2021年3月13日土曜日

『はたらく浮世絵』


『はたらく浮世絵 大日本物産図会』(橋爪節也、曽田めぐみ監修、青幻社、2019年)は、各地の名産品をテーマに、明治10年(1877年)の第1回内国勧業博覧会に出品された、錦絵の揃いものを、手に取りやすい本にしたものです。
もとになった錦絵は、文明開化の浮世絵師、三代歌川広重(1842-94年)が絵筆をとり、東京日本橋の錦榮堂萬屋の大倉屋孫兵衛を版元に刊行されました。

泉州堺打物見世之図

日本各地の名産が紹介されているなかには、家族総出で和気あいあいと働く図があったり、屈強な男性ばかりの力自慢の職場があったり、女性中心の職場があったりと、まるで職場見学をしている気分になれます。

紀州国蜜柑山畑之図

これらすべてを、三代広重が全国を回って写生するのは、当時の交通事情などからしても不可能、したがって、図や解説を古い書物から引用しているものもあるそうです。

岩城国養蚕之図 四

三代広重は、江戸末期に20代で華々しくデビューしましたが、その翌年、日本は文明開化を迎えました。
明治になって世は変わりましたが、まだ写真は普及しておらず、人々は新時代の錦絵を求めていました。開港や洋装、散切り頭に人力車、そして蒸気機関車と題材には事欠かず、版元と絵師は、人々の要求に応えようと、大忙しだったそうです。

讃岐国白糖製造之図

『はたらく浮世絵 大日本物産図会』の随所に描かれている当時の物品や、さまざまな道具はすべて興味深いものですが、ラフカディオ・ハーンでなくても藍染めの衣装には、とくに目が行きます。


濃い藍、薄い藍、縞の藍、絣の藍、絞りの藍、様々な藍の衣装が描かれています。


また、そこここに見える和洋折衷も楽しめます。
明治10年にはこうもり傘がずいぶん普及していたようで、上から2枚目の写真の、堺の鍛冶屋さんの前を通る人も、こうもり傘をさしています。当時の庶民は、すぐに洋装というわけにはいきませんでしたが、いろいろな洋小物を取り入れておしゃれしていたのでしょう。右の写真の男性は、笠、帽子、時計(?)、カバン、靴を洋物で決めている、小金持ちだったのでしょうか?


錦絵の版元、石筆石板製造、菅笠や柳行李の製造、金山など今ではなくなってしまった物産も多いけれど、今でも続いているものもたくさんあって、楽しめます。


 



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