2018年4月21日土曜日

糊ビン+


久しぶりの糊ビンです。
糊ビンにはわりとよく出逢うのだけれど、値段が高いのはごめんだし、蓋がないのも欲しくありません。


と言ってもこのビンは、エンボスはないし、気泡も入っていないし、飛び切り上等というわけにはいきません。
いつもの内町工場から来ました。


蓋にはエンボスがあるのですが、読みにくいのをやっとのことで読んでみたら、「HIGH CLASS Paste」ですって!
意味がないし、どこの糊ともわかりません。


でも、青みがかってなくて、ちょっと黄色っぽい、これまでにないビンです。
  

そういえば、養蚕のビンも増えていました。
緑がきれいな、「金川式活桒育器」です。
  

蓋がないのが残念、反対側には、「實用新案第33765號とあります。






4 件のコメント:


  1. 春姐さん年寄特有の昔話ですが、、、、
    我が家は昭和14年頃まで「太物店」と区の役員を
    していたので糊と謄写機・ガリ版切りはもう
    遊び道具でした。
     糊はどうしても指先で取るので周りが残り
    硬くなります。
    商家を周る糊屋が硬くなったバリを外し
    新しい物を詰め換えるだけなので
    僅かな金額でしょーね。
     「昭和の消えた商売」のベストスリーです。

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  2. 昭ちゃん
    太物店だったんだ!では、麻とか楮、からむしなどの織物もいっぱい見たんですね。いいな、いいな。
    糊は固まったのを外して詰め替えたんですか?それもやらしてもらいたいほど好きな仕事です(笑)。
    いまでも、ボンドを使っていますが、蓋の周りで固まったのをはがすのは大好き(^^♪でも、糊屋だけで食べられたって、しかも歩いてでしょう?今では考えられませんね。

    ガリ版は1982年まで、みんなから原稿を集めてガリを切って、月報をつくっていました。

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  3. 姐さん商売をしているといつも入口は開いているし
    店は手あぶり程度の火鉢ですから
    東京の冬は寒かったです。
    窓の隙間に貼った渋紙がぶるぶる震え
    電線がビューヒュウ鳴る時代です。
    「繊維統制令」で廃業父は工場で働きました。

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  4. 昭ちゃん
    わぁ、寒そう。東京の方まで、筑波降ろしが吹いていったのでしょう。
    でも「子どもは風の子」でしたね。といっても、みんな鼻を垂らしていたし、あかぎれやしもやけも作っていたし(笑)。

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