2020年11月13日金曜日

わかば染

家庭用の染料は、戦中戦後大流行しました。
手元に着物や毛糸はあったものの、新しい布や毛糸が手にまったく入らない状況で、人々は、家庭で染められる染料を買っては、手持ちの布や糸を染めて、子どものセーターを編んだり、お布団をつくったりしたのです。
家庭用染料の最大手は「みやこ染」でした。みやこ染の桂屋は今でも染料をつくっていますが、東京大空襲で資料も含めてすべて焼け、過去の歴史ははっきりしていません。
染料が売れるということで、いっとき家庭用染料をつくる会社はたくさんできましたが、新しいものが出回り、必要とされなくなるとともにひっそりと消え、そのほとんどは跡形もなくなっています。
染料ビンがたくさん集まったら何かがわかるとは思いませんが、
「いったいどれほどあったのだろう?」
という好奇心から、染料ビンは、目につくとついつい集めてしまいます。どれにも会社名のエンボスが入っているのが嬉しいところですが、もしかしたらエンボスのないビンや、他の会社の染料ビンを使いまわした、弱小染料会社もあったのかもしれません。



そんな、「わかば染」のビンです。
どちらも泡たっぷりですが、とくに左のビンは泡だらけです。


わかば染めについても、ほかの多くの家庭用染料について同様、何もわかりません。
私の持っている染料ビンの中では、あさひ染によく似ているのですが、いつごろつくられたものか、まったくわかりません。
ただ、口のもっと細いビンからはじまり、このビンのように口が少し太くなって、蓋(栓)がコルクだった時代を経て、口が広いビンになり、ブリキやアルミの蓋から、ベークライトやプラスティックの蓋にと、変遷したと思われます。





 

6 件のコメント:

  1. びんの記憶はないけど長いガラス製の箸で
    かき混ぜていました
    母の記憶は全部台所です。

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  2. 昭ちゃん
    ガラス製の箸って、染めもののときのことですね?箸が染まらずに清潔に保てるからでしょうね。
    私にはそんな記憶はないけれど、昭ちゃんの母上がガラスの箸をお使いだったということは、ちょくちょく染め物をなさっていたということ、そんな時代でしたね。
    くすんだ色が多かった記憶があります。くすんだ赤とか、こげ茶色とか。独特の匂いとともに思い出されます。

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  3. やかんの口にはめる器具を通して蒸気がでて
    毛糸を通過させると新品の様に
    こんなことが子供には驚きでしたチョット説明が難しいけれど。
    勿論木枯らしが吹く冬の仕事で
    加勢すると昔話が聞けるもんね。

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  4. 昭ちゃん
    私、毛糸伸ばし器を持っています(^^♪
    私のブログアーカイブで2012年を選択して、8月を選択して見てみて!8月23日に書いています。
    かせから毛糸玉にするときは、腕を貸したしね(笑)。
    子どもも戦力でした。

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  5. 色違いでアワアワの2本は良いですね♪
    名前も可愛い。
    わかば染は最近どこかでデッドストックが出たのかしら?インスタで見かけるようになりました。
    また新たな名前の染料瓶発見です!
    染料瓶リストを更新するのが最近の楽しみです。

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  6. maicaさん
    どこかでデッドストック?そうですか。
    maicaさんのつくられた染料ビンリストの「わ」の欄には、「わかもと染」しかありませんでしたが、あれからも染料ビンリストは更新されつつあるのですね。
    いったいどれだけの家庭で染め物をして、どれだけそのブームに便乗して染料屋さんができたのか、その当時の光景を見てみたいものです。ガラス屋さんは頼まれたらビンをちゃっちゃとつくったんでしょうかね?
    友人のガラス作家さんの話では、ガラスはいつも溶かしておかないと効率が悪いし、溶かしておくには燃料代が嵩張るという話。今では年に数か月しかつくってないそうですが、町工場はどうだったのでしょう?

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