2020年4月20日月曜日

掃除するぞ!ってわけじゃないけれど

新型コロナウイルス騒動で自宅待機を余儀なくされ、普段はできないことをやる人が増えているようです。
でも、お菓子づくりや手の込んだ料理はできても、掃除はやっぱりできないという声もあるようです。家の中をものすごくきれいにしている人は普段からきれいにしていて、私のように適当にやっている人や掃除を後回しにしている人は、なかなか「掃除の楽しみ」を見つけられないのかもしれません。
這いつくばって、ごみは一つも残さないぞと丁寧に掃除機をかけて、やれやれと掃除機をしまってからごみを見つけてしまうむなしさ。もっとも、そんなむなしさを味わっているのは、私だけなのかもしれませんが。
床はよく見ていても、上はそう見ていません。光線のあたり具合でクモの巣が見えたり見えなかったり、気がつくと細い糸が垂れていることがよくあります。


しかし、これはひどい、笊を使おうとしたら、しっかりクモの巣に覆われていました。
目を開けていても、見ようとしないものは見えてないことがわかります。


しばらく前から、食器棚の戸が開きにくくなっていました。
とうとう、途中から開かなくなったので、戸を外して削ろうと思いながら、とりあえず木の粉を掃除機で吸い取り、雑巾がけすると、あら不思議、難なく開くようになりました。
「なぁんだ」
木と木がこすれて、少しずつ細かい粉がたまるのですが、それが原因で開きにくくなるとは考えていませんでした。
さて、これを機会に食器棚の中を掃除して食器を整理しようと、食器棚の八分の一ずつ、中の食器を取り出して掃除して、奥の方の何年も使ってなかった食器を前にやったり、散らばっていた同類を集めたりしました。
ところが、念入りには八分の二やっただけで疲れてしまい、あとは適当に済ませました。
「まっ、いいか」
というわけで、掃除は奥が深いです。







6 件のコメント:

  1. 溜まった資料や近現代史を振り返り楽しく遊んでいます
    いったい彼らはどういう方向が目標だったのかなー
    例を挙げれば労働争議や学生運動や内ゲバなど。

    返信削除
  2. 昭ちゃん
    労働争議は今となってはただの賃金値上げ要求以外の何物にも見えませんね。一時はそれが死活問題であった時代もあったのだけれど、自分のことばかり考えているうちに、世界の変化が見えなくなってしまったのでしょう。
    内ゲバに至っては、なんの感想もありませんが(笑)、今、元赤軍派の重信房子の娘の重信メイの書いた、『「アラブの春」の正体』という本を読んでいますが、面白いです。
    いずれにしろ、単眼ではなく複眼を持って見る、考えるということが大切ですね。

    返信削除
  3. つくば市では、クリーンセンターが長蛇の列らしいです。みなさん、掃除がはかどっているのでしょうか。
    うらやましいです。

    返信削除
  4. 私が九州にきた翌年1946年労働組合が結成され巨大な炭労という
    組織になりました。会社と勞組は対等で有ると言う錯覚も。 笑い
     CDを娘にモーラムとインドネシァのガメランです。

    返信削除
  5. akemifujimaさん
    えぇぇぇ、皆さん掃除がはかどっているのですね。
    それにしても、古いシーツとかどうしてます?部分的に穴が開きそう、布が薄くなっているので新しいのを買ったとき、古いのが捨てられません。何かに使えるかしらと思って、ついつい捨てそびれています。昔は裂いて使い捨ての雑巾にしていましたが、タオルもそこそこ古くなるので、雑巾も過剰気味です。
    これは一例ですが、事程左様になかなか掃除ははかどりませんね(笑)。

    返信削除
  6. 昭ちゃん
    ほんと、10年一日の如しとは言いますが、社会は刻々と変わっています。日本にもお腹がすいてどうにもならないという時代がありましたね。
    今日はたまたま「小さな旅」というテレビ番組を目にして、若松の理髪店の店主の方(82歳女性)が、大連から引き上げてすぐお父さんが亡くなって、お母さんが散髪屋さんになって9人の子どもたちを育ててくれた話をしていましたが、私だったらどうやって食べさせようかと途方にくれて育てられないと思いました。
    今だって日本にもそんな人はいるという人もいるでしょうけれど、何でもやる気になれば命はつないでいける時代、でもそれがいつまで続くのかは、しっかり考えた方がいいですね。

    返信削除