2019年7月15日月曜日

写真で知る本


『目でみることば』(おかべたかし文、山出高士写真、東京書籍、2013年)という本があります。
日常的に使っている言葉の語源を、言葉で解説するのではなく、写真で見せるという、楽しい本です。
すでに知っている言葉や、なんとなく語源を推察できる言葉も多いのですが、語源をそれまで考えてもみなかった言葉や、考えても語源が思いつかなかった言葉もいろいろ載っています。


「灯台下暗し」の灯台は、岬に立つ灯台ではなくて、燭台のことだということは、クイズに出されるなどわりと話題にもなるし、ずいぶん前から知っていました。


しかし、「あこぎ」の語源は、まったく知りませんでした。
「あこぎ」は、三重県の阿漕ヶ浦が語源、禁漁区であったのに密猟者が絶えなかったので、あくどい商売をする者を「あこぎな人」というようになったそうです。


「いたちごっこ」は、子どもの遊びからきています。
「いたちごっこ」とか、「ねずみごっこ」と言いながら、上へ上へと相手の手の甲をつねり続ける手遊びで、終わりのないことから、進展のないことを「いたちごっこ」と言うようになったそうです。
もっとも、私は手遊びの「いたちごっこ」をして遊んだことはありません。


「几帳面」の語源も、この本を見るまで考えたこともありませんでした。
この角柱の角に施された加工法が几帳面と言われるもの、生真面目で注意深い人しかこの加工ができなかったので、「几帳面」がつくれる人は几帳面な人となったそうです。

と言われると、私は常々疑問に思っている「杓子定規」という言葉を思い出します。
「杓子定規」な人というのは、融通の利かない人という意味です。でも、どう考えても、杓子なんて大きさがまちまちなものを定規にする人は、融通無碍で適当な人、つまり融通の利かない人とは真反対の人ではないかと思ってしまいます。
ちなみに、この本には「杓子定規」は載っていません。


「金字塔」は形が「金」という字に似ているからだそうです。
知りませんでしたが、なんだか納得がいくようないかないような。


さて、しばらく前に、同じ著者と写真家の『くらべる東西』を古本屋で見かけたので買ってみました。
最初、東西とは東洋と西洋のことかと思ったのですが、日本を二つに分けて、東と西としているものでした。ところが、東西に分けると言っても、日本列島の真ん中に線を引いて分けたのか、単に狭義の関東と関西だけを表しているのかとても曖昧です。
そのため、比べているものも、たった2例だけで比べることに確かな裏づけがあるのかどうか、疑問が残るものとなっています。
表紙の銭湯は、西の銭湯は行ったことがないのですが、わかりやすいものかもしれません。


のれんの長さも、今は混じってしまいましたが、歴史的には東西で長さが違ったのは、うなずける気がします。

しかし食べものの比較は、料亭やお菓子屋など食べ物を売っている店の比較で、「ある店の」と但し書きをつけないで比べることは難しいと思いました。


ちらし寿司は、東は生魚を使い、西は調理した魚を使うと書いてありますが、一言で片づけるわけにいかないと思います。地域によって家庭によって、ちらし寿司にはたくさんのバリエーションがあった(ある)はずです。
私は岡山県で子ども時代を過ごしましたが、ちらし寿司には酢締めではありますが、「ままかり」の生魚を必ず使っていました。


東は茅ぶき、西は瓦ぶきというのも言い切れないところがあります。
農家に瓦ぶきが許されたのは明治以降です。確かに、京都の町などでは早くから瓦ぶきの家があったし、農村にも雪がそう降らない関西以西で瓦ぶきが広まる方が早かった、雪深い地域が多い関東以北では遅かったということはありました。釉薬をかけた水のしみ込まない瓦が開発されるまで、寒い地方では瓦を使うことはできなかったからです。
これは東西というより、積雪量とか標高などで違ったので、むしろ気候で分けた方が適切な気がします。


尻尾の曲がった猫に関してはどうでしょう?
大航海時代に、ネズミ除けに船に乗せられた東南アジアの尻尾の曲がった猫が長崎に上陸したので多いという話は聞いたことがありますが、東に多いとは初耳です。
ネットで調べると、長崎の尻尾の曲がった猫が江戸で売られたという記載があり、著者のおかべさんのブログには、実際に猫を調べてみたら、関東で多かったと書いてありました。ただし、調べたのは東は東京都と埼玉県、西は大阪府、京都府、奈良県のみです。

写真は楽しめましたが、もやもやは膨れてしまいました。
東は西はと分けることができないものを、無理やり分け、事象によって広義の東西にしたり、狭義の東西にしたりしている感が免れないからです。
でも、東西を比べるとどうだろうと考えるきっかけにはなりました。






6 件のコメント:

  1.  燈台下暗しは、ずっと「灯台元暮らし」と思っていて、灯台みたいな不便なところもずっと暮らしていれば不便を感じないという意味だと思っていました(笑)。私の友人は「東大モトクラシー」という「大正デモクラシー」みたいなものがあるのだと思っていたそうです(笑)。写真を見ると分かりますね。
     エスカレーターの立ち方で、東京と大阪が左右反対なのはよく言われていますが、いずれにしても、どちらも歩かずに立っていてほしいです。特に下りのエスカレーターで、どしんどしんと降りていく人たちがたくさんいて、その衝撃でエスカレーターが通常より早く傷んで、その修繕費用が運賃に上乗せされて跳ね返ってくるんじゃないかと心配しています(笑)。

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  2. karatさん
    灯台下暗し、どちらも面白くて笑っちゃいました。「東大モトクラシー」はなんかありそうですね(^^♪
    とくに子どものときは耳が頼り、長く思い込んでいたことが、何十年も経って、「こうだったんだ!」と気づくこともままあります。私の弟も、浦島太郎の歌で、♪かえってみればこはいかに♪の「こは如何に」を、「怖い蟹」と長く思っていたそうでした。
    エスカレーターはほんと、長いのをばたばたと登ったり降りたりする人たち、恐れ入ってしまいます。名古屋でも東京と反対並びでしたよ。静岡のあたりはどうなんでしょう(笑)。

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  3. 今は知りませんが東京の「素うどん」は具が入っていないうどんで
    具が入れば「タヌキやキツネうどん」でしたね九州ではうどんと言えば具入りです。
    東京から来た友人が「すうどん」と聞いて酢入りかと、、、、・
    九州にきてクジラの刺身に驚きました。

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  4. 昭ちゃん
    昔ながらの町に一つはあった、そばもうどんも出す汁が真っ黒な店はなくなっているから、素うどんも消えてしまっているかもしれません。
    私はしょっぱくて汁が濃いうどんは嫌いでしたが、懐かしがっている人もいるみたいです(^^♪

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  5. 一級上の幼馴染みが東中野に住んでいました。
    上京すると「何でもご馳走するからそばなんか食べなさんな」っと
    私は「何も入っていないかけそばが最高よ」っと。
    アメ横の入口や品川駅構内が最高でしたが今は全てマイルドになったのですね、
    その姐さんが旦那を呼ぶときは「お前さん」っと、
    江戸っ子だなー
    嬉しくなって何度も呼んでもらいました。笑い

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  6. 昭ちゃん
    品川駅構内のそば屋には、私の友人の父上、日本の有機農業の父みたいな人が、1990年ごろから品川駅が改築されるまでネギを一手に納めていました。だから、美味しいおそばだったんでしょうね。
    私は高校、大学と7年も品川駅を通学のために使いました。だからいつも品川駅に帰り着くときはへとへと、駅そばは一度も食べたことがありません(笑)。

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