1950年代にイギリスで初めてつくられた化学染料は、その手軽さと発色の鮮やかさから、19世紀末には世界中で使われるようになりました。
日本では、1890年(明治23年)に東京日本橋の桂屋が、染色工場向けではなく一般家庭向けの化学染料「みやこ染」を発売しました。古い毛糸を染めたり、古い着物を染めたりできる家庭染料はたちまち普及、桂屋の成功を見て、以後、中小たくさんの家庭向け染料が発売されました。家庭染料黄金時代は、戦後の昭和30年ごろまで続きました。
そんな、家庭染料のパイオニアであり最大手の、みやこ染の箱です。
運搬に不可欠だったボール紙の箱。もしかしたら使い捨てではなく、通し箱として何度も使われていたのかもしれません。
というのも、蓋がホッチキスではなく、鉄の鋲で留めてあるからです。
ボール紙の箱に入れられていたのは、広口ビンの酸性染料だったのでしょう。
桂屋は、昭和21年に、ラベルを右からの横書きから、左からの横書きに替えています。ゆえに、このビンたちは戦前のものですが、右側のラベルは、ラベルを縁取る白線の内側の唐草模様がありません。
外側に貼るラベルには唐草模様がないけれど、ビンに貼ったラベルには唐草模様があったのかどうか、包装を解いて調べたいところですが、外側を包んでいたセロファンは硬化して、ところどころ剥げていてもろく、固く巻いてある説明書を抜き取ったら崩れてしまいそうなので、取ってみる決心がなかなかつきませんでした。
と言いながらも、外してみました。
セロファンはばらばらになるし、説明書の一部もビンに貼りついて破れてしまいました。
やっぱり、ビンに貼られていたラベルには唐草模様がありました。外のラベルは、「みやこ染」という字を精一杯大きく見せるために、唐草模様を省いたのかもしれません。
それを証拠立てるように、みやこ染を選ぶようにとの注意書きが、外からでも見えるところに書いてありました。セロファンが変色していたので、外してみるまではよく見えませんでしたが。
桂屋では、各種用途に応じた染料や、染めものをするとき必要なものなど、いろいろな商品を商っていたことがわかります。
値段からも年代がわかりそうですが、染料は30銭ほど、昭和のはじめごろでしょうか?
こちらは、植物性繊維も染めることができる、直接染料です。
ラベルのない直接染料のビンは、縦書きのエンボスと横書きのエンボスのあるものを持っていますが、これは普通サイズのビンで、上のラベルつきはちょっと大きいビンです。
といっても、ほんの少し背が高いだけですが。
口が小さい、コルク栓のビンです。
これは、上の写真のビンと同じ形のビンですが、ラベルは上の2つのビンのラベルと違い、真ん中にロゴの灯台を配して、左右に情報が縦書きで書かれています。
発売当初は消費者が中身を知る必要があったので、ラベルに最低限の情報が書いてあったのでしょう。それが、みやこ染が世に浸透してくると、能書きより、数ある家庭染料の中からみやこ染を選んでもらうことの方がプライオリティーが高くなり、「みやこ染」という字を大きくして目立たせたのではないかと推測されます。
また、発売当初はコルク栓が使われたけれど、やがてガラスビンと金属の蓋とをねじ式に加工することが可能になり、より使いやすい広口ビンに移ったものだと思っていましたが、ちょっとわからなくなりました。
というのは、桂屋のブログに、私が「古いタイプのラベル」と思ったものが、「新しいビン」と思っていた広口ビンに貼られていた(黒いラベルのもの)からです。2つのビンが並行して売られていた時期があったのでしょうか?
ところで、この写真のコルクビンのラベルと広口ビンのラベルは、大きさは違います。ということは、左から2つ目の灯台が真ん中にあるラベルは、広口ビンのためにつくられたものということができます。
このことから、2つの形のビンが並行して売られていた時期があったのかもしれないということが想像されますが、それでは3つ上の写真のコルク栓のビンに貼られた、新しいラベルに、疑問が残ります。
あぁ、すっきりしない!
こちらは、植物性繊維も染めることができる、直接染料です。
ラベルのない直接染料のビンは、縦書きのエンボスと横書きのエンボスのあるものを持っていますが、これは普通サイズのビンで、上のラベルつきはちょっと大きいビンです。
といっても、ほんの少し背が高いだけですが。
口が小さい、コルク栓のビンです。
これは、上の写真のビンと同じ形のビンですが、ラベルは上の2つのビンのラベルと違い、真ん中にロゴの灯台を配して、左右に情報が縦書きで書かれています。
発売当初は消費者が中身を知る必要があったので、ラベルに最低限の情報が書いてあったのでしょう。それが、みやこ染が世に浸透してくると、能書きより、数ある家庭染料の中からみやこ染を選んでもらうことの方がプライオリティーが高くなり、「みやこ染」という字を大きくして目立たせたのではないかと推測されます。
また、発売当初はコルク栓が使われたけれど、やがてガラスビンと金属の蓋とをねじ式に加工することが可能になり、より使いやすい広口ビンに移ったものだと思っていましたが、ちょっとわからなくなりました。
桂屋のブログより |
というのは、桂屋のブログに、私が「古いタイプのラベル」と思ったものが、「新しいビン」と思っていた広口ビンに貼られていた(黒いラベルのもの)からです。2つのビンが並行して売られていた時期があったのでしょうか?
ところで、この写真のコルクビンのラベルと広口ビンのラベルは、大きさは違います。ということは、左から2つ目の灯台が真ん中にあるラベルは、広口ビンのためにつくられたものということができます。
このことから、2つの形のビンが並行して売られていた時期があったのかもしれないということが想像されますが、それでは3つ上の写真のコルク栓のビンに貼られた、新しいラベルに、疑問が残ります。
あぁ、すっきりしない!
沖縄戦から76年荏原区F工場の屋根上監視哨に、
返信削除息子のような私を班長は可愛がってくれました。
加島、鉄板が薄いけど心配するな、
速い弾は突き抜けてしまうからな。
遅い弾は中をかき回すぞ。
無事終戦まで。こんなことを思い出しました。
昭ちゃん
返信削除今日は沖縄戦でたくさんの方たちが亡くなってから、76年でしたね。
「やるっきゃないか」と友人たちと「戦後50年」の集会を開いてから、はや26年も経ってしまいました。あのころは、世の中悪いと思いながらも、パレスチナにはまだ壁が建てられてなかった。あのころは、原生林が破壊されて先住民の生活が脅かされていると焦っていたけど、ボルネオ島にはまだ原生林が残っていた。あのころはシリアはまだ平和だった。よくなったことより悪くなったことの多かった、この26年でした。
昭ちゃん、戦争の日々に生きるのは、ほんと大変でしたね。でも、今日美浜原発3号機が再稼働しましたよ。目先のお金にとらわれて、生存を他者にゆだねるなんて!何とも歯がゆいです。
国境を他国と接していない日本では人種や宗教の違いは理解できないと、
返信削除世界は一つや世界平和日本だけじゃない。
昭ちゃん
返信削除誰もが穏やかに、安心して暮らせる社会が来て欲しい。心からそう思うけれど、そっちじゃない方にはすぐ行ってしまいますね。
リビアの内戦で、人の介入なしにAIが敵を認識して殺す、無人機型殺人ロボットが使われたらしいって。