客人が来て、お菓子を出しました。
客人が帰るとき、台所まで湯飲みと空になったお皿を持ってきてくれました。
ちょうど流しの前にいたので受け取って洗って、さて居間のテーブルに置きっぱなしの夫のお皿も片づけようと見ると、夫のお皿にはお菓子が残っていました。
それを見て、思い出しました。客人のお菓子につけたフォークはどうしたのでしょう?
お皿と湯飲みは洗いましたが、フォークを洗った覚えがありません。慌てて流しや洗いかごを見たけれど、フォークはありませんでした。客人はもう帰られています。
まさか使い捨てと思われて捨てられたわけじゃないだろうと探しましたが、どこを探しても出てきませんでした。
ミステリアス!
というわけで、気に入っていたのにお菓子のフォークは1本欠けてしまいました。
それよりも問題はコーヒースプーンです。
コーヒースプーンと言っても、コーヒーを混ぜるのに使うことはありませんが、猫のトラのかりかりに猫缶の柔らかい肉を少しだけトッピングしてやるために毎日使います。
また、料理の最中に調味料を混ぜたり、夫が保存容器に入れた残りものやアイスクリームを食べたりと、食卓には上りませんが台所ではなくてはならないスプーンです。
これが今の引き出し、
これが4年前の引き出しです。
もともと、夫の母が持っていたものが少なくても6本、私が買い足したものが6本、12本ありましたが、何故か減り続け、数か月前から3本になっていたのが、8月になって1本だけになってしまいました。
何故減るのか、まったく理解できません。
ほかの人が一緒に台所に立って、違う場所にしまってくれていたということも過去にはありましたが、そんなこともあるかと探しても出てきません。
シンクに野菜くずを置いてそれと一緒に捨てたくらいしか可能性が見当たらないのですが、それにしても12本以上あったものが1本になってしまったというのはひどすぎます。
この小ささ、トラに餌をやるとき欠かせないのです。
食卓で、ヨーグルトやそのほかデザートを食べるときは木のスプーンばかり、カップアイスクリームを食べる時くらいしか、金属のスプーンは使いません。
その金属のスプーンも、コーヒースプーンよりちょっと大きめのスプーンはいろいろあります。
コーヒースプーンが1本になってから、まん丸いエアフランスのスプーンをコーヒースプーンと同じ場所に置いてみましたが、いつも手が伸びるのは、1本だけ残ったコーヒースプーンでした。
そこで、フォークとセットの幼児用のミッフィーのスプーンも使うことにしました。
じつは、一週間ほど前にたった一本残ったコーヒースプーンも見えなくなって慌てましたが、これは洗いかごの向こうに落ちていました。
この2本で、いつまでも持ってほしいものです。
あるある、です(笑)
返信削除我が家も漏れなくまるで神隠し?
何度買い足した事か��
なぜでしょうか?��
あかずきんさん
返信削除わぁ、同類がいた!
私はそんなとき、心の中で夫とかお客さんとかほかの人のせいにしているのですが(笑)、自分でもなくしているのでしょうね。
何故だかはさっぱりわかりません。
小さいスプーンも、夫の母のを使う前は、確か自分で買ったのがあったはずでしたが、跡形もありません(汗)。
春さんほどのコレクターでも、このようなことがあるのですね。
返信削除ところで…、またまた主題と違うのですが、この葉っぱのお皿、とても素敵ですねー。
akemifujimaさん
返信削除小さいスプーンはなくなりませんか?今日発見しましたが、小さいフォークもなくなっていました(笑)。
葉っぱのお皿は、その昔銀座松屋で偶然出会ったもので、いつだったか友人が作家さんの名前を見つけて教えてくれたのですが、忘れてしまいました。買ったときは女性の作家さんがその場にいらっしゃいましたが。
女性なんですか…柔らかなんですが、安定感がある感じが目につきました…
削除小さいカトラリー、もちろん、減ります。
買った時のケースに収納するようにすれば無くならないとアドバイスを受けたこともありますが…しかもお気に入りから無くなります。
ところで、ハサミの話なんですが、お留守の間、落日荘にお邪魔したのですが、意外なところでハサミを発見しました!今度うかがったとき、そのままにあるか興味津々で、先生にも何も言わずに帰ってきました。笑
akemifujimaさん
返信削除はさみはどこにあったんだろうなぁ?
書斎はいつも片づけきれないでいろいろ積み上げてありますが(笑)。
リビングの一角です。書斎から電子的に繋がったところの足下です。
返信削除不思議ポイントとしては、なぜ、あそこにああいう形であったのかということです。なんとなくおかれたのではなくて、意志をもって、そこに設置されたものでした。ただし、はさみという本来の用途ではなく。おそらく、薄くて、無段階の厚みを実現できるものとして使われたのではないかというのが私の考察です。