地下室にしまいっぱなしだった織り機を取り出して、少しずつきれいにしていたら、思いがけず、織り機を入れていたコンテナから、竹の雀脅しが出てきました。
全く冷遇していて、それを持っていることさえ忘れていたものです。
カンボジアのプノンペンに住んでいた時、近くに画廊ができました。
私が住んでいたのは、芸術大学と博物館が並ぶ通りで、道の片側には絵画屋さんが並び、私の大家さんも油絵を描いたり売ったりしている人で、一階は絵を売るお店、その奥の小さな部屋に親子四人が寝起きして、二階、三階、四階の部屋を貸していて、私は三階に住んでいました。
絵画屋さんの店々に並ぶ油絵は、中には畳一畳より大きいものもあり、カンボジアの風景を描いたものがおもでした。上客は海外に定住しているけれど里帰りしたカンボジア人たちです。海外でカンボジアレストランなどやっている人が、大きなアンコールワットの油絵でも店に飾れば、そこは一気に懐かしいカンボジアになるので、なかなかの人気でした。
中でも、私の大家さんは絵がうまく、よく肖像画を描いていました。もう亡くなった方の小さな白黒写真からを見ながら、大きな油絵にするもので、それはそれはよくできていました。
さて、その画廊「reyum」ができて、初めての展示会が、「カンボジアの農具展」だったでしょうか。
おもしろい民具がいっぱい集められていて、一度ならず散歩の途中で何度も立ち寄って眺めたものでした。
そこで見た雀脅しは、竹を二つに割ったものでした。
一方を持って上下に振ると高い音が出て、実ったお米を食べようとする雀を追い払います。
その竹の雀脅しのことを、同僚のナリンに話すと、
「雀脅し?あぁ、村で見かけたよ。くれるだろう。今度一緒に行こう」
と、言ってくれました。
そしてある日、私たちは雀脅しのある家を訪れました。持ち手を持って棒で叩くと、高い、いい音がする雀脅し、それが、この地下室で見つかった雀脅しでした。
「へぇ、棒で叩くのか」
初めて見る形、それはそれで興味深いものでしたが、手でもって打ち鳴らす雀脅しがまだ頭の片隅にありました。
「それはプレイヴェンに行かなくちゃないよ。このあたりの雀脅しはみんなこの形だから」
と、ナリン。そうそう、地域によって、農具は少しずつ違うのです。
ある年、メコン川の増水がことのほか長く続いて、あちこちで稲が育たないという事態が発生しました。
田植えをし直しても再度冠水し、しかも冠水期間が長くて枯れ、もう植える種籾がないという村々が続出、緊急に種籾を支援することにしましたが、プレイヴェンの村々もその対象でした。
全長4800キロのメコン川の水位は、雨季と乾季では8メートルほど違います。
洪水は横から襲ってくるのではなく、遊水地がいっぱいになると水が周辺にまであふれ、田んぼなどにも入り込んで、じわじわと下からやってきます。
そんな、毎年田んぼが水につかるプレイヴェンは米どころで、独特の稲作をしています。田植えして、苗が活着してからの約二週間、稲は完全に水につかります。その間を水面下で持ちこたえた稲は、洪水が運んだ養分によって、肥料なしでおいしく育つのです。
ところが、二週間では水が引かない年があります。そんな年には稲が刈れてしまうので、水が引いたあともう一度植え直すのですが、その年はその二回目に植えた苗も、また増水した水に長くつかってダメになってしまったのです。
水が引いて、やっと陸路が通れるようになったある日、私たちは何人かでプレイヴェンに、種籾を支援するための聞き取りに行きました。
あらかじめ、村ごとに、誰がどのくらい被害を受けて、誰にどのくらい配ればいいのか調査してもらっていたのですが、事前の調査が正当なものかどうか確認し、被害の程度によって過不足なく種籾を配れるようにするためでした。
そのとき、近くにあるナリンのおじさんの家に寄りました。
「これが欲しいんだって?」
と言いながら、雀脅しを出してくれました。
災害支援に来たというのに、大喜びする私。あの、欲しかった雀脅しでした。
この雀脅しは、ずっと大切にしてきました。もう一つの、地下室に入れられ、存在さえ忘れられてしまった雀脅しとは、どこで待遇に差をつけてしまったのか、引越しのどさくさで、紛れ込んでいたのかもしれません。
また、プレイヴェンの雀脅しは、とっくにブログにUPしたと思っていましたが、検索しても見当たりませんでした。
一時期水面下に没してしまうプレイヴェンの稲は丈が高い品種で、実ると寝てしまいます。そのため、雀の格好の餌となるのですが、そうさせないよう、お百姓さんたちは田んぼに仮小屋を建てて、日中雀を追い払わなくてはなりません。
それは子どもたちの役目で、この竹の雀脅しを振って、やかましい音を立てて、日がな雀を追い払うのです。
地下室に入れていた方は、湿気で針金が、ボロボロになってしまっていたので、同じ方法で修理しなおしました。
日本のお米は、コシヒカリの出現以後、不味いものはほぼなくなりました。ところが、タイやカンボジアに行くと、お米にはおいしいお米とまずいお米があったことに気がつきます。
地域によって、驚くほど多品種の、その土地の条件に適した米を栽培しているのですが、土によって、品種によって、味は大きく違います。また、精米の仕方や保存の方法によっても、味は違ってきます。
熱帯では、水さえあれば年中お米がつくれる、三期作も、四期作でさえできると思われていますが、国際稲研究所が開発した感光性の稲などは、収量はよくてもあまり味のいいものはありません。
反対に、東のプレイヴェンや、西のバッタンボンでつくり続けられてきたお米などは、泣きたくなるほどおいしいお米です。おかずも塩もいらない、ただお米だけを食べていたいというお米に、これまで数回出逢ったことがありますが、そんなお米が穫れます。
メコン川も、上流にダムができたり、あちこちに橋がかかったり、すっかり増水のパターンも変わってしまったことでしょう。プノンペン近郊の村々には都市化の波が押し寄せてきて、多くの人々が農地を手放しました。
カンボジアでの私の片腕であり、教師であったナリンは、今は別のNGOで、やはりメコン川流域のクラチエで働いています。
切望した雀脅しは割れた竹がぶつかって音がなる仕組みですか?
返信削除お米の美味しくなさは今まさに実感しています(笑)。玄米30kgをもらうのですが、玄米にした時点から味は落ちていくのですね。先週とうとう米袋からメイガが飛び出してきて、玄米をブルーシートに広げて虫干ししたりてんてこ舞いだったのですが、その際いろいろ調べたら籾付きで保管しないと味は維持できないことがわかりました。どうりで精米したてなのに期待したほどじゃないわけです。低温で管理も有効だと思いますが、もちろん冷蔵庫に入りませんし。義姉のところに知り合いから送られてきてしまう玄米をもらっているので、あれこれ注文つけられません(苦笑)。
hiyocoさん
返信削除そう、竹がぶつかる音ですが、こちらも大きくていい音が出ます。素敵でしょう?
日本では、昔から籾摺り機が大きくて、共同で使ったりしているので、玄米保存が、今でも基本ですね。みんな玄米にして保存しています。熱帯では籾で保存しますが、これもおいしいお米を食べるのに問題があったりします。村にある籾摺り+精米機はたいてい性能のよく無いもので、長粒米ですからすぐに割れ米ができてしまいます。割れると、嘘のようにおいしくなくなります。
コクゾウムシが発生したということは、喜んでください、無農薬あるいは低農薬です。スーパーなどで売られているお米ではコクゾウくんは出てきませんからね(笑)。でも、コクゾウくんにやられると、やっぱり美味しくなくなります。唐辛子などを入れて保存しておいた方がいいかもしれません。
カンボジアにいたとき、村の人から日本からの援助米をもらったんだけど、あまりに不味いのでどうしたらいいのかと相談されたことがありました。見ると、古々米で割れてカビも生えているのか、炊くと臭いし糊みたいになる代物でした。すぐ大使館の人に忠告しましたよ。援助しているなんて言っているけど、あのお米を食べてみたことがあるのかと。もちろん、彼らは何も知りませんでした。
飢饉の年には、欧米は小麦を、日本はお米を支援しますが、どちらも災害用にストックしていたものの在庫整理、それでいい顔できるんだから、もらった方はたまったもんじゃないです。