2021年5月18日火曜日


昨年の暮れに、友人からオーストラリアの塩をもらいました。
私は、いつもは「沖縄の塩、シママース」を使っており、まだ残りがあったのでオーストラリアの塩はそのままにして、シママースを使い続けていましたが、封を開けたシママースが残り少なくなり、いよいよオーストラリアの塩を試してみるときが来ました。
ろくろく説明を読んでいなかったのですが、包み紙の裏面には日本語が書いてあり、
「オーストラリアの塩田で太陽と風だけで約2年間かけてじっくり乾燥させた原塩を、独自の方法で仕上げた「天日海塩」です。他の塩と違い、原塩をいったん水で溶解したり、海水を釜で煮詰めたり、加熱したりしていません」
と、書いてありました。独自の方法とは、原塩を粉砕して乾燥させたもののようです。
てっきりオーストラリアでつくった塩だと思っていたのですが、原材料がオーストラリアというだけ、日本、しかも沖縄でつくった塩でした。


包み紙を開けてみると、わりと粒子の小さい塩が現れました。


ついでに、買い置きしているシママースを取り出して、眺めてびっくり。これまで、ろくろく袋も見ず、説明も読まずに使ってきましたが、袋にははっきりと、「メキシコまたはオーストラリアの天日塩と沖縄の海水でつくりました」と書いてあります。
裏の説明には、
「メキシコまたはオーストラリアの天日塩を沖縄の海水で溶かし、平釜でじっくりと煮詰め、時間をかけてつくりました」
と、書いてありました。
天日海塩は、原塩を水も海水も熱も使わずに加工し、シママースは沖縄の海水で平釜で煮詰めたという製法の違いこそあれ、どちらもオーストラリアの塩だったのです。

しかし、何故オーストラリアの塩なのか?
ネットで「「伯方の塩」の想い」を見て、やっとわかりました。
1971年に「塩業近代化臨時措置法」が成立して、日本では「イオン交換膜製塩」以外の方法で海水から直接「塩」を採ることができなくなりました。このような制約のもと、専売公社から許された製塩法は、当時専売公社がメキシコ、オーストラリアから輸入していた原塩(天日塩田塩)を利用する方法でした。
1997年に「塩専売法」が廃止され、海水からの直接製塩が認められ、2002年からは塩の自由化により、原料塩の産地を、自由に選択できるようになったのですが、「伯方の塩」では、現在もメキシコ、オーストラリアの天日塩田塩にこだわり、それを日本の海水に溶かしてろ過した後の塩水を原料として製造しているそうです。


なぜなら、メキシコとオーストラリアの塩は、どちらもとてもきれいな海水で、供給も安定しているからだそうです。


その昔、伯方も塩や「天塩」を使ったこともありましたが、シママースを使う前の10年くらいは、友人からもらったのをきっかけに、ずっと、赤穂浪園の「やき塩」を取り寄せて使っていました。30年も前のことなのでうろ覚えですが、味もさることながらべとつかないでさらさらしていることがありがたかったからだったような気がします。
八郷に来てから、無添加のシママースが生協で買えること、浪園のやき塩は、2000年頃はネット環境がまったくなくて、FAXや電話で注文して購入しなくてはならなかったので面倒になったことなどから、シママースに替えてしまいました。
シママースは、べとつかないのも嬉しいことでした。

ついでに、ネットで赤穂浪園のやき塩の原塩はどこのものか調べてみると、
「創業300年、ずっと同じ製法でつくられるやき塩。天然のにがりを含んだ国産の生塩を原料に、特殊な炉で丹念に焼いてつくります」
と書いてあります。それって、矛盾がありません?
1971年から1997年まで、日本では海水からはイオン交換膜製の塩しか許されなかったはずです。その間も日本の海水から塩をつくっていたとすれば、イオン交換でつくる以外なかった、300年前にはイオン交換ではなく、広がる塩田で塩をつくっていたことは確かです。

さて、私の使ってきた塩たちが、(やき塩を除いて)オーストラリア・メキシコで天日干しされた塩であることには納得しました。日本では塩の天日干しができる場所も気候もない、海水から煮詰めれば、多大なエネルギーを必要とする。となれば、手持ちの天日海塩とシママースがなくなったときもありがたく、オーストラリア・メキシコの天日塩田塩をいただき続けることにします。
天日海塩とシママースを食べ比べてみると、どちらも美味しい。ただ粒子が細かい分、天日海塩は、口の中ですぐ溶けます。コーヒー(やワイン、ビールにも)に入れると味が引き立つと書いてあったので少量入れてみて、なるほどと思いました。
しかし、粒子が粗めのシママースもゆっくり溶ける良さがあります。もしかしたら、天日海塩とシママースの両方を小出しにしておいて、使い分けるといいのかもしれませんが、それほどデリケートな暮らしはしていません。
何気なく使っている塩の背景がわかって、天日海塩をくれた友人に感謝です。
ちなみに、カンボジアに住んでいたときは土地の岩塩を使っていましたが、私にはヨードを含んでない岩塩を日常的に使うという選択肢はありません。やっぱり海の塩です。




 

13 件のコメント:

  1. 何年も前に、国内で天日干しの塩が作れなくなる法規ができると聞き、何それと憤慨していましたが、既に廃止されていたのですね。

    夫が瀬戸内海の直島を訪れた時に買って来た「SORASHIO」が美味しくて、その後も通販で買っているのですが、「瀬戸内の海水を太陽熱のみで塩にしている(釜炊きをしない)」との事。法改正で可能になったと納得です。

    因みに通常使いの塩は、大地の会から購入している「おふくろの塩」なのですが、改めて袋の表示を見ると原材料はオーストラリアと書いてありました。今回春さんに教えて頂かなければこれからも知らずにいた事でしょう。

    返信削除
  2. reiさん
    「SORASHIO」を狭い直島でどうやってつくるのかと思ったら、大変な工程で乾燥させているのですね。でも、面白そう(笑)。
    生協でも、伊豆大島の海水でつくった「海の精」(シママースの8倍の値段!)を扱っていますが、シロシオと違って、天日干しだけではなく、平釜で煮詰めています。
    私も、オーストラリアを前面に出した塩を貰わなかったら、自分が使っている塩は日本の塩だと思っていました。海の精は、たった60gだけ買ってみたことがありますが、もったいなくて使っていません(笑)。
    煮詰めない塩と煮詰めた塩との味の違いや、成分の違いはまだ理解していません。でも、いずれも工場で科学的につくった塩ではないことがわかっているので、どれでもいいかなとも思います。

    返信削除
  3. フナコレタロ2021年5月18日 10:09

    春さま

    日々つかう塩は本当に奥深いですよね。昔の週刊誌の記事に、シママースが従来の島の塩より輸入塩を原料として代えた時代に、スクガラスに使うと腐ってしまったということが書かれていました。
    うちでも定番は近所の生協で買えるシママースだったのですが、けっこうな塩大臣なので、ほかの塩の消費に励んでいますw

    http://utinogarakuta.blog.fc2.com/blog-entry-250.html

    いつだか記した我が家の塩事情です!

    返信削除
  4. フナコレタロさん
    ブログを見せていただいて、すごい塩の話、感心する前にもう、笑うしかありませんでした(爆)。
    我が家にも、いただきものの建築材料のレンガとしか見えない岩塩など、数種類は転がっていますが、基本的にはガス台脇に置いた一種類の塩しか使っていません。食卓で振りかける塩?人が来たときなど出すこともありますが、普段はとてもとても(笑)。台所で完結です。
    塩田を見ながら育ち、塩はべたべたして水になるものだと思っていたのが、アメリカで雨の日に傘をさした女の子が塩をさらさらと撒いている絵のついたモートンの塩に出逢って感動し、再び自然塩に戻ったという過去はありながらも、フナコレタロさんほど塩にこだわってはきていません(笑)。お醬油にもこだわっていらっしゃるのでしょうね?
    ちなみに今回、モートンの塩もネットで見てみて、モートンは世界で初めてさらさらの塩をつくっただけでなく、岩塩にヨードを加えて、それまで多かった甲状腺の病気からアメリカ人を救ったことを、初めて知りました。塩にも歴史ありですね。

    返信削除
  5. フナコレタロさん
    もうご存知かとも思いますが、製塩土器に関するこのレポート(http://museum.starfree.jp/205_seien/304salt2.html)もまた、フナコレタロさんのレポート同様、とても面白かったです。
    貝塚であんなに貝殻があるのは、そこで貝を食べただけではなく貝を(塩味のついた調味料=塩の代用品)として加工して内陸に売ったのではないかという話もあります。
    製塩土器、塩の道などなど、塩の話は深いですね。

    返信削除
  6. 勝鬨橋が開通した頃の東京は隅田川を主流に川の時代で
    団平船と称する横幅の広い荷物専門の船が上下し生活も通学も船からでした。

    また小高い建物からは跳ね上がった勝鬨橋の先端が見えるので当時の建物の高さが
    想像できますし川を遡る風も強いです。
     橋を渡れば初代の遠洋帆船の日本丸も見られ全てが楽しい記憶です。

    返信削除
  7. 昭ちゃん
    私は勝鬨橋を初めて知ったのは、講談社の絵本の『東京見物』でした。
    その絵本で、ほかに覚えているのは、銀座の夜景です。山手線が有楽町駅のあたりをさしかかると、通りの先に見える銀座四丁目の和光の反対側にあったビルのてっぺんにあった森永乳業の地球儀型のネオンサインでした。銀座の象徴でした。
    山手線を一周しても、夜はどこも暗くいのに、晴海通りを横切るときだけ明るかったですね。

    返信削除
  8. フナコレタロ2021年5月18日 17:22

    春さま

    製塩土器に関する記事をありがとうございました。知多半島のものでしたね。私もこの塩ブログを記した後随分と経ってから、若狭の考古館で製塩土器を随分と見ました。塩をたんに煮詰めて結晶とさせるのではなく、まさに塩梅、火入れの調整がよき味の塩をつくると化学的な成分分析付きで解説されていて驚きましたが。そんな現代の化学式を知らなくとも、昔の人はさまざまな経験よりおいしい塩を仕上げていたことに感激しました。塩について蘊蓄を垂れると、なんだか”違いの分かる男っぽくて”恰好よいですが・・・・・。そんな塩に凝っていたのもある一時期のこと、有り余る塩をダメダメで消費している情けなき日々ですw

    返信削除
  9. なるほど!岩塩はヨードを含んでいないのですね。ヨードの有無は考えたことないので、サラサラがいい時はアルペンザルツ、塩茹でなど量が必要な時は伯方の塩を使っています。夫が以前フランスで買ってきたアルペンザルツは、容器がいつもの青ではなく黄色だったので、不思議に思って確認したらヨウ素添加の岩塩でした。その時は添加しているなんて不自然と思いましたが、春さんの最後の一文で、ヨーロッパの人は意識的にヨードを摂取しているんだと今になって理解しました。

    返信削除
  10. フナコレタロさん
    知多半島でビーチコーミングをされている方が、たくさんの製塩土器の脚を拾っていらっしゃいます。
    6、7世紀になると、塩が租税として都に運ばれたことなど、木簡に記されているそうです。浜に足の部分だけ捨てて行ったので、脚がたくさん見つかるとか、面白いことです。
    それにしても、手足といい製塩土器といい、若狭は面白いですね。コロナが収束したら行ってみます(^^♪

    返信削除
  11. hiyocoさん
    そうなんです。海に囲まれた日本人は、造作なくヨードを接種できますが、ラオスとかネパールとか、あるいはアフリカの内陸など、岩塩しか手に入らない人たちの中には、高い確率で甲状腺の異常で首が腫れた人を見かけました。
    江戸の脚気と同じで、かつては原因がわからなかったでしょうね。
    アルペンザルツは使ったことがありません。いつか、プラスティックのミルに入ったピンクソルトを貰ったことがあったのですが、プラスティックが嫌で、わざわざプジョーのソルトミルを買ったら、挽けない(笑)。で、結局ソルトミルはしまい込んでいるし、ピンクソルトもどこかに行ってしまいました。

    返信削除
  12. 昭ちゃん、お元気なコメントを拝見できてよかったです。
    どうされたかなぁと思っていました!!!

    返信削除
  13. akemifさん
    よかったですね。
    昭和2年の昭ちゃん、ますますお元気でいてください。

    返信削除