2020年6月26日金曜日

鶏を抱いた乙女

『ロシアのマトリョーシカ』より

ロシアのマトリョーシカ、「鶏を抱いた乙女」は、1900年にパリで開催された万国博覧会に出品され、高い評価を得ました。
8個の入れ子でつくられた娘たち(と1人の男の子)は、伝統衣装のサラファンを身につけ、頭に更紗のスカーフ(プラトーク)を巻いている、農家の子どもたちの姿を描いたものでした。
プラチナの針を熱して細い線を描く、19世紀末にロシアで流行した焼き絵の技法が使われていて、装飾は控えめでした。

19世紀のロシアでは、各地で木彫り、旋盤細工(轆轤(ろくろ))、陶器、金属、張り子などのおもちゃが盛んにつくられていて、マトリョーシカが生まれるための、十分な素地がありました。とくに、モスクワ郊外のボドリスク郡では木工が盛んで、旋盤業に携わる職人は当時、100人を越えていました。
この地では昔から、中を刳り抜く細工が知られていて、入れ子になったイースターエッグには、100個組みの入れ子になったものもありました。
19世紀末、教育玩具が盛んにつくられた時代に、資産家マーモントフ夫妻は工房《幼児教育》を立ち上げ、「地域の技」を発掘し、評価し、世に広めようとしました。
1890年代の終わりごろ、マーモントフ夫妻の工房で、旋盤工のズビョーズドチキンが、8個の入れ子になったマトリョーシカをつくりました。雑誌でヒト形の木っ端を目にしたズビョーズドチキンは、同僚たちの助言ももらいながら、もっと人間らしく見えるよう形をつくって、中を刳り抜いて入れ子にしました。日本の箱根細工の入れ子の七福神やだるまも、彼を刺激したと言われています。
マモントフはズビョーズドチキンの入れ子が気に入って、画家であるマリューチンに彩色を頼みました。そしてこれを、1900年のパリ万国博に出品したのです。

マトリョーシカ「鶏を抱いた乙女」は、パリ万国博で大人気を博し、銅賞を獲得しました。
以後、ロシアではたくさんの芸術家たちや職人たちがマトリョーシカづくりに携わるようになりましたが、ヨーロッパでの人気に応えて安定供給するためには、地域を定めて大量生産が可能なおもちゃとして、生産体制を再構築しなくてはなりませんでした。その拠点となったのが、セルギエフパサードでした。
その後、セミョーノフなど、ほかの地域にもマトリョーシカ産地ができ、ソヴィエト時代になっても、マトリョーシカがつくられ続けてきました。

コケーシカのブログより

「鶏を抱いた乙女」は、マトリョーシカの原点でした。
セルギエフパサードのマトリョーシカの中には、その姿を踏襲するものもありましたが、大量生産のため、絵つけは簡略化されました。

コブロフスタジオ作

しかし、ソヴィエト崩壊後には、何人かの作家たちによって、「鶏を抱いた乙女」の復刻版が試みられています。


我が家にも、アンニャ・リャボヴァさんの「鶏を抱いた乙女」があります。
しかし、鶏や鎌を持っているものの、初めてのマトリョーシカを忠実に写したものというより、リャボヴァ色の強いマトリョーシカです。


『ロシアのマトリョーシカ』より

それに比べると、マリア・ドミートリエバさんの「鶏を抱いた乙女」は、一目でマリアさん作とわかるものの、ほぼ完全な復刻版となっています。
マリアさんは、「鶏を抱いた乙女」のマトリョーシカをもとにして、抱き人形(写真の左下)もつくっています。こちらはさらに当時のロシアの乙女を彷彿とさせています。


さて、今年の3月の半ば、あるロシア雑貨店の店主のブログで、ナタリア・バローニナさん作の「鶏を抱いた乙女」の復刻版がロシアから発送されたという記事を見つけました。
マトリョーシカに関心がある人なら、見過ごせない復刻版、ダメもとで訊いてみると、2セットのうちの1セットはまだ嫁入り先が決まっていなくて手に入るとのこと、4月初旬には手元に届くというので、喜び勇んで購入することにしました。
私のマトリョーシカ収集の、集大成にふさわしいマトリョーシカだと思ったからでした。

ところが、コロナ騒ぎで運輸が滞り、待てど暮らせど届きません。
5月のはじめにはショップから、どうなったかわからないので、もし解約するなら返金するとの連絡もいただきました。しかし、ナタリア・バローニナさんの復刻版を手にすることのできる、最初で最後のチャンスだと思い、私は届くまで待つことにしました。


ロシアからの荷物はどこをさまよっていたのか、3か月余を経て、6月も半ばも過ぎてやっと日本に届き、そして我が家にやってきました。


思ったより大きいもの、高さが21センチありました。
昔のセミョーノフのマトリョーシカならいざ知らず、現代つくられているものはほとんどが16センチ以下、21センチはかなり大きく感じます。


何度も見たことがあるので、知っていたといえば知っていた子どもたち、知らなかったといえば知らなかった子どもたち。どれもが「ロシアの子」を彷彿とさせています。


初めて見る後ろ姿、前から見るとエプロンで隠れていますが、素朴な模様のサラファンやスカートが、なかなか素敵です。


色や模様を忠実に再現しているのに、マリア・ドミートリエバさんの復刻版同様、一目でナタリア・バローニナさん作とわかるのが面白いところです。
改めてお二人の力量を感じた、復刻版マトリョーシカでした。






7 件のコメント:

  1. 無事届いてよかったですねー!お店の人もヒヤヒヤしたでしょう。
    男の子も混じっているのですね。下から2番目の子が指をくわえているのがかわいい!

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  2. ついでに、車庫の記事にもコメントしてますので宜しくお願いします(笑)!

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  3. hiyocoさん
    いつまでもマトリョーシカでもないと思うのですが、江戸の浮世絵の木版技術のように、マトリョーシカは轆轤と絵つけと合わせた技術として、今がマトリョーシカの歴史上、最高なんでは?と思ったりします。
    じつは、マトリョーシカの男の子あんまり好きじゃないんです。だいたいかわゆくないし(笑)。でも、これはもともとこの組み合わせですから、好きも嫌いもありません。

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  4. これ(最初の写真)原点ですね。色合いとか子供のバリエーションとか、素朴でかつ十分練られている感じがします。ペイントの技術を派手に見せつけるようなのも凄いですが、やはりこれは落ち着いてみられて、一家の物語も感じられて好きです。
    「ロシアのマトリョーシカ」に出ていたの、欲しいー、と思いましたが(^^;)。
    マトリョーシカの男の子は首をプラトークで誤魔化せなくて、妙に太くなりそこでまず違和感が出ますよね(笑)。

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  5. 良いですねー。今まで見たマトリョーシカの中ではベストです。春さんが「マトリョーシカ収集の、集大成」とおっしゃるのが分かります。ロシアの民族が凝縮されている様な。早速、おもちゃ美術館の専属学芸員に情報提供させて頂きました。

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  6. karatさん
    後のマトリョーシカに大きな影響を与えた最初のマトリョーシカ、今見ても非の打ち所がないし、風格がありますね。
    マトリョーシカの男の子のこと、どうも好きになれなかったのですが、そうか、絵つけで無理を感じられるのですね。さすが、つくっていらっしゃる方ならではの視点、合点が行きました。
    改めて道上さんのご本で男性マトを見てみると、髭とか冠とか襟とかのない男の子はすべて、首のあたりがちょっと間抜けな感じがすることに気づきました(笑)。

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  7. reiさん
    おっしゃる通り、バローニナさんの復刻版の子どもたちは、とても自信に満ちた明るいお顔をしています。
    100年後にはどんな評価をされるのかしら?とてもそれまで生きてはいられませんが(笑)、それに地球もどうなっているかわかりませんが、想像すると愉快な気分になります(^^♪

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