どちらも3.11で失われた、成田山の招き猫 |
ところが戦後、常滑でつくられた大量生産の招き猫は申し合わせたように小判を持っていて、招き猫=小判持ちのイメージを、日本中に定着させました。
そんな猫たちですが、鞠も小判と同じほど、よく似合います。
以下は、我が家に生息する、毬を持った猫たちです。
多摩張り子。
奥は、「日本招猫倶楽部」で2011年に復刻された三河系毬持ち猫で、手前は仙台のおひなっこやの毬猫です。
毬猫は、2011年の地震で壊れ、修復したものの一部破損しています。
左側は射的の的、右側はフロック加工の猫です。
どちらも、なかなか複雑な型を使ってつくってあります。
弟がくれた毬と戯れる猫は土でできています。
左奥はいまどきさん(吉田義和さん)が型を起こされた、今戸焼きの毬猫。かつては今戸でつくられていたものの、戦前にはすでに廃絶していた猫です。
右奥は招き猫作家の櫻井魔己子さんの、毬(玉)乗り猫です。
そして左前は山形張り子の、右前は京都の土の毬猫です。
鈴木若弥さんの猫は、別につくった「毬つき」です。
ブリキの猫と木の猫は、毬を転がして遊んでいます。
輸出用だった毬つき猫は、集合写真に加えるのを忘れてしまいました。
毬つき猫のリンク先の記事を読みましたが、ソフビ・ブリキ・セルロイドの3種混合の人形なんてものがあるのですね。気になっていろいろ見ていたら、箱のマークが増田屋コーポレーションの昔のマークと似ていました。http://www.timandsailor.com/shopdetail/000000000723/
返信削除hiyocoさん
返信削除すご~い!
増田屋コーポレーションの製品にま違いないですね。創業1724年ですって!
hiyocoさんが紹介してくださった猫はかわいいかったです(^^♪でも、増田屋のHPの「増田屋ミュージアム」の「どうぶつ」には、残念ながら猫は全然入っていませんでした。その「ひと」を見ると、すべてのおもちゃが輸出用につくられていたことがよくわかりました。
ありがとう。