2019年12月5日木曜日

中村哲さんの死に思う

長くアフガニスタンで活動されていた、ペシャワール会の中村哲さんがナンガルハルを車で移動中に銃撃され、昨日亡くなられました。
中村さんは、パキスタンとアフガニスタン国境で20年の医療活動を行われたのち、アフガニスタンに活動拠点を移し、灌漑施設をつくるなど、農業支援をされてきました。
食べものを生産する大地があり、水があれば、人々が病気もせず安定して生きられると考えられたからでした。


世界には、平和を望まない、いつでも紛争を喜ぶ勢力がいます。紛争があれば得をする人たちです。それは武器を直接製造する人だけでなく、その部品を生産する人の利益にもつながります。ICは、今ではどんな武器にも使われているので、戦争や紛争で利益を上げている勢力には日本も含まれていて、その日本企業の恩恵を得ている私たち一人一人も無関係ではありません。
日本の4つの金融機関(三菱UFJファイナンシャル・グループ、三井住友ファイナンシャル・グループ、オリックス、第一生命)が、長年クラスター爆弾を製造する企業に投融資していたのを、やっとやめたのは、たった2年前の2017年のことでした。それまで、世界中からの反対運動があったにもかかわらず、聞き流して、投融資し続けてきたのでした。



Facebookを見ると、「こんなによくしてもらった中村さんを殺すなんて、アフガニスタン人はひどい」という、これまたお門違いの意見も見えました。中村さんの死を一番悲しんでいるのは、ご家族や近しい友人を除くと、アフガニスタンの人たちでしょう。
アフガニスタンにはなくてはならない人だったから、その効果を狙って襲われた可能性もあります。

アフガニスタンは、東西の冷戦時代に、ソヴィエト連邦やアメリカの介入で不安定さが増し、内戦状態になって国土が荒れて行きました。そして、やっと安定をみて以後も、アメリカがアフガニスタンから軍を撤退させることはありませんでした。
「タリバン勢力が残っているから」
というのがその理由でした。
西側の報道機関を通して、タリバンの悪い部分だけ報道されていましたが、いったい私たちは、どれだけタリバンのことを知っていたでしょう?実際にアフガニスタンで働いたことのある友人たちから、異口同音に訊いていたのは、
「タリバンにはアフガニスタンをよくしようと考えている素晴らしい人たちがいる。問題はアメリカ軍。アメリカ兵さえ出て行けばアフガニスタンはずっとよくなる」
と言うものでした。そして、2001年にアメリカで同時多発テロが起きてから、アメリカは問答無用でアフガニスタンを攻撃し、今日に至っています。

今回、中村医師狙撃事件で、タリバンはいち早く、自分たちの犯行ではない、自分たちは中村医師を尊敬していたという声明を出しています。
危険と言われる地域にも自由に行けたということは、中村さんがタリバンの信頼も勝ち得ていたと考えるほかありません。

誤解を恐れずに言えば、今回の狙撃の背後には、
「こんなに危険なアフガニスタンだから、もっと長く駐留する必要があるんだ」
と、駐留を正当化したいアメリカがいるのかもしれないと思ってしまったりします。
その隣国は、アメリカが敵対視しているイランだし、引けばロシアが勢力が増すとも考えているでしょうから。
アフガニスタン人こそ、いい面の皮です。

中村さんの死に報いるには、紛争をなくすることへの働きかけを、どうやったらできるか、考え続けることだと思いました。






2 件のコメント:

  1. あかずきん2019年12月5日 22:51

    福岡でも驚きと悲しみに、行き場の無い思いに溢れています、10月に講演会がありました。
    私の恩師が口癖の様に右手に正義左手に銃そこに平和はあり得ないと命を奪うその集団も正義を口にしているのでしょうか?
    土に触れキレイな水を口に豊かな実りを目指た
    事を私は決して忘れませんアフガニスタンに中村さんの意志が繋がって行く事を祈るばかりです。

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  2. あかずきんさん
    ペシャワール会は福岡でしたね。
    私がお目にかかったのはもう30年も前、当時働いていたNGOに来ていただいて、皆でアフガニスタン、パキスタンあたりの事情をお聞きしたことがありました。
    考えてみると中村さんは当時は40代でしたが、30年経ったのに全然印象が変わっていません。
    前にも書いたことがありましたが、私の「春」という名前は、飼っていた犬の小春の母という意味もありますが、中村さんがいらしたときお話に何度も出た地名「カンダハル」のハルにもちなんでいます。

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