「忖度(そんたく)という言葉について」
あるとき、女房が対応したのであるが、ある人が我が家に入ってきて、いきなり「東大教授の○○です」と申された。気が強い女房は、「それが、どうしたんですか?」ともいうべき、いかにも見下す態度を取ったために、その教授は一瞬ひるんだ様子を見せたが、一応は事なきを得た。
この風景こそ、「忖度」というのだ。相手がひれ伏してそれなりの気を利かせ、ずうずうしくも自分が有利な位置に立とうとする「不遜な態度」に対応して、いらぬ「お世話」をすることを「忖度」というのだ。なぜこのような習慣が、いまだ根強く日本に残っているのだろう。安倍首相にへつらう森友学園事件の佐川元財務局長をはじめとして「忖度」を頻発する役人は多く、また役人でなくとも、会社などの上下関係において似たような現象を見ることができる。
忖度は、「この印籠が目に入らぬか」と叫んだ水戸黄門の付き人のように、なぜか日本には昔から存在した。テレビで見ると、水戸黄門の場合は、場面の最後の方に印籠を見せて権力によって押しつぶす方法を取っているが、くだんの東大教授の場合は、最初から印籠を「ちらつかせて」、我を通そうとしたじつに悪質な輩である。
忖度という言葉を改めて辞書で引くと、「推し量って相手に配慮すること」とあるし、またこの言葉に相当する英語はないのではないかと辞書を引いてみると、「conjecture憶測、degree度、肩書き、guess推測, 察し」という言葉が出てきた。
僕は、自分の希望ははっきりと口に出して相手に伝えるようにしている。さもなければ「卑怯」だと思うのだ。先日も同じような場面に遭遇したが、僕は聞かぬふりをしてやんわりと、しかし明確に拒否した。このような現象が生じるのは、明らかにこの社会に「上下関係」があるためである。年齢や社会的重要さを考えて、僕も敬語を使うことはあるが、あらゆる条件を越えて、人は同じ地平に立っており、このような「嫌らしい世界」は過去のものにしたいと思う。
今朝はつまらない話になったが、スウェーデンの幼児教育が「自分の考えを人の前ではっきりと表現できること」を目的としていると聞いて、われわれもこのような忖度の時代は終わりにして、はっきりともの申す習慣を身につけない限り、これからの地球社会の困難さを乗り越えられないと思い、投稿させていただきます。
以上が、夫の投稿です。
じつは、さらりと書いてありますが、「先日も同じような場面に遭遇した」というのが、これを書く発端となったのです。そして、そのことをはっきりと書けない(相手が投稿を読むから)ために、古い冒頭の話を持ち出して、やんわりと意思を表明したと本人は思っているのですが、よく話が通じていなかったのではないでしょうか。なぜなら、冒頭の挿話と、「先日も同じような場面に遭遇した」話の共通項が東大教授だったとは、Facebookを読む人は気づかないと思うからです。「先日も同じような場面に遭遇した」の元東大教授は、自分のしたいことをはっきり書かず、夫に忖度して欲しいことを、におわせてきたのです。夫も私も非常識ですから、単刀直入に言ってくれさえすれば、喜んで受け入れたのですが、オブラートに包むようにして断ってしまいました。
さて、冒頭の挿話はずいぶん前の話、夫はおもしろおかしく、私が東大教授を見下したと書いていますが、見下したりしません。自分から東大云々とか、元どこどこで働いていたと大手新聞社や大企業の名をあげたり、誰々さんと友だちと著名な方の名を出したりする人には、つい距離を置いてしまいたくなり、我が家にいらっしゃる間、ほとんど無視しただけでした。夫の投稿には、結構な数のコメントが寄せられていましたが、長くアマゾンの先住民にかかわっているMさんのコメントは素敵なものでした。
さて、冒頭の挿話はずいぶん前の話、夫はおもしろおかしく、私が東大教授を見下したと書いていますが、見下したりしません。自分から東大云々とか、元どこどこで働いていたと大手新聞社や大企業の名をあげたり、誰々さんと友だちと著名な方の名を出したりする人には、つい距離を置いてしまいたくなり、我が家にいらっしゃる間、ほとんど無視しただけでした。夫の投稿には、結構な数のコメントが寄せられていましたが、長くアマゾンの先住民にかかわっているMさんのコメントは素敵なものでした。
「アマゾンの先住民の社会は、(過去に、カッコ内は私の補足)どんなに地位、名誉、権力があろうと、「今」がステキでないと認めてくれません。(自分も)常に自分に正直で、嘘がないか(問い直さなくてはならない)合わせ鏡のように厳しいです。無形の人として大事なことを学ぶ地でもあります」
と書いてありました。名刺の裏に、元の職業を列記している人は、忖度する日本人にとっては意味があっても、アマゾンでは何の意味もないということです。
また、Nさんは、
「江戸時代の武士の社会はすべて忖度で、忖度がうまくできない人は、常識が欠けた人として誹られた」
とコメントされていました。
日本の歴史は中世から連綿と忖度が積み重ねられた歴史、一朝一夕では崩れないのも、さもありなんです。
と書いてありました。名刺の裏に、元の職業を列記している人は、忖度する日本人にとっては意味があっても、アマゾンでは何の意味もないということです。
また、Nさんは、
「江戸時代の武士の社会はすべて忖度で、忖度がうまくできない人は、常識が欠けた人として誹られた」
とコメントされていました。
日本の歴史は中世から連綿と忖度が積み重ねられた歴史、一朝一夕では崩れないのも、さもありなんです。
確かに名刺の肩書きに元〇〇と書かれた名刺を、、、
返信削除住所だけではバランスが取れないのかなー
いよいよ梅雨明け直前、昨年の様に夏型の上に
モンゴルの熱風が蓋をする長い夏かなー
仕事ご用心を、、、、。
昭ちゃん
返信削除まだ、うっとうしい日が続いています。
でも屋根の下でできる仕事もあるので、今日はこれからホームセンターに部品を買いに行ってきます。
昭ちゃん、名刺の裏に、「元何々」と10以上列挙した方をたくさん見ましたよ。男に多いですね(笑)。
私は、肩書を言われても言われなくても、自分で判断しますが、初対面でいきなり元肩書などを見せられたら、即50点減点くらいになってしまいますね。仕方ないでしょう(笑)。
姐さん隣組長の肩書きには笑が止まりませんでした
返信削除本人が真面目な方だけに。
定年退職後もかつての肩書をふりかざし、俺は偉いんだぞとふんぞり返って他人を顎で使う高齢の男性に遭遇する事があります。かえって哀れで可哀そうな人に見えてしまいます。
返信削除(忖度せずに)話は逸れますが、今回の新型コロナにはアマゾン原住民にも感染が広がっていると言うニュースを聞き、ノンフィクション「ノモレ」に書かれていた原住民イゾラドは大丈夫だろうかと心配しています。旅行者などにより外から持ち込まれるウィルスに、免疫を持たない彼らが感染する事で、一族が絶えてしまうリスクは非常に高いと書かれていました。アマゾンの広域火災も報じられ、やはりイゾラドはどうしているかと訪れた事も無い遠いアマゾンの人々を思ってしまいます。
なかなか自分から「教授です」とは名乗らないですよね~。東大あるあるなのかな。今の流行りの言葉なら「マウントを取る」ですかね。
返信削除旦那さんからみた春さんは「気の強い女房」なんですね(笑)。
「○○の高橋です。」といった感じで、所属を自ら名乗るのをエチケットとして習慣化している人は多いかと思いますが、そのこと自体より、そのときの態度というか雰囲気に、何かを感じられたのではないかと思いました。
返信削除落日荘訪問を自邸訪問というより、モデルルームを見に来たのを同じにしてしまったのかもしれません。つまり、ビジネスのお付き合いとして訪問を受け付けていると勘違いする例です。案内した人に責任がありそうです。
昭ちゃん
返信削除笑っちゃだめです(笑)。
reiさん
返信削除アマゾンの人たちは心配ですね。
南米では最初、お金持ちしかかかっていないと聞いて、「へぇぇ」と思っていたのですが、ブラジルでは単にお金持ちがイタリア旅行してウイルスを持ち帰ったというだけのことのようでした。今ではファベイラにも広がっています。
とにかく大航海時代には、戦闘によって殺されたよりもたくさんの人々が病原菌によって命を落としているというのですから、なんとか再びそんなことが起こらないよう、祈るばかりです。
hiyocoさん
返信削除そうですね。もしかしたら「東大で教えている」といったのかもしれないですね。何しろ古い話ですから(笑)。
もちろん、東大を出た方でもそうでない人はたくさんいるのですが、自信のない人に限って、顔に「東大」と書いているような気がします。
いえいえ夫から見た私は、気が強いというより、融通の利かない、頑固な人という感じです(笑)。杓子定規とも言われています(爆)。
akemifさん
返信削除東大をおちょくって、申し訳ありません(笑)。
もしかしたら、あれも私の過剰反応かもしれないです。それに、そちらは、あくまでも「先日も同じような場面に遭遇した」さんの話のカモフラージュというか、枕詞でした。
「先日も同じような場面に遭遇した」さんの方は、「こうしたい」とおっしゃればいいのに、婉曲に言ってみればこちらが忖度して、いろいろおぜん立てしてくれるだろうと思っている感じ、忖度してくれて当然だ感が出ていたので、これまでずっと、周りから忖度される人生だったんだろうなぁと思った次第でした。
まっ、気にしないでください(^^♪
なるほどです…。
返信削除奢れるもの久しからず、的なことでしょうか、悲しい出来事です。
ま、春さんご夫妻には無縁な出来事ですね!♪
こんなときこそ、わおーん♪
落日荘に向けて遠吠えしたくなります。😁
あ、春さんちの出来事だった笑
返信削除akemifさん
返信削除おごれるもの久しからずとはちょっと違うかなぁ。
例えば、小さいころから勉強ができた子どもがいたとします。小さな町でみんなにちやほやされて、自分では何も努力しなくても周りが放っておかなかった。ところが、都会の大学に入ってみたら、誰もちやほやしてくれない。でも自分では友だちのつくり方がわからない。誰かにちやほやして欲しい。こんな子が○○大学にたくさんいまいました(同じ場所での自殺が続いたこともありました)。
ところが、それすらなくて、社会に出ても忖度され続けてきた、自分は勝ち組と思い続けている人もいます。そんな感じですかね。周りが忖度しないのは自分のせいじゃないみたいな。寂しいですね。寂しくなりました。
わお~ん♪遠吠えしましょう!