2021年1月25日月曜日

『仕事着』


その昔、『仕事着・東日本編』(神奈川大学日本常民文化研究所調査報告 第11集、平凡社、1986年)を手に入れたのは、つくばにあった素敵な品揃えの本屋さんの友朋堂でした。
つくばに住んでいたころ、家族で友朋堂に行くのは大きな楽しみの一つでした。本屋さんに入ると同時にわかれて、それぞれの目当ての本棚をじっくり隅から隅まで見て、それぞれ1冊2冊の本を手にし、幸せいっぱいで帰途についたものでした。夕食後に、
「ちょっと友朋堂に行こうか」
などということも、よくありました。
『仕事着・東日本編』が先に出版され、『仕事着・西日本編』は翌1987年に出版されているのですが、このころから私は忙しくなって、ゆっくり本屋さんを楽しむどころではなくなっていました。
数年後、『仕事着・西日本編』も手に入れておけばよかったと気づいたときは、もう版元にもなくなり、どこでも手に入りませんでした。

旧南部藩領

『仕事着・東日本編』は約300ページ、青森県から愛知県までの作業着が多数の写真と寸法つきの図面で紹介されています。

新潟県

各県によって報告者が違っているので、図版の多い少ない、写真のあるなしなどありますが、力の入った報告揃いです。
この写真のように、男女とも、仕事着はほぼ上着とズボンの組み合わせ、それに袖なしや綿入れ半纏(はんてん)を重ね着したり、雨の日にはキゴザ(着茣蓙、箕)をその上から着たりしています。
上着は、ジバン、キモノ、ツッポ、ハンテンなどと地方や裁ち方によって名称が違います。


またズボンは、モモヒキ、モンペ、タツケ、長股引、ハカマ、カッチゲ、フンゴミ、カルサンなどと呼ばれ、やはり地域や裁ち方によって形も少しずつ違っています。

静岡県

農村の仕事着が多いのですが、山村の仕事着も漁村の仕事着も紹介されています。


さて、ときおり思い出しては探していた、『仕事着・西日本編』(神奈川大学日本常民文化研究所調査報告 第12集、平凡社、1987年)を手に入れたのは最近のことです。
ネットで古書は昔より簡単に見つけられるようになっていますが、稀少本ゆえ、定価の10倍もで売られたりしていて、なかなか手に入れられなかったのですが、やっと適正な値段で売られているのを見つけて取り寄せたら、なんと新本でした。

三重県

これで北海道と沖縄を除く日本全国の仕事着を網羅、35年来の夢がかなったようで、興味深く眺めては、楽しんでいます。

徳島県

中でも面白かったのは、東日本の専売特許だと思っていた刺し子やはぎ合わせ、裂き織りの着物や帯が西日本にもあったこと、ただただ感動しています。

徳島県

しかも、その手仕事はとても美しいものです。

香川県

『仕事着・西日本編』を眺めていると、当分退屈しそうにありません。

村上信彦さんは、『服装の歴史』の中で、日本の女性はズボンを捨てたと書かれています。それはあくまでも町でのこと、そして仕事着ではなく、「日常着」のことだったのでしょうか?
私が小さいころを思い起こしても、農村で着物を着ていた女性たちは、野良作業をするとき以外はもんぺをはいてはいませんでした。では、洋服を着ていた女性たちはスカートをはいていたかと問われると、記憶はあいまいです。彼女たちは働き盛りだったので、思い浮かぶのは作業着姿やかっぽう着姿ばかりですが、かっぽう着の下にスカートをはいていたのでしょう。
小学校の女先生による体育の授業はどうだったのでしょう?幼稚園のとき、スカートをはいているのだとばかり思っていたら袴のようになっているひざ下丈のズボンをはいていた先生にびっくりした記憶がありますが、後はあまり覚えていません。

昭和14年『主婦之友』より

そういえば、かっぽう着は面白い、ここに越してきた当時、年配の女性はまだかっぽう着を日常的に身につけていましたが、最近ではまったく見なくなりました。88歳のたけさんですら、いまではかっぽう着姿ではありません。
15年以上前ですが、急いで喪服を買いたいというたけさんと、たけさんが誘ったちよさんを車に乗せて町に行ったことがありました。そのとき、ちよさんがいつものではなく真新しいかっぽう着をつけてきたことにびっくりしました。今でも覚えていますが空色のギンガムチェックのかっぽう着で、かわいらしいアップリケもついていました。
そのかっぽう着は、その時一度見たきりでした。





 

2 件のコメント:

  1. とても良い本を手に入れられましたね。考現学の今和次郎は民家や装飾だけでなく、服装の研究もしていましたが、国内や海外の働く人たちの仕事着(制服)姿のスケッチを彷彿させます。

    この本も東日本編と西日本編に分けられていますが、安藤邦廣先生のリモート講座「日本の住まいの成り立ち」~東アジアの森と民家造~ でも弥生(稲作)の南西と縄文の北東の文化の違いが語られています。民家の型にもそれぞれの気候や文化の違いが見られると。その二つの文化が交わるのが茨城県の筑波辺りとの事で、みかんとりんご両方が収穫できるのは筑波山だけだそうですが?
    落日荘は世界的な文化の交わるスポットですね。

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  2. reiさん
    この本は、伝統的な仕事着が消えてなくなる寸前に、地域で気をもんでいた人たちがその総力を結集して上梓した本だと思われます。民具、服装、特に仕事着などは政治などに比べて歴史研究では軽んじられてきましたが、これこそが、歴史に厚みをつけ加えるものだと思われます。
    さて、茨城がどんなところかは、薄々感じていました(笑)。東西文化の交わる場所だったこともうなずけます。自然が穏やかで恵まれているので、みんなぎすぎすしないでおっとり過ごしてきた感じがします。その性格が、資本主義の常識ですが、がっついてきた人たちに負けてしまうのですね(笑)。でもいいじゃないですか、ゆっくり行きましょう。
    ちなみに『仕事着』では、ほかの県に比べて茨城県と私が小さいときに過ごした岡山県だけは、図も写真もページ数も少なくて、すごくがっかりです(笑)。どちらも自然に恵まれておっとり暮らしてきたことと関係あるのでしょうか?

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