2019年7月19日金曜日

宝船


茨城県東海村の村松山虚空蔵には、十三詣の日に門前で、真弓馬だけでなくもう一つ売られたものがあります。「宝船」です。
一片の木片をくりぬいて舳先(へさき)や三枚の桁(たらし)をつけたもので、赤、青、黄、墨で彩色してあります。


宝船と言っても宝物を積んだ船ではなく、漁船をかたどったもので、艫(とも)には、「宝」と記してあります。
村松山虚空蔵堂の近くの漁師たちが、大漁と海上の安全を祈願して、これも真弓馬同様、神棚に祀りました。


船底には村松山の焼き印がありますが、ないものもあったようです。


船腹に三つ描かれているのは、蛇の目の紋です。


本体は一枚の厚めの板ですが、上をくりぬいて底の両側を船の形に削ったものに、舳先(へさき)などをつけることによって、船らしくしています。
実際の漁船にも、かつては桁(たらし)がついていて、時化のときなど落ちては困るものを桁に括りつけました。
これだけの桁があれば、転覆してもそれにつかまって生還できたことでしょう。

以下の三つはネットで見つけた村松山虚空蔵堂の宝船です。

村松山虚空蔵堂のホームページより

柏崎コレクションビレッジの展示品より

この宝船は、前から二番目ではなく、一番前の桁がもっとも長くて、桁には模様が描かれてないように見えます。
また、影から、舳先も艫も浮きあがっているように見えますが、私の持っている宝船は、上から2枚目と4枚目の写真でわかるように、舳先から艫まで底が平らです。

ブログ、「鈴をふりふり」より

これも、一番前の桁が長く、桁の模様は青海波ではありません。


そして、『日本郷土玩具事典』(西沢笛畝著、岩崎美術社、1964年)に載っている宝船はよりシンプルで、彩色してありません。
「古くは船腹に赤、青、黄で蛇の目の模様を三つ描いているものもあった」と書かれているので、この本が書かれた1960年代には、桁の短い、彩色されていない宝船だったようです。


というわけで、宝船はいろいろな変遷を重ねてきて、今の形になっています。
実際に行ってみないと何とも言えませんが、現在は、真弓馬も宝船も村松山虚空蔵堂がつくり、授与しているようです。
かつては周辺の農民が農閑期の副業としてつくって門前で売っていたものが、いつごろから虚空蔵の授与品になったのか、おもちゃ一つにも歴史があります。








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