詰まっていると思われて、漫画でさえもなかなか捨てられません。

本をすべて収めても、本棚になお余裕があるのは、もしかして人生初かもしれません。東京で集合住宅に住んでいた時など、奥行きのある戸棚に、本を三列にして突っ込んでいましたが、こうなると奥の本を取り出すこともできず、お手上げでした。


というわけで、ここ何年も、床が見えないくらい積み上げていた本が、これを機会に処分したのもあって、すっきり片づきました。


左側が最初につくった本棚、右側は息子の本を入れるためにつくり足した奥行きの薄い本棚です。
 

遠くから、床に何もなくなった本棚室を写そうとしたら、おや、まだ何か置いてあったかしら、黒いものが写りました。
 

カメラから目を離してみたら、トラでした。
そのあとトラは、突き出ている梁から梁へ軽やかに飛んで、やってきました。




2018年1月26日金曜日

とうとう、張った!

昨日は、この冬最高の冷え込みでした。
この寒さは数日続くらしい、しかも東京がマイナス4度になったのは48年ぶりとか、茨城県の最低気温はマイナス7度でしたが、我が家は東京と同じくらいでした。
というわけで、まだ寒さで遊んでいます。


この寒さでは、下から井戸水を補給しているつくばいの水が昨日、この冬初めて凍りました。


上から水を補給している金魚のつくばいも、とうとう凍ってしまいました。
今朝も、どちらも凍っていますが、今朝の氷は透明で、ちょっと薄めです。
 

また、あひるたちの出動です。


氷上だと、水の中と違って、結構楽しそうです。
 

それにしても、金魚のつくばいがこんなに凍るのは、珍しいことです。


金魚も、水中と氷上と二段重ねもしてみました。
夫は、こんな光景を見ると、金魚がかわいそうで少しお湯を足してやろうかと考えてしまう人なので、要注意です。


最後は猫のトラで遊びます。
「大迷惑よ、やめて!」
と、トラはもちろん早々に飛び降りました。





2018年1月25日木曜日

ポンプのおうち


先日、夫が交換した井戸のポンプ、私はそのままでも周りがずいぶんきれいになったと喜んでいましたが、夫はカバーをすると言います。


家の土台を刻んで穴を開け、そこに横梁を通して張り出させ、ポンプを置いたコンクリート基礎の上面では支えていますが、あとは地表から浮いている枠をつくりました。
最初、屋根部分は、残り板を使って杮葺き(こけらぶき)にするつもりだったようでがちょっと足りない、では杉皮を買ってと思いましたが、お茶室でもあるまいし、ちょっとオーバーなので取りやめです。
東側だから、そう雨風も当たらないので、例の超格安の野地板で済ますことにしました。
「まわりを張ってくれる?」
「あいよ」


と、張っているうちに夫が蓋をつくりあげ、井戸のポンプは収まってしまいました。


蓋を開けて、フィルターの掃除や点検ができます。
このあたり、しつこい篠竹の株があったけれど、これでどうなるでしょう?
草が生える季節がちょっぴり待ち遠しかったりします。