2018年10月1日月曜日

コリントゲーム

しばらく前に、息子から電話がありました。
「コリントゲームがある?」
「ないなぁ。持ってないよ」
「じゃぁいいんだ。まぁ、自分でつくってもいいし」
「そう?」
話はそれまででしたが、落ち着いて考えても、息子たちが小さい時、我が家にコリントゲームがあったという記憶がありません。
そして、私が小さい頃は、家にコリントゲームがありました。数少ない(商品の)おもちゃで大切にしていたし、六畳間の振り子時計の下の、母のタンスと祖母のタンスの間が片づける定位置だったことも覚えています。
もしかしたら、息子たちは祖母の家で、かつて私と弟が遊んだコリントゲームをやったことがあったのでしょうか?

息子が自分でつくると言っても、コリントゲームはベニヤ板を曲げたり、鉄の玉を突く棒をつくったりと、そう簡単にできそうにありません。
というわけで、時々ヤフーオークションをのぞいて見ていましたが、玉や棒が失われていたり、全部揃っていれば値段が高かったりで、適当なものがなかなかありませんでした。


と最近、開始値段が1000円、玉も棒もあるコリントゲームがヤフオクに出されていました。そして、これくらいなら出せると思う値段で入札しておいたら、競争者が少なく、無事落札できました。
箱もついていて、箱にはコリントゲームではなくて、Poolette、プーレーと書いてありましたが、箱の絵に、見覚えがありました。
私と弟が小さいころ遊んでいたコリントゲームは、まさにこれだったのです。


もともとコリントゲームはヨーロッパでつくられたようです。


フィンランドのユシラ(JUKKA)社は1923年(大正2年)に操業、当時も今もフォーチュナという名前でコリントゲームをつくっています。
コリントゲームはまた、バガテルとも呼ばれています。


昭和初期には日本にも輸入され、小林脳行が「コリントゲーム」という名前で発売しました。一説では、コ(小)リン(林)に売れやすい「ト」をつけたとも、フィンランドのユシラ社がイギリスで販売するとき、Corinthian Master Bagatelleという名前で売ったのを、日本では名前の最初の部分だけ取ったとも、言われているそうです。
そして1933年(昭和8年)に、はなやま(現在はハナヤマ)が、プーレーと命名したコリントゲームを発売しました。

昭和10年代の雑誌広告

こんな広告もあります。
はっきりしませんが、小林脳行は、輸入だけでなく、コリントゲームの制作もしたのでしょうか?


久しぶりに、コリントゲームで遊んでみました。
息子に、入手した旨メールを送ったら、
「置いておいて」
ですって。





6 件のコメント:

  1. コリントゲーム懐かしい響きだなーアーチ型も
    私たちの時代の室内遊戯ですがあまり遊んでいません
    男の子は外で遊ぶしけん玉もメンコも冬の日向ですからね。
     当時の言葉で言えば
    「夏は日射病にかかるので」
    舶来ものとは知りませんでした。

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  2. わーーー!!!同じの持っていてよく遊びました。箱にプーレーと書いてあった記憶はありませんが、三つ編みの女の子と緑の背景は覚えています。そして中身も同じ!段ボールの箱の感じも懐かしい~。
    息子が生まれてからは、私が簡単なものを作って一緒に遊びました。釘がすぐ抜けちゃうけど(笑)。

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  3. 昭ちゃん
    まさに昭ちゃんの時代のおもちゃですね。
    私も遊ぶと言えば、ゴムまりつき、石けり、おはじき、あやとり、お手玉、たくさん集まれば缶蹴り、かくれんぼなどで、じっくりコリントゲームをしていた記憶はありません。
    でも、離れて暮らしていた母のお土産だったかなぁ、大切にしていました。
    といっても、今ではどこへ行っちゃったかわからないのだけれど(笑)。

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  4. hiyocoさん
    たぶんパチンコが連想されたのかな、コリントゲームは一人でも遊べるし二人でも遊べましたね。
    息子から電話もらったとき、「釘打つのも難しいし、穴はどうするのよ?」ととっさに自分がつくる姿を連想しましたが、手づくりする人がいるのか、いまでもキットが売られているようです。

    今度幼児が来たら一緒に遊んでみます。もっとも幼児は玉を飲み込んだりして危ないかもしれませんね(笑)。

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  5. 春姐さん
    月猫姐さんよりコメントが来ていますー

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  6. 昭ちゃん
    了解いたした。

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