ビンの側面に「ちどり染」とエンボスがあります。
ビンに被せてある紙が説明書になっています。
説明書を二つくださったのは、開いて読みたいだろう、でも現状維持もしておきたいだろうという、ボトルソウドウさんのご配慮だと思いました。
まずお納戸色の説明書を開こうとしました。せっかくなら、ちどりのラベルを破らずに開けたいものです。ところが難しい、破らずに開けるのは無理でした。
ではと、オレンヂ色のラベルで試みました。半分剥がれれば、そこが説明書の継ぎ目だから説明書を開くことができます。
説明書には、染めるための下準備、染め方、媒染(助剤)の仕方などが書いてあります。
ちどり染は酸性染料なので、絹および毛、つまり動物繊維しか染めることができません。この1ビンで白地から染めるなら半反、色を重ねるなら1反を染めることができます。
当時は、まっさらな白地の反物を染めるより、派手になった着物を地味に染め変える方が一般的だったと思われます。
当時は、まっさらな白地の反物を染めるより、派手になった着物を地味に染め変える方が一般的だったと思われます。
面白いのは、説明書から世相が読み取れるところです。
「進駐軍好意の放出布地」とは、戦後広く出回っていた国防色の毛織物だったのでしょうか?
それとももっと薄い色のウール地の布も放出されていたのでしょうか?
薄手の毛布なら薄い色のものがあったと思われますが、その毛布を染めて、オーバーコートなどに仕立てたのでしょうか?
国防色もお納戸色などを重ねると、ちょっと違う色になったはずです。
ちなみに私も、小学校に上がる前に、母が国防色の布かあるいはマントなどをほどいた布をオーバーに仕立ててくれて、着ました。その胸には本に乗った黒猫がアップリケされていたのを覚えています。
国防色もお納戸色などを重ねると、ちょっと違う色になったはずです。
ちなみに私も、小学校に上がる前に、母が国防色の布かあるいはマントなどをほどいた布をオーバーに仕立ててくれて、着ました。その胸には本に乗った黒猫がアップリケされていたのを覚えています。
日本は、1945年にアメリカに占領されましたが、1951年に独立しています。この時期は、一般家庭で染粉が数多く使われた時期と重なっているのではないかと想像します。
ちどり染本舗の山田商会の所在地は、東京の日本橋と両国が併記されています。
工場は両国で、本社は日本橋にあったのでしょうか?
想像でしかありませんが、染料最大手のみやこ染の桂屋が日本橋にあったので、「染料なら日本橋」という定評があって、ちどり染もそれにあやかって本社を日本橋に置いたのかもしれません。それにしては、連絡先として番地がついているのは両国の方だけだから、日本橋はただの飾りの可能性もあります。
想像でしかありませんが、染料最大手のみやこ染の桂屋が日本橋にあったので、「染料なら日本橋」という定評があって、ちどり染もそれにあやかって本社を日本橋に置いたのかもしれません。それにしては、連絡先として番地がついているのは両国の方だけだから、日本橋はただの飾りの可能性もあります。
もう一度貼りなおして、もとの状態に戻そうかどうしようか、思案のしどころです。もともとは、蓋にはラベルがあって、蓋のエンボスのちどりは隠れていたのですね。
追記:
ボトルソウドウさんから、蓋がアメリカの缶詰の再利用とのコメントをいただき、蓋の裏を見ていなかったことに気づきました。
糊ビンの蓋の裏は見たのに、うっかりしていました。
ララ物資(Licensed Agencies for Relief in Asia、アジア救援公認団体)か、ケア物資(Cooperative for Assistance and Relief Everywhere、CAREパッケージ)の中に入っていたものだったのでしょう。
ケア物資 |
進駐軍のところの説明は、ちっとも読んでいなかったのでそんな事が書いてあるとは知らず興味深いです。春さんの分の蓋はどうだったか思い出せませんがちどり染の蓋の内側を見ると英語の缶を再利用したものがありおそらく進駐軍のものですね。
返信削除ボトルソウドウさん
返信削除蓋の裏を見ると、空き缶再利用品でした。ララ物資かケア物資だったのでしょう。写真を追加しておきました。
内側に何も書いていない蓋もあったので、再利用品だと色々なことも物語っているので面白いですね。それにしてもララ物資にケア物資、初めて知りまたまた勉強になりました。
返信削除納戸という色なんですね!オレンヂに対してなんで「物置」と書いてあるのか不思議でした。納戸色、好きな青です。
返信削除缶をそのまま蓋に再利用するのは、余計なエネルギーを使わなくてかなりエコな感じがします。
ケア物資の女の子の髪型が懐かしい!みんな前髪をこんな風に顔の横でゴムでくくっていました。
ボトルソウドウさん
返信削除今どき、誰もララ物資もケア物資も誰も知りませんよね。
私はかつてNGOで働いていたので、海外の難民キャンプなどで見かけるアメリカのNGOのCAREのことを知っていました。お金の潤沢なNGOという感じでした。
年上の友人から、戦後CAREから日本が物資を援助されたと聞いてびっくりしました。そんなにCAREには歴史があったのかというのが、正直な感想でした。私の働いていたNGOもドライパックなんてものを配っていましたが、CAREの配布品はけた違いだったようです。
hiyocoさん
返信削除そうそう、お納戸色は、宇江佐真理の江戸小説などに頻繁に出てくる色です。戦後までその言葉が生きていたのですね。今ではお納戸色も浅黄色もすっかり使われなくなってしまいました。
髪型は、女の子はこんな感じかおかっぱ、男の子は坊ちゃん刈りか坊主でした。そして、ある年になると女性はみんなパーマをかけていました。
半年ぶりに連続テレビ小説を見るようになって毎日、「この髪型はおかしいだろう!」といらいらしています。シャンプーしたてのストレートヘアなんて誰もしていませんでした。
話がそれてしまいました(笑)。
おお!
返信削除こちらにもちどり染が!!
実は私もいただいてしまいました。
ちどり染可愛いですよね~。
いつか骨董市でデッドストックに出会うのを夢見ていましたが、まさかこんな風に手元にやってくるとは♪
>「染料なら日本橋」という定評があって、ちどり染もそれにあやかって本社を日本橋に置いたのかもしれません。
なるほど!そういう事もあるのかもしれませんね。
しかし現代で空き瓶すら中々見つからないということはみやこ染と肩を並べることはなかったんですね。
まあこういうライバル会社があるからこそ染料瓶好きとしては楽しんで集められるんですが。
maicaさん
返信削除もともとは、maicaさんがちどり染のビンはかわいいと教えてくれて、それで「逢いたいなぁ」とブログに書いていて、この度いただくことになってしまいました。
染料ビンがたくさんあるのを知ったのもmaicaさんのブログでした。かわいいちどり染が手に入った時点で、染料ビンへのこだわりは終わりになると書いたにもかかわらず、こうなっては(どうなっては?)いったいどのくらいの染料ビンがあったのか、もっと出逢ってみたいという気持ちになっています(笑)。