2020年3月31日火曜日

遅くなりました、お地蔵さま

昨年の暮に、ホームセンターで赤い布を見つけて買っておきました。
というのも、2017年夏に新調したお地蔵さまの頭巾と前垂れが、すっかり古びて、その前を通るたびに申し訳なく思っていたのです。


とくにプリント模様は、はっきり言って失敗でした。
寂しい、寂しい。
やっぱりお地蔵さまの衣装は、すぐ褪せてしまうとしても赤でないといけません。


このところ悪天続きで外へ出ず、やっと裁ちました。
ところが、毎度のことながら、どんなサイズでつくったらいいか、すっかり忘れてしまっています。
今回も適当につくりました。


頭巾は前と同じ、お皿を型紙にして丸く裁ったものに8か所タックを取り、バイヤス布をつないで輪にし、紐を通しました。
前垂れは、どうせ裏返して使うことはないのですが、二枚合わせにしました。 色落ちが早いので、1年で裏返したらいいのですが、裏には蜘蛛が巣をつくったりしていて、あまり使う気にはなれず、これまで裏返して使ったことがありません。


洗濯しないのでほつれたりしないし、裏は誰も見ないのだからと思いながらも、端はちゃんと三つ折りにしました。


完成です。


早速行って、つけ替えました。
左端のお地蔵さまだけはサイズがぴったりでしたが、ほかはどうか、中の二人は紐が細すぎます。そじて、左から二番目の十九夜尊には、もう少し大きい前垂れをつくった方がよかったかもしれません。前のと比べると、ひだは少なめです。


右端のお地蔵さまの頭巾は小さすぎました。やっと頭に被せることができましたが、形がうまく取れません。
古いのも小さすぎたのに、二年半も前のこと、すっかり忘れて、また小さいのをつくってしまいました。
型紙をつくっておいた方がよいかもしれません。


外して持ち帰った古い前垂れには、ひだ飾りがついていました。そして、ちくちく手縫いでした。
今度はミシンでしたが、やっぱりミシンは早い。手で縫っていたら、半日では出来上がらなかったことでしょう。


お地蔵さまにはやっぱり赤です。
替えようと思いながら、昨年のお盆には間に合いませんでした。今年のお正月にもお彼岸にも間に合いませんでしたが、やっとできました。
お地蔵さまたち、喜んでくれているでしょうか。








2020年3月30日月曜日

BCGと新型コロナウイルス

本日は、興味深い記事を目にしたので、それをシェアしました。


写真は今朝の加波山。昨日の雪が残っています。





2020年3月29日日曜日

ナンバリング

朝から雨が降り続いています。
東京では雪が降っているらしい、こちらは雨主体で時々、ぼたん雪に変わっています。

昨日もお天気がぐずついていたので、二階を念入りに掃除しました。今日は一階の掃除ですが、寒いので、ちんたらやっています。


さて、デスク周りにばらばらしているレシートなどを片づけていたら、ナンバリングスタンプが転がっていました。
かつて、書類や原稿に番号を打ったり、事務所では受け取った郵便物に日付を入れるために必需品だったナンバリング。
今でも使っている人がいるのでしょうか?


ナンバリングは、簡単に番号を打つ文房具です。
紙の上に置いた状態で、ハンドルを素早く押し下げると、6桁の番号が打てます。


この部分で「1」に設定してハンドルを押すと、「000001」と記されたあとは自動的に数字が送られて、次は「000002」になり、「999999」まで打てます。
そして「2」に設定すると、同じ番号を2回押してから、次の番号に移ります。「3」「4」も同様、それぞれ、3回ずつ、4回ずつ同じ数字を記してから次に移ります。


やってみると、インクが切れているのか、何十年も放置していたのでインクが乾燥してしまったのか、 文字がしっかり打てません。
「ねぇ、ナンバリングを捨てていい?」
と夫に一応了解をとります。
「インクさえ入れれば使えるだろう。取っといても場所も取らないし」
それはそうだけれど、もう何年も出番がないものです。
いったい、いつ誰がインクを買って、いつ誰が使うというのでしょう?


というわけですが、取っておくことにしました。
コレクションというほどのものでないし、文房具の引き出しにも入らないし、2穴パンチ同様、そこら辺に転がして置く以外ありません。


もっとも、2穴パンチは、我が家ではバリバリの現役ですが。





2020年3月28日土曜日

新型コロナウイルスの拡大が続くうっとうしい週末、空には暗雲も立ち込めています。


窓の外に見えるソメイヨシノは、その昔、季節外れだからと売れ残った苗木を植木屋さんからいただいて、ほかの人の土地に勝手に植えたもの、今、満開です。
その向こうの山は、今日は煙って見えません。


やはり、植木屋さんにいただいたスモモは花の盛りを過ぎ、散る前に鮮やかな新芽が出はじめました。
トチノキは、まだまだです。


二階への踊り場から見える山桜は、これで満開でしょうか。
まだ散りはじめてないので、七分咲きくらいかもしれません。
 

雨が降り出しました。





2020年3月27日金曜日

製図用具


引き出しの中に、後生大事にとってあるものがあります。
製図用具、息子のコンパスです。
かつて夫のコンパスもあった、私のものもあった、でもとっくになくして、これは息子が学生時代に使っていたものの一部です。


ところが、尖った針や鉛筆の芯を止めるネジ金具が、すべて失われています。それに、これだけではなかったはず、もっといろいろ種類があったはずです。
そうなのです。製図用具というものは、大切にしていても何かしら失くなってしまう、そして、いつか失くなったものが出てくると取っておいても出てこなくて、使いものにならなくなってしまっても捨て時に迷うものなのです。

ネットショップで、製図セットを見つけました。写真で見る限り、揃っているみたいでした。
とくにカラスグチが懐かしかったので購入しました。


箱の横に金属の棒の先に釘のような頭がついていて、それを引っ張って開ける構造、そうそう、こうやって開けなくてはならないものが、祖母の家にもありました。
私や夫の時代というより、私の父の時代のもの、こんな箱が引き出しの中にあったのは覚えていますが、中に何が入っていたかは思い出せません。


開いて、しげしげと見ると、ビロードでできたくぼみに収まって、コンパスやカラスグチが奇跡のように、全部そろっています。

私はカラスグチを、ポスターカラーを使って、絵(いわゆるグラフィック)を描くのに使いました。夫は製図するのに使いました。
コンピュータで図面が書けるようになる前は、製図はすべて手書きでした。この製図器具をつくるにも、ほかの製図器具を使って図面を起こしただろうし、小さな精密機械から、大きな汽車や飛行機の設計をするのも、すべて製図器具を使って、紙の上に描きました。


コンパスは、左から本体、先のとがったケガキするもの、鉛筆の芯、コンパスの直径を大きくする延長部品、そしてカラスグチです。


カラスグチは、ネジで線の太さを調節し、墨壺やインク壺に入れて墨やインクを隙間に含ませて使うものです。


左は小さな円用の精密なコンパス、真ん中はコンパスに装着するもの、右は直線定規や雲型定規を使って、図面の墨入れをするのに使います。


鉛筆の芯入れのねじの細かいこと、これは手でねじを切ったのかもしれないけれど、鉛筆の芯ホルダーは、図面を描いて、その通りに仕上げたものです。お尻のネジを回すと、鉛筆の芯が出たり入ったりします。


動物の骨(象牙ではないと思う)でできた物差しの目盛りも数字も、手で彫ってあります。
ちなみに、単位はセンチではなくて寸です。
  

この小さなものだけ何だかわかりませんでした。
カラスグチは使用するうちに、ざらざらしたトレシングペーパーで削れて、先が太くなるので、時々研がなくてはなりませんが、砥石ではないようです。


ところで、うっかり見逃すところでしたが、箱の蓋の部分につまみがあるのに、写真を見て気がつきました。
物差しがあったので、十分と思っていましたが、この中に何かあるはずです。


開けると、分度器と布が入っていました。


布は、分度器が動かないように入れたものだと思われますが、広げてみると、まぁ、使い古したぼろ布でした。
こんなぼろ布を大切に使うような人が、当時は高額だったに違いない製図器具を持っていたことに、驚いてしまいました。
おそらく、何にもまして大切な宝物だったに違いありません。


その分度器の目盛りは、手彫りでした。
円の中心に穴が開いているので、丸い線は、自社のコンパスを使って、ケガキの部品で彫ったものに違いありません。


そして、数字は裏から、手で彫っていました。


カラスグチが欲しいと手に入れた、コンパスセット、思いがけず小林理研の職人さんたちの熱い心や、持っていた人の熱い心に触れることができました。







2020年3月26日木曜日

パクチー三昧

いつもの農産物直売所の、並んでいる野菜の中に、遠目にパクチーのようなものが見えました。


近づくと本当にパクチーで、表示も「香菜」ではなくて、タイ語の「パクチー」でした。八郷でパクチーを見つけたのは初めてです。
みずみずしいパクチーを、これからも出荷してくれるよう応援するために、もっと買いたいとは思いましたが、そうそうたくさん食べられるものではありません。1袋だけいただいてきましたが、たっぷり入って150円でした。

さて何をつくろうか?
すぐに思いつくのはヤムウンセン(春雨のサラダ)ですが、数日前に食べたばかりです。
もっともその時はパクチーなしで、庭のわけぎだけですませました。
センレグナーム(ビーフンの汁もの)もいいのですが、麺入れの箱を見ると、あいにくビーフンを切らしています。
それではと、カイヤッサーイ(タイ風オムレツ)をつくることにしました。


ひき肉と玉ねぎの薄切りを炒め、


キュウリの千切り、トマトも加えて炒め、味つけをしておきます。


溶いた卵をフライパン(本当は中華鍋でつくるのだけれど、自信がない)で焼き、その上に炒めた具を乗せ、


四方から、卵を寄せます。


そしてお皿にひっくり返して盛ったら出来上がりです。
なにせパクチーをたっぷり食べるためにつくっているので、パクチーをてんこ盛りにしました。パクチーが多すぎて口の中がゴワゴワしましたが、堪能できました。


次の日のお昼ご飯には、残っていたご飯でカオパッ(タイ風チャーハン)をつくりました。
これもパクチーがたくさん乗っていますが、口の中がゴワゴワしないよう、カイヤッサーイのときよりちょっと小さめに切りました。
さて、まだ半分近く残っていますが、時間も押していて、ヤムウンセンをつくるのが、なんとなくおっくうになりました。
「夕ご飯、何にしようか?」
と夫に訊くと、
「何でもいいよ。簡単だからお鍋にしたら?」


というわけで、残りのパクチーは、お鍋の具になりました。
ほかの青ものはセリ、ちょっと似たもの同士すぎました。


しらたきを使わないで春雨にして、ちょっとだけエスニック気分を味わいました。

もし、これからも直売所でパクチーが時々売られるようなら、太めのビーフンを常備して置いて、今度こそ夫の好きなセンレグナームをつくりたいものです。






2020年3月25日水曜日

ロシアの動くおもちゃ

木工の盛んなロシアには、木のおもちゃがあります。
今では工場でつくられている木彫りの動くおもちゃは、もともとは、子どもたちを楽しませるために、木工に携わるお父さんたちが、仕事の合間につくったものだったと言われています。
動くおもちゃは、マトリョーシカのふるさと、セルギエフパサードの近郊の、バガロツカエ地方で、今も盛んにつくられています。

バガロツカエ工場。写真はリャビーナのブログから拝借しました。

以下、「ロシアの工芸、雑貨、器のお店リャビーナ」の店長さんの、バガロツカエにある「からくりおもちゃ工場の訪問記」の写真をお借りしました。


舟に乗ったウサギの制作中、木は乾燥した西洋菩提樹です。
作業台の左の手前にあるのが舟の材料です。


舟の内側を削り終えると、舟の脇にかかります。


目にもとまらぬ速さとはいきませんが、木片はあっという間に舟になるそうです。


手で削ったとは思えない、左右対称の舟ができました。
ウサギを舟に座らせます。この写真で奥に転がっているのが、たぶんウサギの材料でしょう。
完成品の写真は載っていなかったのですが、別のところで見た画像によると、ウサギが両手にオールを持って舟を漕ぐようです。
土台をつくる職人さんの仕事はここまで、ここからは、からくりをつくる職人さんの手にゆだねられます。


箱に入っているのは、両手で太鼓を叩くクマのようです。


からくりをつくる職人さんは、紐のついた動くパーツ(この場合は、左手前に置いてあるクマの腕)を釘で本体に取りつけ、錘の玉をいい具合にぶら下げて、何度も動かして微調整して出来上がりです。
  

できあがった動くおもちゃ、鐘を鳴らすクマです。

以上、リャビーナの写真をお借りしました

チェスをするクマさんは、一部彩色しています。


ここからは、私の持っている動くおもちゃです。
マトリョーシカを絵つけしている「クマの画伯」は、台座を持ち上げて、ぶら下がった玉を回すように動かすと、右手が上下して、マトリョーシカを彩色します。


ソヴィエト時代につくられたもの、バラライカを持ったクマとウサギ2匹の構成です。


玉を動かすと、


熊はバラライカをかき鳴らし、


2匹のうさぎたちは片足をあげたりさげたりして踊ります。


裏を見ると、Made in USSRは読めますが、キリル文字が読めません。


UPしていなかったけれど、ソヴィエト時代の餌をついばむ鶏も、我が家にいます。
おもには轆轤(ろくろ)仕上げの「餌をついばむ鶏」ですが、鶏の首や尻尾は、ナイフで仕上げてあります。


「餌をついばむ鶏」の裏です。


最初の、半分消えているキリル文字はバガロツカヤと読むとわかりましたが、あとはわかりません。
踊りを楽しむ動物たちも「餌をついばむ鶏」も、スタンプ印に85という数字が見えます。1985年につくられたということでしょうか?


「餌をついばむ鶏」は、台座に合板を使っています。
もちろん、当時は何もかも国営工場でつくられていたのですが、合板という工場製品を買って使った方が手っ取り早かったということは、「餌をついばむ鶏」をつくった工場は、比較的大きな工場だったのかもしれません。


持ち手のつけ方も、合板を使えば必然的に変わってきて、「餌をついばむ鶏」は釘で打ちつけてあり、踊りを楽しむ動物の方は、組み込んであります。
  

ところで、以前はロシアのものだとばかり思っていた右手前の「餌をついばむ鶏」は、こうやって並べてみると、ロシアではなくほかの国でつくられたものに思えてきました。
ソヴィエト時代につくられたものとしても、印象が違いすぎます。
それに、裏にMade in USSRのスタンプ印はありません。


錘の玉のつけ方が、ロシアのものは、昔も今もおへそのようにちょっと盛り上がったところに、紐を埋め込んでいますが、この写真では左の「餌をついばむ鶏」は、玉にU字の釘を打ってそれに紐を結んでいます。
ただのタコ糸と紅白の紐というところも違い、その紐もロシア製のほかのものよりずっと長くつくられています。そして、決定的に違うのは、鶏の頭が轆轤でドーナツのようにつくったものを切ってつくってあるということです。
以前の「餌をついばむ鶏」のところでは、鶏の頭が轆轤で挽いたものを薄切りにしていて、まるでドイツのようだと書いてしまいましたが、これそのものがドイツでつくられたものだったかもしれません。

「餌をついばむ鶏」は、ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア、ドイツ、スウェーデンなど、ヨーロッパ諸国でもつくられていたようです。
チェコのおもちゃの本には、チェコでつくられた「餌をついばむ鶏」が載っていて、複雑なつくりではないようですが、鶏の頭はやはり薄切りにしているようにも見えます。

『ロシア 暮らしの中のかわいい民芸』小我野明子著より

さて、写真の女性が3人で何かしている動くおもちゃは、セルギエフパサードにある「おもちゃ博物館」に展示されているものです。
玉を回すと女性たちが何をするのでしょう?
興味津々です。