2019年1月28日月曜日

テュベテイカ


時代箪笥の引き出しから、中央アジアのイスラム教徒の男性がかぶる帽子が出てきました。
その昔、夫の父にもらったもの、仕事でソヴィエトに行ったときの、お土産でした。
ロシア語でテュベテイカと言うこの帽子は、畳むことができ、広げると四角いトップで、それに縁がついている形になります。そして、刺繍してあります。
刺繍の模様はいろいろですが、タジキスタン、カザフスタン、キルギス、ウズベキスタンなどに住むテュルク系の人々が、同じ形のテュベテイカをかぶっています。ロシアでもイスラム教徒の多い地域で民族衣装として着用され、中国の新疆ウイグル自治区のテュルク系の人たちもかぶっています。


これは、テュルク系民族の分布図です。
濃い青色の部分はテュルク系言語を公用語にしている国で、薄い青色の部分はテュルク系言語を公用語にしている自治地域です。


たぶん、夫の父が買ったというよりは、どなたかにいただいたものだったのでしょう。
もっともありふれた文様ですが、黒地に白い糸のとても丁寧な刺繍がほどこされています。

  

ネットでいくつか似た帽子を見ましたが、同じスタイルとはいえ、どれも1960年代に父にもらった帽子のように細かい刺繍のものはなくて、雑です。


我が家にあるテュベテイカ、例えば縁の刺繍を見ても、同じではなく、周囲の16の模様が一つおきに、違う刺し方をしています。

心を込めて家庭で帽子をつくる人たちが少なくなっているのか、あるいはお土産ものと自分用は違うのか、この目で見たことがないので、何とも言えません。


裏地には赤い木綿を使って、全体に刺し子しています。


よく残っていました。
一緒にもらった琥珀のネックレスはなくなったしまいましたが。







8 件のコメント:

  1.  姐さん良い悪いは別にして
    他民族の中で暮らすには宗教が団結の現れでしょーか、
    何でものみ込んで日本的に消化する島国では考えられないです。
     永六輔の「六・八コンサート」はよく行きました。
    永ちゃんの話の中で
    何千人と集まるイスラムの集会で
    皆が礼拝しているので「自分も座らなければ」っと、
    「お前は自分の宗教を捨てたのか」っと
    通訳から言われたそうです。

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  2. 昭ちゃん
    面白い、含蓄のあるお話です。
    多民族がいっぱいいて、逃げ場もなくいろいろ行きかったら、服装とか宗教とか、何かでつながらないと、不安になりますよね。

    生の永六輔さんは、銀座にあった(今もあるのかな?)画材屋の月光荘のあたりでお見かけしたことがあります。私が月光荘から帰るところ、永さんは行くところでした。
    私は高校生だったか、大学生だったか、泰明小学校のあたり、銀座と言っても閑散としていて道行く人は誰もいなくて、遠くから二人で目のやり場がないのでニタニタして、すれ違う時は軽く頭を下げたのを思い出します。

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  3.  数寄屋橋から見える泰明小学校は懐かしいです。
    有楽町駅・日劇・朝日新聞・震災記念碑
    尾張町四丁目と銀座コースですね
    社会人になってよく歩きました。
     九ちゃんがいるころは
    六・八・九コンサートでした。

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  4. 昭ちゃん
    昨年、泰明小学校はパリの有名デザイナーのデザインした制服にするというので話題にもなりました。
    最近は、ブランド服なんて売れないんだろうなぁ。いろいろな価値観がまかり通るようになって、喜ばしいことだと思います。

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  5.  春姐さん
    その話は知っていましたが泰明小でしたか!
     同窓会で上京すると母校跡は「俳優座」そして
    二次会はロァビル(近く解体とか)
    道路の向かいは外まで聞こえるマハラジャの
    デイスコサウンド
    三次会はエスクワイヤークラブ、
    打ち止めは新宿ロシァバー「コーシカ」でしたが
    これも盛大に閉店しました
    90過ぎたらもう誰も居ないバイ。
     また当時の話題は歴史ある
    「東洋英和女学院」で存続か解体がどうなったかなー
    くどくどごめんね。
     

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  6. 昭ちゃん
    六本木だったんですものね。行きにくいところでしたが、ピンクのアマンドができて画期的でしたね。
    俳優座で思い出したけれど、高校の時の演劇部の顧問が文学座の小池朝雄さんでした。まだ売れてなくて、毎週のように学校に来てくれていたのですが、ときおりテレビにも出演されて、親に「小池さんはこの人!」と見せると、いつも主人公をこれでもかといじめる乱暴者だったり、気持ち悪い変質者みたいな役ばかり(笑)、親に「大丈夫なのか」と心配されました。のちにコロンボ刑事の声で大ブレイクされましたが、惜しいことに早くに亡くなられました。
    彼を見ていて、変な役をやる人ほど、実は良い人と思い知りました。賀原夏子さんも、テレビでは品のない意地悪なおばさんばかりやっていましたが、とっても上品な方でした。
    打ち合わせで文学座にもよく行ったので、岸田今日子さんご夫妻、加藤治子さん、北村和夫さん、加藤武さんなどお見かけしました。代打で、名古屋章さんが学校に来てくださったこともありましたよ。
    昔話でした。

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  7. いろいろな俳優や声優も、、、
    人気が先走る現代でしょーか。

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  8. 昭ちゃん
    高校生ですから子供時代ですが、いろいろ垣間見て面白かったです。
    文学座もみんな和気あいあいとやっているように見えたのに、まだ私の高校在学中に分裂して、「劇団雲」ができました。
    子供のころは大人って完成している存在だと思っていましたが、いろいろな「心の闇」を抱えて生きている存在だったなんて、大人になって知りました(笑)。

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