2021年5月2日日曜日

CCCPのおもちゃ切手

 e-mailを使いはじめたのは、1990年代の初めごろでした。
仕事柄、外国と日常的にやり取りする関係上、1990年ころまで、急ぎの連絡はテレックスで、仔細は追って手書きやタイプライターで打った手紙で知らせるといった具合でした。
FAXができて、FAXは日本のものでしたから、海外にもFAXの機器を運んで、連絡できることになったときは、飛躍的に便利になりました。1字でいくらのテレックス代を節約するために、常套句を使い、字数を極力少なくした原稿を中央郵便局まで運ぶという手間がなくなったからでした。
FAX利用を謳歌しているとき、さる会社からコンピュータを替えたので要らなくなったものを差し上げたいという申し出があり、30台ほどのコンピュータが送られてきて、私の働いていた職場は一気にコンピュータ化しました。
それまでも、自前のワードプロセッサーを持ち込んだり、できたばかりのノートパソコン(やはり自前)を使っている人が多かったのですが、全員コンピュータ化を機会に、みんなでe-mailのアドレスのつくり方を習い、私のように機械に疎い者はほかの人の助けを借りながら、e-mailでの通信をスタートさせました。
それでも当時は、データを入れたフロッピーディスクを保管するだけでなく、紙に打ち出したコピーをファイルに収めて、記録として取って置くことには、変わりありませんでした。

さて、何が言いたいかというと、かれこれ35年のコンピュータ依存で、手紙が書けなってしまっていることを言いたいのです。
字が、恐ろしく下手になって、心を込めて書こうとしてもきれいに書くことができません。はがきや手紙をいただいても、お返事を差し上げることなく、コンピュータの脇に積み重ねる以外ないのです。


そんな手紙の一つ、従妹のきょうこちゃんが近況を知らせてくれた手紙も、しばらく放りっぱなしになっています。
その封筒に、切手とともにソヴィエト連邦のマトリョーシカとディムカヴァの土人形の切手が貼ってあります。日本の切手ではないので、その切手には消印が押されていません。
マトリョーシカはセルギエフ・パサードのもの、ディムカヴァの土人形は赤ちゃんを抱いているお母さんと、馬に乗った男性の人形で、1963年の切手の切手です。


ロシアの切手といえば、すぐに思い出すのがレーニンの切手です。
小学生のとき、切手に関心を持ったのですが、お小遣いももらわない小学生ですから、切手を手に入れる方法は、年に数回発売される記念切手をねだって買ってもらうか、家にある古い書簡から、切手を剥がすくらいしかありませんでした。
そんな私でしたが、一度か二度、カタログを見て、現金書留でお金を送って切手を買ったことがありました。


カタログをよく見て、気に入って、かつ安い切手を選んだのですが、モナコ王妃になったグレース・ケリーの結婚記念の切手、アフリカの動物の三角切手などとともに、レーニンの切手も買い、今でも手元に残っているのです。


マイ切手ブームは細々と2000年頃まで、断続的にやってきました。
昔郵便局をしていたという遠い親戚に未使用の古い切手を貰ったとき、海外に暮らすことになってその国の切手に触れたとき、職場に届けられる使用済み切手の中から、欲しい切手を分けてもらったときなど、ブームが再燃しました。
そんなことで、ソヴィエトの切手も何枚か持っていますが、そう心躍る切手たちではありません。


通常切手は昔の日本の切手同様地味なものですし、特殊切手も、初めての有人宇宙飛行に成功したソヴィエトらしく、宇宙関係のものが多いのです。
そんな切手と比べると、マトリョーシカとディムカヴァ土人形の切手は、特筆すべきかわいらしさです。


実は、この切手は4種類がセットで発行されています。
4カペイカのマトリョーシカとディムカヴァ土人形、6カペイカの当時連邦国であったウクライナの陶磁器、10カペイカのエストニアの製本、そして12カペイカのダゲスタンの金属製品となっています。エストニアは製本で有名、今でも「国際製本コンクール」が開かれています。
どれも興味深いものですが、おもちゃの切手がやはり一番です。人気の切手らしく、なかなか手に入らないそうですが、どうしてきょうこちゃんが持っていたのか、手紙にはそのことに触れてなかったのでわかりません。
こんな記事を書くより、早く手紙を書く方が求められているのですが。






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