2018年9月30日日曜日

チーム横浜+α参上


雨もよいの土曜日、チーム横浜+αの10人+幼児1人が、手伝いに来てくれました。
御影石と御影石の間と、その両側にごろた石を並べて、目土(じゃり)を詰めます。


ごろた石は、庭の四か所に積み上げてあり、埋まりそうになったもの、イノシシが掘り返したものなどありました。
そのごろた石を、人界戦術で軽トラックに積み、運んできて、人界戦術で降ろします。


それを、端からきれいに並べます。


ついにごろた石を並べ終わりましたが、小雨が降っていたので、作業はここまで、みんなどろどろになってしまいました。


そして、今朝の様子です。


まだ、河原のような状態ですが、右の方、御影石と御影石の間の目土を詰め終わったところを見ると、すっかり落ち着いているのがわかります。
あとは、ユンボでごろごろ踏んで落ち着かせ、ところどころ高さを調節して、目土を撒いたら完成です。







2018年9月29日土曜日

タータンチェック

ひと月ほど前に、たくさんのふしぎの2018年9月号、『すてきなタータンチェック』(奥田実紀文、穂積和夫絵、福音館書店)を買うつもりで本のネットショップをチェックしていて、横にちらっと出ていた『ナミブ砂漠、世界で一番美しい砂漠』(野村哲也文、写真、1916年)の方を買ってしまったことがありました。
『すてきなタータンチェック』は、そのときは、「まぁいいや」と思ったのです。
ところがhiyocoさんのブログで、『すてきなタータンチェック』を取り上げていて、面白そうでした。やはり買おうかと調べると、次の月の号が出る時期で、9月号の発売を差し止めている期間というのがありました。
「あっ、買えない!なんで?」
と慌ててしまいましたが、そんな期間も過ぎて、また発売されたので買いました。


たくさんのふしぎは、表向きは子どもの本ですが、とても詳しい説明で、何歳くらいからわかるかしら?大人の私は、とても勉強になりました。

タータンチェック(タータン)は綾織りです。
綾織りにすると目が詰まるので、もともと寒いところで着る布として織られたタータンが綾織りなのは、当たり前と言えば当たり前です。
風よけ、雨よけの、トレンチコートやレインコートにするギャバジン(これもイギリス発祥。有名なメーカーはバーバリー)も綾織りで織られています。
それに対して、平織りの布は、目を詰めては織りにくく、風を通すので、暑い季節や、暑いところで着るのに適しています。
もっとも、例外もあります。平織りでもごくごく細い糸で織れば目の詰んだ布ができるし、カンボジアの綾織りの絹のように、しゃきっと張りがあって、身体にまとわりつかないので、熱帯でも快適に着られて、寒いところでは風を通さないので暖かく感じる布もあります。

綾織りにもいろいろあり、表と裏の糸の出方(飛ばし方)を変えると、長く出ている方の色が目立つので、表裏が違った印象になります。例えばジーンズは、経糸を藍で緯糸を白で綾織りにしていて、糸の出(長さ)を表と裏で変えているので、表は青く、裏は白く見えます。
ところが、タータンは表裏同じ目(2目綾織り)で織っています。そのため、裏表とも同じ印象に見えます。
また、タータンは、経糸と緯糸の並べ方(縞のつくり方)を、必ず同じ色で同じ配列にしてあるそうです。それは知りませんでした。

日本でも、タータンはお馴染みです。今もあるかどうか、横浜の元町にはタータンチェックの専門店がありました。
ときおり、タータンのブームも訪れました。タータンのひざ掛けをあちこちで見かけた時があったし、タータンをスカートやスカーフに取り入れたトラッド・スタイルが流行したこともありました。


高校生の制服のスカートは、今もタータンがたくさん見られます。

と、ここまで書いて、私はタータンとは、全く無縁に過ごしてきたことに気づきました。
タータンにはなんとなく、お嬢さまの雰囲気がありました。実際高価なものだったかどうか、医者の子どもである従妹たちはよくタータンを着ていました。
私の場合、長じても、タータンを身に着けたことは、マフラーでさえありません。タータンとのつき合い方がわからず過ごしてきたのでしょう。


これら、タイの浴用布パッカマーのチェックは、経糸緯糸を同じように並べて織っているので、もしこれが綾織りだったらタータンと呼ぶのにふさわしいのですが、平織りです。


そして、こちらの布(パッカマー)は、経糸と緯糸の色糸の配列が違い、対角線で折ってみると模様が重ならないので、タータンではないうえ、やはり平織りです。


平織りというのは、経糸と緯糸が一本おきにくぐるように織る織り方です。



手持ちの格子の布をチェックしてみましたが、どれも平織りでした。

スコットランドの高地の織りものであるタータンは、キルトと切っても切れない関係にあります。
そのことは、もちろん知っていましたが、この本で、キルトが比較的新しいものだと知りました。それまで、一枚の布を使うプレードだったものが、1720年代に上下が切り離されてキルトとなったのです。


言葉は知りませんでしたが、プレードは物語の中では大いになじみがありました。
ローズマリ・サトクリフの物語に出てくる男性の多くがプレードを身につけています。『ともしびをかかげて』のアクイラは、凍えるような寒い部屋から、少しでも暖をとろうと暖炉の前にプレードを持ってきて、ベルトを締め、襟もとで青銅と銀でできたブローチを止めて、進退を賭けて王の前で話をするために出掛けていきます。
ところで、ル・グゥインの三部作『パワー』に出てくるガヴィアは、高地人のチャムリからチュニックとキルトをもらい、キルトのはき方がわからず肩にかけて笑われています。
もっとも、サトクリフのアクイラは、ブリテンからローマが撤退した時代を舞台にしていますが、ル・グゥインの物語は架空の場所、架空の時代なので、どんな服装でも構わないのです。

女たちが糸を紡ぎ、堅機(たてばた)で布を織った時代から、タータンチェックは今日まで消えることなく受け継がれてきました。
ギンガムチェックやマドラスチェック(どちらも平織り)には親しんできた私ですが、これからも、フォーマルの感じがするタータンとつき合うことは、まずなさそうです。
本はとても面白かったのですが。










2018年9月28日金曜日

持て余している時代箪笥


織り機の部品を探していて、
「もしかしてあそこかな?」
と思ったのは、1970年代初頭に買った時代箪笥でした。
当時は、骨董市もなく、古い箪笥などあまり見かけませんでした。そんなおり、できて間もない渋谷駅前の西武デパートの骨董売り場で見つけて、勇んで買ったものの、買った当初から使い勝手の悪い箪笥でした。
重いものに耐えるほど、厚い木ではできていないのに、引き出しが深すぎて重くなり、開け閉めしにくいのです。その上、場所は取ります。
普段使わないものを入れたりしていましたが、ついつい、存在をおろそかにして、ここに来てからは、地下室に入れっぱなしでした。


開けてみると、一段目には織りもの関連のものが仕舞ってありました。
でも、主には糸、そして織り機が送られてきたときのノルウェーの包み紙。日本のハトロン紙より腰のある紙でけば立たず、杼に入れて使う緯糸(よこいと)の糸巻きをつくるために、取って置いたのです。
  

二段目の引き出しは空っぽ、最上段の小さな引き出しもからっぽでした。
扉の中の小さい引き出しは、一つは出てきましたが、もう一つは鍵がかかるようにできていて、鍵はかちゃっと回るのですが、どこで閉まってどこで開いているのか、どう回しても、引き出しはびくとも動きません。


下から二段目の大きい引き出しは、最初はダメでしたが、やっと少し引き出すことができて、中のものを取り出せました。
中には、古い毛糸や布、ジグソーパズルなどがあっただけでした。


一番上の引き出しは密閉できていたので、中のものはまったく湿気ていませんでしたが、この引き出しは閉まりきっていなかったので、中の布が濡れているかと思うくらい、湿気ていました。
ジグソーパズルの箱はかびだらけです。


それにしても、地下室の湿気がどんなに箪笥に塗ってある漆を傷めたかわかります。
上は、扉の中にあった引き出し、下はむき出しの引き出しです。


箪笥は、作業棟の軒下まで持ってきて、しばらく風に当てて乾燥させ、引き出しを取り出すことができたら、かんなをかけて開閉しやすいようにしようと思っていますが、夫は冷めた目で見ています。
「捨てちゃえば?」
確かに、昔から厄介者です。
でも、長く放っておいて言える筋合いでもありませんが、できたら活かしてやりたいものです。といっても、もう数日乾かしていますが、まだ引き出しが出てきません。上下より横がきついのです。


上の写真と比べると、1センチくらいは前進がありましたが。
そして、最下段の引き出しは、引っ張ったとき前板が外れて、壊れそうになったままです。背面の板を外して押し出したいところですが、金具があって端の板は外せないし、いったいこれからどうなるのでしょう?







2018年9月27日木曜日

織り機を組み立ててみる

 

織り機を一度、作業棟の二階のゲストルームで組み立てていたのですが、三畳間の中ではいかにも狭いものでした。
なんとか置けましたが、周りを歩くのがやっと、本当に織るとなると(そんな日が来るかどうかは疑問ですが)経糸(たていと)を掛けるための整経機が置けないほどの狭さです。
というわけで夫をじわじわと泣き落として、ホールを使うときには外に運び出すということで、ホールの片隅で、織り機を組み立て直すことができました。
ちょっとキクイムシにやられている部分もありますが、全体としては問題ありません。


だいたい組み立てられましたが、綜絖(そうこう)と踏み木のつなぎ方が思い出せません。また、小さな部品、筬(おさ)をぶらさげるための楔(くさび)とか、組んだ織り機のボルトを締めるナットがいくつか見当たりません。

とりあえず、探しがてら、母屋の中で分散している織りものの関連の道具たちを、見つけ次第一か所に集めて置く場所をつくることにしました。


糸巻きは、整経するとき必要なもの、まとめて置いていますが、もっとあるはずです。


二階展示室の、シーツを入れていた引き出しを一つ空けて、とにかく目についたものだけでも集めてみました。


杼(ひ)、カーダー、織るときの伸子(しんし)などが出てきました。
右端に見える色のついたビンは、糸を染めるときメジャーカップとして使う、息子が赤ちゃんの時使った哺乳ビンです。


羊の毛を紡ぐ前に、毛並みを一定方向にそろえるカーダーは、三組もありました。鉄なので錆びていますが、今では錆びないステンレスでつくられているようです。


見つかったものは引き出しに収めましたが、織り機の小さな部品たちは見つかりませんでした。
「やっぱり地下室にあるのかなぁ?」
地下室に置いたままの時代箪笥を開けてみましたが、そこにもない、あとはいくつか残った衣装ケースだけですが、衣装ケースの前に置いたものから順番に片づけなくては、そこまで到達できません。
カマドウマの排せつ物がひどいうえ、湿気ていて、しかも思うような収穫もなく、地下室の片づけの士気は全然上がらないので、ちょっとずつしかできません。


地下室に置いてあった整経の道具のうち、糸巻きをセットするための枠は無事でしたが、綾を取る道具の足が、木が弱っていて折れてしまっています。


それにこの、カマドウマの糞の汚さ。
まぁ、十年以上放置していて、カマドウマをのさばらせていたので、仕方ありません。二つともごしごし洗ったら、何とかきれいになりました。


洗いながら、綾を取る道具の足をどうやってつけるか考えていました。
最初、脚が短くなっても、ちゃんとした方の脚も切って、両方にほぞをつくり直してはめることを考えましたが、もっとも安易に、L字のアングルを使って固定することにしました。
 

まず、クランプで固定してから、アングルをビスで止めました。


というわけで、一丁上がりです。
あとは、まだ隠れているものを探すだけ、見つかって欲しい!









2018年9月26日水曜日

準備が整いました


コンクリートブロックの間に、庭のあちこちから掘ってきたタマリュウを植えています。
土もあちこちから掘ってくるのですが、思ったよりたくさん土が要ります。少しずつ運んできた土は、草の根をふるいにかけて取り除き、小さく株分けしたタマリュウを置いてから詰めます。
もう何日もやっているのに、まだ半分も終わりません。


夫は、先日買ってきた御影石を敷きました。
  

横軸の石は敷き終わって、縦軸を敷く一日目が終わったところです。
ユンボがあってよかった。この石は一人では、ちょっと動かすのでさえ大変です。


そして縦軸の二日目、買ってきた石はすべて敷き終わりました。


これで、今週末のチーム横浜を迎える準備が整いました。
チーム横浜には、御影石と御影石の間と、その両側に、丸石を並べていただきます。丸石は、もう何年も前から用意してあり、あまり長く置いていたので半分埋もれかけているのもあります。


丸石を敷くと、こんな感じになり、出来上がりです。


そして、御影石の間に石を並べると、こんな感じになります。


門の真下の雨の当たらないところに、夫はタマリュウを植えたがっています。
でも、無理無理。犬走(軒下)のタマリュウもみんな乾燥して枯れてしまっています。
私としては、海の河口近くでちょっと大きめの丸石を拾ってきて、敷きたいと思っています。
さて、どうなることでしょうか。







2018年9月25日火曜日

インドの計量カップ

アンタイディーのブログで、インドのメジャーカップというものが載っていました。

お借りしました

「えっ、これ見たことがある。確かうちにあったけれど、長く見てない!」

重いもの、大きいもの、いろいろ捨てずに引きずってきた人生ですが、長い人生の中では、大きい家から小さい部屋に越すなど、ものを手放す契機になる時が、時々やってきました。
大きなインドの牛乳缶、ガーナで暮らした時に使っていた楕円の洗濯用たらい(子どものお風呂になるほど大きなもの)などなど、とても収まり切れないものは、処分してしまいましたが、この計量カップとは知らなかった重いくてごつい筒も、もしかしたら処分してしまったかしらと、その時は思いました。

さて、このところ、織り機の部品がないかと、時間を見つけては地下室の片づけをしています。
ある日、地下室に置いたタンスや衣装ケースの陰に隠れて、この計量カップが床にぽつんと置いてあるのが見つかりました。


地下室は湿気ているので、錆がひどくなっていました。
たわしでごしごし洗ってみましたが、錆びは落としきれません。かといって、金ブラシを使えば、傷がついて鉄肌が損なわれそうです。


鉄の板でできていて、ぐるりと回した鉄の帯はただの飾りです。
帯の間にはめてある小さな飾りは、鉄ではなく、真鍮やブロンズなので、できたときはぴっかぴかに光って、きれいだったはずです。

アンタイディーの計量カップは、背の低い方が直径11.3センチ、背の高い方が直径7.7センチとありましたが、これは、直径11センチ、高さは15センチと、一回り大きなサイズです。


穀物などを計るのに使ったようです。

マダガスカルの市場

穀物や豆、スパイスなどを計り売るには、かつては缶詰の空き缶が適当でした。実際、アフリカやアジアのいろいろな国の市場で、空き缶が使われているのを見ました。
例えば、ガーナの市場でお米を買うときは、
「5杯ね」
と頼むと、空き缶で5杯計ったあと、最後にちょっとおまけしてくれるという感じでした。

それなのに、こんな手づくりの計量カップを使っていたということは、まだ庶民には空き缶が容易に手に入らない時代につくられたもの、となると20世紀初頭、まさかそんなに古いものでしょうか?


誇り高く仕事をした鍛冶屋さんの姿が見えて来るような手仕事、放りっぱなしにしていて申し訳ありませんでしたが、何に使いましょうか?


物差しやストーブ周りの小物たちを収めるには、すでにインドの、バケツを使っています。
インドの鉄はずっしり重くて、長いものを安心して差しておけます。
こうして比べてみると、新しいものにも古いものにも、それなりの鉄肌の良さがあり、改めて鉄って素敵だなぁ、と思ってしまいます。