2018年1月5日金曜日

呉須(ごす)と赤

栗きんとんをつくったとき、サツマイモを裏ごしするのに、裏ごしの中にすっぽり入るお皿を探しました。七寸皿はちょっと大きすぎるのです。
水屋の中をあれこれ物色していると、中国の清の時代につくられたお皿が目に留まりました。


ずいぶん前にタイで買った、大好きなお皿たちです。
陸上、あるいは海上交易でタイまで運ばれてきたものか、タイに移住した中国人たちが持ってきて使っていたものです。


手慣れた絵つけは、ユーモラスで美しいもので、縁は欠けるのを防ぐために、真鍮を被せてあります。


龍のお皿も、葉野菜の模様のお皿も、呉須で模様を描くというより、呉須で塗りつぶした中に、白で模様を出しています。


残念、裏ごしの中に入れるには、龍のお皿は大きすぎ、葉野菜のお皿は小さすぎ、裏ごしには別のお皿を使いました。
それでも、しばらく使ってなかったお皿に逢えてよかった、普段はついつい「いつもの器」を使ってしまっています。


さて、私は持っていませんが、タイには呉須の器だけでなく、王家の人々しか使うことができなかったベンチャロン(五彩)という器があります。

ヨコタ博物館蔵

清で素焼きした磁器をタイに送り、タイて絵付けしたものを清に送り返して焼いてもらい、またタイに収めたという、お金も時間もかかった焼きものです。

初期のベンチャロン。ブログ「個人・古美術館・夢想館・真贋不明」より

庶民の呉須の焼きものが好きですが、時代を経たベンチャロンも、なかなか素敵です。
ベンチャロンは今ではタイでつくられていますが、五彩のうちの金彩銀彩が多過ぎるのか、金きらきんという感じで、高い値段にもかかわらず、あまり素敵ではありません。
古いベンチャロンは、とくに赤が素敵です。




6 件のコメント:

  1.  わー五彩って鮮やかですね、
    私流の大げさな表現をすれば正倉院の御物見たいです。

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  2. 昭ちゃん
    素敵でしょう?
    こんな器で食事していたなんて、うっとりしてしまいます、でも毎日のことだと、たまには白いお皿とかが欲しい気分のときもあったでしょうか(笑)。
    ただ、今つくられているベンチャロンは釉薬が違うのか、手書きでものすごく手が込んでいてもそう惹かれません。ただ、市場で古いベンチャロンと言って売られているものの中には偽物が多いとか。ということは、偽物をつくる腕で本物をつくればいいのにと思うのは、私だけでしょうか?(笑)。

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  3.  その道の友人の話ですが統制陶器でもブームになれば
    そんなにデットストックが有る訳ではないし、、、
     江戸時代とウソを承知で三本足の燭台を買いました。
    芯を切るハサミ下げフックに惚れて、
    3000円である訳がないっちゃー(笑い)

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  4. 昭ちゃん
    あっはっは、その燭台は本当に江戸時代のものかも!
    三枚あるベンチャロンの最後の写真は、勝手に写真を借りてきた知らない人のものですが、ヤフオクで安く落札した焼きものが琉球のものかと思っていたら、初期のベンチャロンだったそうです。たぶん、市価の十分の一から百分の一くらいの値段で手に入れたのではないかな?
    ベンチャロンの中には、織田信長が愛用したのもあるらしいから(笑)。
    なんか、夢のある話ですね(^^♪

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  5. 藍色の染料を呉須というのでしょうか?初耳でした~。

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  6. hiyocoさん
    は~い。古伊万里など、「染付け」と呼ばれる磁器には呉須(コバルトを含んだ自然顔料)で模様を描いています。いろいろな混じり物もあって、藍ですが黒みがかっていたりして、派手な色ではありません。
    その後、もっと混じりものの少ない「コバルト(1735年、スウェーデン人が発見)」で絵つけされるようになりました。そのため、染付けの色でいつ頃つくられたか年代がわかったりします。

    大航海時代に、中国からヨーロッパに渡った染付けはとってももてはやされて、東インド会社の貿易の中心になっていましたが、十七世紀半ばに興った清朝が鎖国政策をとったため、欲しくてたまらないヨーロッパの貴族たちは日本に目をつけたり、製法をさぐって、ヨーロッパでもつくるようになりました。オリエンタルな柳柄などの器です。ターシャ・テューダーの本を見たことがありますか?彼女は柳柄の器をいっぱい持っています。

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