2018年7月13日金曜日
尖った道具たち
尖った道具たちです。
目打ちは母のミシンの引き出しにありましたが、この貫禄からして、もとは祖母のものに違いありません。
左は、俵やかます(叺)を縫う針です。
この針は、祖母の家を整理したとき出てきたと、母が私にくれたものですが、長い間失せていました。諦めていたところ、先日、思いがけなく息子が持ってきてくれました。もと私が住んでいたところに、いま息子が住んでいるので、部屋のどこかに隠れていたのでしょう。
祖母は戦後の十年ほど、食糧難のため、それまでしたことのなかった米づくりをしました。
牛がいないので、田起こしは人に頼んでいましたが、水管理や田の草取りなど手をかけたので、お米はお百姓さんたちが舌を巻くほどよく穫れたようで、食べるに困ることはありませんでした。
祖父母とも戦前は学校の教師をしていたので家は農家づくりではなく、農作業をする広い庭もなければ、納屋の中の広い土間(作業場)もありませんでした。したがって、場所がなくて菰(こも)や筵(むしろ)を編んだりすることもできませんでしたが、農閑期になると、近所の俵づくりが上手なおじさんがきて、納屋の前の狭いところに筵(むしろ)を敷いて、俵の「さんだわら」をつくったり、縄を綯ったりしてくれていました。
針はそんなときに使ったのか、あるいは祖母自身も、かますの破れの繕いくらいはしていたのかもしれません。
さて、ところ変わって、エチオピアの髪を梳く針です。
エチオピア女性の髪はちょっと縮れているので、櫛ではなく針で梳かしたり分けたりするのが、理にかなっているのでしょう。
やはりエチオピアの、草籠を編むときの針(というか、目打ち)です。
固いところに針を刺したいとき、針をぎゅっとつかむと指先が痛くなるし、なかなか力を針に伝えられませんが、先が平らになっていれば、そこを押して楽に突き刺すことができます。
草籠は固く固く編みます。
写真は小さいものですが、もっとも大きな草籠はインジェラ(テフの粉を発酵させてクレープのように薄く焼いたもの)を乗せる台で、直径が60センチ以上、高さもそれ以上ある、高坏形をしたものです。
しっかり固く編んでおかないと、途中から広がったところがへたってしまいます。
針は、一本の鉄の棒をぐるぐる巻いてつくってあります。
ついでに、エチオピアの雑貨集合です。
どれも、アムハラ人の細工もの、籠編みの針は鉄、髪を梳かす棒はアルミ、耳かきは銀、ペンダントトップになっています。
耳かきは、首から下げて、どこにでも持ち歩けます。
かっこいい!
このアフリカの草かごは時々見かけて大変素敵なので、作ってみようとしました…私はラフィアを帆さし針で刺して進みましたが、なかなか効率が悪いというか、ぐるぐるとびっしり隙間なく刺すのは大変で、あきらめました(笑)。バスケタリー講座の先生によると、目打ちのようなものでぐっと刺して穴をあけて草の紐を通すということでしたが、この道具でしたか…。
返信削除しかし、それにしてもいちいち刺しては草ひもを通しびっしり隙間なく作るというのはどれだけ手間がかかるんだろうと思います。日がな一日やるのでしょうが、貴重な品ですね。
本題からそれましたが…(^^;)。
karatさん
返信削除編むのに時間はかかりますが、みんなでワイワイガヤガヤ、つらい水くみなどに比べたらほっとできる楽しい時間のように見えました。
とはいえ、インジェラのお皿兼テーブルなどという大きなものをつくるのは大変で、何日、何か月もかかってしまいます。
私は、丸いレース編みのように、最初のうちは小さいから二段三段楽々編めるのに、編み進むにしたがって一周するのに時間がかかるものが大の苦手で、若いころは何度も試みたのに、たいてい(全部)途中で挫折しています(汗)。この籠も、出来上がっていくにつれて進み具合が遅く感じるので、絶対作れません(笑)。
巻くのは、草紐ではなく、草をそのまま二、三本どりで巻いています。いろいろな国にこの方法の籠がある中で、私が見た限り一番固く細かくできているのは、ザンビアの籠でした(http://koharu2009.blogspot.com/2011/02/blog-post_15.html)。
エチオピアの櫛も耳かきも彫刻が施されて素敵です!エチオピアの人たちはこれで耳掃除するんでしょうか?耳掃除って世界共通?息子は耳掃除が大好きで、頻繁にやる必要はないのは知っていますが、やってと言われると断れません。私も大好きなので(笑)。
返信削除hiyocoさん
返信削除あんまり考えたことがなかったけれど、あの「耳かき」って形、どこで発祥したのでしょうね?そういえば不思議です。
インドでは、路上に耳掃除屋さんがいて、まさかと思うほどの耳垢が出てくるそうです。でも、私はあんまり人にやってもらいたくないです(笑)。
その昔、タイのレストランで日本からの客人と一緒に食事していた時、金属製の耳かきを売りに来た人がいて、私は当然のように値切ったのですが、夫から「あんな安いものを、2バーツ3バーツ値切ってどうする」とあとから言われ、習慣化していた値切ることに罪悪感を覚えて、長くその耳かきを見るたびチクチクしたのを思い出しました。
自分の中にスタンダードがあって、3000バーツと言われれたものを、2000バーツにするのと、3バーツと言われたものを2バーツにするのは同等の重要性を持っていました(笑)。
カンボジアに住んでいた時のことですが、タイの国境の町からラオスの船に乗ってメコン川を渡ろうとしたら、ラオスのお金を持っていなかったので、ぼられて、日本円にして20円くらいのところを60円とられてしまいました。悔しいのなんのって、そうとう戦ったのですがらちが明かない、今でも悔しく思い出しますが、40円損してどうした、ただのメンツの問題ですね。関係ないけれど、そんな話を思い出しました(笑)。
最近は綿棒ばっかりの私です。