2019年7月17日水曜日

真弓馬


hiyocoさんにいただいた、一日に一つの郷土玩具が載っている郷土玩具のカレンダーの、本日7月17日の写真は、茨城県東海村の真弓馬です。


東海村という名前は、東に海が広がっている村という意味、太平洋への並々ならぬ思いを表わす、本来はとても美しい名前だと思いますが、現在では日本で最初に原子力発電所ができた場所として有名になっています。
そして、日本初の大型原子力発電所として1978年に営業運転を開始しした東海第二原発は、東日本大震災以降は稼働を停止していますが、2018年に、原子力規制委員会は40年を稼働の上限とするという規定を破棄し、さらに20年の運転延長を認可しました。
原発の存廃は、社会的にも、経済的にも、県民の生活に大きな影響を及ぼします。再稼働には周辺6市村と茨城県の同意が必要ですが、首長たちは揃って再稼働の是非の態度をあいまいにしたままで、住民の皆さまのご意見に従うという態度をとっています。
そのため、判断には、広く県民の意思を確認することが必要だと思われることから、いま有志が「いばらき原発県民投票の会」を発足させ、県民投票に持ち込みたいと、精力的に活動を続けています。

その東海村に、日本三大虚空蔵である村松山虚空蔵堂があります。正月15日と旧暦3月13日の縁日には参詣者でにぎわい、古くから社前で真弓馬と呼ばれる板馬が売られていました。
旧暦3月13日の縁日は十三詣と言われ、13歳の男女児が知恵を授かろうと参詣し、真弓馬を求めて神棚に祀る風習があり、同時に豊作の祈願も込めたものでした。


郷土玩具カレンダーの馬と似た絵つけの真弓馬が、『THE WORLD OF TOYS』(Josef Kandert著、英語版発行は1992年)の表紙に載っています。
この本に掲載されているおもちゃはほとんどは、チェコのプラハにある民俗博物館の収蔵品のようです。


表紙だけでなく、もちろん本文にも真弓馬の写真があり、1969年以前の作との説明がついています。
『TOYS』の真弓馬の背には、紙でつくったような赤い鞍がついていますが、カレンダーの馬(こちらは倉敷郷土玩具館の収蔵品)では失われています。でも細い切り込みが見えるので、もとはついていたものでしょう。


我が家の真弓馬は、形も絵つけもこの二つとはずいぶん違う、もっと新しいものです。
いつから我が家にあったか、あまり覚えていないのですが、たぶん、日本橋のデパートでお正月に開かれていた郷土玩具展あたりで買ったものではないかと思います。


反対側の模様は、郷土玩具カレンダーと『TOYS』の真弓馬(1969年以前の馬)の模様にちょっと似ていますが違います。
また、新しい真弓馬の鞍は、紙ではなく木片でできています。


『日本郷土玩具事典』(西沢笛畝著、岩崎美術社、1964年)に掲載されている真弓馬は、カレンダーの真弓馬より古いものでしょう。
絵つけはよりシンプル、そして車がついています。

村松山虚空蔵堂より

村松山虚空蔵堂のホームページを見ると、(たぶん)今でも授与されている真弓馬の写真が載っています。
私の持っている真弓馬より、郷土玩具カレンダーの真弓馬の方に形も絵つけも似ています。
絵つけには、青が使われず緑が使われています。

村松山虚空蔵堂のHPの記述によると、真弓馬はもとは、良馬を産した常陸太田市真弓町の山間部でつくられました。
真弓馬のはっきりした起源は不明ですが、平安時代末期に、源義家が奥州征伐の途中に常陸の国に立ち寄り、戦勝を祈願して真弓神社に神馬と弓を奉納したという故事にちなんで、江戸時代に、良馬の生産を促そうと徳川光圀が考案したとも言われています。
もともとは、真弓神社周辺の農民たちが農閑期に真弓馬をつくり、真弓神社の境内で参拝者に販売していたもので、やがて村松山虚空蔵堂でも売られるようになりました。

真弓駒作りに挑戦!より

常陸太田市立世矢小学校の5年生の、「地域自慢、真弓駒作りの挑戦!」という記事は興味深いものでした。
真弓馬を仕上げた子どもたちの感想が載っていて、口々に地域のお年寄りたちからつくり方を教えてもらったと書いてあります。目をぱっちりとは描かないようにという助言もありました。
ということは、常陸太田市のお年寄りたちは今でも真弓駒のつくり方をご存知だということ、そしてできた真弓駒は車がついていて、村松山虚空蔵の真弓馬と違うものであることなど、「何故?」が満載です。
いつか、村松山虚空蔵堂に行ってみたいと思います。







4 件のコメント:

  1. 春さんちの真弓馬はちょっとお疲れの表情(笑)?目を真ん丸に描かないよう、指導に忠実ですね。でも白黒の写真の馬は目が真ん丸(笑)。

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  2. hiyocoさん
    あっ、目が真ん丸な馬に気づいていませんでした!どうしたんだろう?昔は全部真ん丸だったりして(笑)。
    UPしてから、我が家の馬の底を見て水戸彫のラベルが貼ってあるのを見つけました。「えっ」と思って水戸彫で調べたのですが、鎌倉彫のようなもので、馬は出てきません。でももしかしたら我が家の馬は村松山虚空蔵のものではないかもしれない(笑)。
    誰がつくって、何で我が家にあるのか、わからなくなっているところです。
    こうなったら、近々東海村に行ってみる以外ないと思っています(^^♪

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  3. 八郷のお宅は玉手箱の様で、いつもワクワクしながらブログを拝見しています。
    東京四谷にある「東京おもちゃ美術館」はご存知でしょうか。
    木製の玩具を中心に、伝統的なものから最新のもの、世界各国の玩具まで触れて遊ぶことができます。
    テーマを決めて期間限定の展示をする企画展示室が有るのですが、今期は日本の郷土玩具を展示しています。
    ご存知のものばかりとは思いますが、機会が有りましたら覗いて見て下さい。
    収蔵庫にはこれまで収集した世界の玩具も沢山眠っています。

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  4. reiさん
    「東京おもちゃ美術館」は名前を知っていますが、行ったことはありません。
    今では、東京へ行くのも一仕事。また行ったからといって、数か所を訪ねることはおっくう、だいたい一か所に行っただけで、へとへとになって帰ってきます。
    おもちゃの博物館と言えば、姫路の日本玩具博物館を訪ねたのも、倉敷の日本郷土玩具館を訪ねたのも、何昔かわからないほど昔のことです(笑)。
    世界の玩具を展示するときに観に行きたいです。どこも、おもちゃづくりより割のいい仕事がいっぱいあるので、手づくりのおもちゃは消えていることでしょう。

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