2021年6月20日日曜日

北海道の背負い籠


ひょんなことから、「北海道に残存する背負い籠の形態と用途」という抜き刷りを見つけました。
もとの報告書は、『北海道開拓記念館調査報告 第30号』というもので、抜き刷りの部分を書いた人は、舟山直治・氏家等となっています。『北海道開拓記念館調査報告 第30号』は1991年に上梓されていて、同年に抜き刷りもつくられています。
たった20ページの抜き刷りですが、当時すでに消えかかっていた北海道の竹でできた背負い籠について、地域、用途、つくり方などが紹介されていて、興味深いものでした。
舟山直治さんは、北海道博物館の学芸員で、さまざまな時代や地域を経て北海道に伝わった有形・無形の民俗資料を対象に、それぞれの経緯や過程を整理するとともに、それらが積雪寒冷地で伝承されている意義とその役割について、考察されている方のようです。

北海道の背負い籠といえば、すぐ思い浮かべるのが木のモッコです。


私が、2019年にのらさんのお世話で北海道に行ったとき、興味津々で眺めたのは、ニシン漁が盛んになるとともにたくさん使われ、ニシン漁衰退とともに消えてしまった木のモッコでした。


干からびたニシンのうろこが残っている木のモッコを見て、当時の賑わいを思い浮かべたりもしました。
そのときは、寒冷地の北海道では竹細工はさして盛んではなかっただろうという先入観があり、各地の博物館で竹籠を見ることがあっても、「本州から、もたらされたものだろう」くらいに思って、さして気にもしませんでした。事実、本州から持ってきた竹籠、本州からの行商人から買った竹籠などを目にしました。

そんな竹細工の背負い籠について、全道とまではいきませんが、たくさんの町村で実際に使われているものや、資料館の収蔵品を見て、まとめられているのがこの抜き刷りです。
道がまだ少なく、舗装されてもいなかった時代、竹の背負い籠はとくに内陸部に多く見られ、畑仕事に行くときなどに使われました。当時も、リヤカーや一輪車はありましたが値の張るものであり、ものの運搬には背負い籠が一般的でした。
畑仕事、買いものなど目的別に違ったサイズの背負い籠を持っていたり、家族一人一人の背負い籠を揃えていた地域もあったようです。

積丹町

海辺でも、竹の背負い籠は木のモッコより軽いので、自家用の昆布などを取りに行くときに使われました。


この抜き刷りでは、北海道で見られる背負い籠を、6種類の形に分けています。
どうやら、用途によってさまざまな形になったというより、出身地の形を踏襲して根づいたものが多かったようです。
呼称も、ショイカゴのほか、タンガラ(福島出身者)、タガラ(新潟県出身者)、モッコ(宮城県出身者)、ツンボリ(富山県、福井県出身者)など、出身地によって別の名前で呼ばれていました。

標津・函館 屏風絵、部分

1860年に描かれた「標津・函館 屏風絵」の中に見える背負い籠は、分類6の漏斗形です。


史料が少ないので断定はできないとしながらも、この抜き刷りでは、北海道での背負い籠の起源は、1818年に書かれた『模地数理』の中の「松前の物売り 夜番の図」にある「連尺」ではないかと、推察しています。
連尺って何?
なんと、背負い紐のことだそうです。知りませんでした。

竹籠は、本土の行商人からももたらされましたが、北海道内でも製造されました。
ほとんどの籠は根曲がり竹(チシマザサ)でつくられましたが、底の補強などには、本州からの真竹も使われました。

利尻町

底が補強されてない背負い籠を使う地域では、底がすぐ抜けるので、布で補強したり、荷負い縄と梯子で支えていたそうですから、底に差し込む真竹は、手に入りにくかったり、遠くから運ばれてくるので高価だったりしたのかもしれません。

通常、竹細工の技術は親から子へ、あるいは親方から弟子へと伝承されます。北海道における技術は、移住前に習得されていたものが多いのですが、北海道において技術が習得された例もあります。

講習会

大正8年から各地で行われた副業奨励政策の一環の講習会では、多くのつくり手を育てることができました。講習会では、手籠、椀籠、目籠、カツギ籠、ショイ籠、ホマザル、豆腐籠、雲丹籠などの生活用具がつくられ、販売もされました。
主要な市町村では、籠師として専業化する人もいましたが、農家の副業としてつくられたものも数多くありました。

農村部での背負い籠の利用は、昭和30年前後、袋入りの化学肥料が売られるようになってから、堆肥の運搬の必要がなくなり、廃れていきます。

浜益町

さて、この抜き刷りには、これまで私が見たことがなかった、フゴ形(ビク形)の背負い籠が、北海道各地で使われていたことが報告されています。

2005年1月8日の朝日新聞。高知市の福井浩之さんのコレクション

思いついて、以前朝日新聞に掲載された、日曜版の連載「こだわり博物館」の中にあった背負い籠コレクターの方の記事を出してみましたが、この写真で見る限り、ビク形の背負い籠はありません。
背負い籠は、重いものを入れるので、底を頑丈にでつくることと、背負い紐をしっかりつけることが重要です。
この写真でもわかるように、多くの背負い籠は縁に背負い紐をつけています。背負い籠は、紐をつける部分が壊れたり、縁が壊れるなど、つけ根に力がかかる宿命を持っていると言えます。

神恵内村

ところが、ビク形にすれば、くびれたところに紐を回して、それに背負い紐をつければいいので、一点に力がかかりません。なかなか良い方法です。
北海道以外でつくられていた事例もあったのでしょうか?

浜益町

この抜き刷りでは、ビク形の背負い籠が普及している理由として、悪路を歩いても、中のものが飛び出しにくいことをあげていますが、背負い紐をつけるのに適していたということも言えるのではないかと思いました。


なんと、私の撮った写真、小平町(おびらちょう)の旧花田鰊(ニシン)番屋の横に建てられた、道の駅の二階の資料室にも、奥の方にビク形の背負い籠がありました。
抜き刷りを参照すると、小平町ではフゴ形(ビク形)と釣鐘形の背負い籠が、郷土資料館に残されていて、いずれも農家で、豆などを運ぶときに使われたものだとのことです。


ビク形の背負い籠がないかと、ネットで検索していたら、フナコレタロさんの背負い籠に関する過去の記事がヒットしました。
いろいろな形の背負い籠が紹介されていて、とくに急峻な山の中で威力を発揮する、底が小さい背負い籠(抜き刷りで言うところの漏斗形)が宮崎県のかるい以外にもいろいろあって、興味深かったのですが、ビク形の背負い籠はありませんでした。

余談ですが、我が家にある日本の背負い籠といえば、かるい、関東の丸い籠、そして四角い籠アケビの籠くらいです。
関東形(1の円筒体形)の落ち葉籠も持っていましたが、大切に使っても壊れやすく、とっくに使い倒してしまいました。

追記:

何の関係もありませんが、フナコレタロさんのコメントに応える形で、2019年に羽幌の博物館に行ったときに撮った、籠の写真をUPします。


台所道具の棚に、米揚げ笊、みそこし、うどんすくいなど見えますが、どれも本州からもたらされたものだと侮って、説明札など読んでもいませんでした。


また、穀物用の漏斗も見ました。お米だけでなく、小豆や大豆にも使ったものと思われます。
小平町ほど大規模ではありませんが、羽幌にもニシン番屋が立ち並んでいた時期もあったようでした。




10 件のコメント:

  1. あまよかしむさんも出品している(私の友人も)「つかうかご・つかわなくてもかご」展が熊本で開催されていますが、背負い籠は「つかうかご」の代表格でしょうか。使い込まれた力強さと美しさ。

    使い勝手だけでなく、出身地で使われていた形を踏襲したとの事。入植者達の思いも込められているのかと思うと愛おしくなります。

    余談ですが、akemifさんも参加されたフォーラム(ZOOM)の中で、北海道「開拓の村」の建物修復が、大工の研修に役立っていると聞き、移築保存の価値を再認識しました。

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  2. reiさん
    インスタグラムで「つかうかご・つかわなくてもかご」展見てみました。
    関島壽子さんも出品されているのですね。ギャラリーKeianさんもかかわっているみたい、いずれKeianさんでも見られるでしょうか?
    私としては使うかごの方が好きですが、関島さんの籠は、使わない(?)にも関わらず、引き込まれずにはいられません。もっとも我が家では使う籠の代表である背負い籠も、数回は使いましたが(笑)、今は「つかわないかご」になってしまっています。
    落ち葉籠もそうでしたが、昔は籠はなくてはならないものでした。今はプラスティックのコンテナの方がずっと便利な時代ですが、手仕事をつないでいく人たちがいらっしゃるので、いつか竹籠の方が当たり前の時代がまた来ることがあるでしょうか。

    大工さんが、激減しているらしいですね。若い人たちに、「大工さんになるなら今がチャンス」と言いたいです。
    最近、近和次郎の『日本の民家』に描かれた家を再訪した人から、びっくりすることに、今でも半分ほどその家が残っていると聞きました。『近和次郎の「日本の民家」再訪』、読んでみたいと思いながら、高いので考慮中です(笑)。

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  3. 「今和次郎の日本の民家再訪」が出版されたのが2012年ですが、中谷研究室で手分けして調査して雑誌に連載したのは更にその前ですので、その後に多数が壊されたものと思います。再訪の再訪をしてみたいものです。

    今和次郎が設計したものは、もともと少なかったのですが、現存しているのは福島県の「大越娯楽場」と「山形県新庄の「雪調庁舎」くらいでしょうか。

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  4. reiさん
    そうか、8年という歳月は短いようで長い。あれからずいぶんなくなったのでしょうね。
    ところで、中谷さんをご存じなのですか?先日我が家にいらっしゃいました。今、『未来のコミューン』を興味深く読んでいるところです。

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  5. 中谷先生にはお会いした事はありませんが、今和次郎の研究者の一人としてお名前を存じ上げていました。「未来のコミューン」ですか・・・又読む本がー。

    またまた余談ですが、紅型の人間国宝でもある鎌倉芳太郎をご存知でしょうか。芸大卒業後に美術教師として赴任した沖縄で、王国以来の建築・仏像・絵画・工芸などの美術に魅せられ、調査し、膨大な野帳を残しました。大正13年に首里城が沖縄神社に建て替えられようとした時に、猛反対し、伊東忠太の力を借りて止めさせたそうです。平成の再建時はもちろん、今回の再建にも鎌倉の詳細なスケッチが大いに役に立っているとの事。今和次郎の野帳のスケッチが鎌倉のものと似ているので思い出しました。この春さんのブログの記録も後々の大事な資料となるでしょうとの思いと共に。

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  6. reiさん
    鎌倉芳太郎知りませんでした。
    私はそう保存派ではないと思いますが、美しいものは残したいし、なぜ壊されなくてはならないのかとは思います。ここに来てからも、知っているだけで10軒以上の茅葺き屋根がなくなりました。もちろん、私にも誰にも、どうすることもできませんでしたが。
    とは言え、茅葺き屋根の家を移築して、アミューズメント施設の目玉として使うということにも抵抗があります。家と土地とは深く結びついていると思うので(『小さいおうち』のような話もありますが、笑)。また、外見だけ似せて、別の材料で再建したりする(お城など)ことにも、心惹かれません。
    今年、茨城県は「魅力ある県」調べの最下位から脱したと喜んでいますが、観光客が魅力ある場所として思い浮かべないということは、住んでいる人々が自律的に生きているということ、茨城は最高によい場所だと、中谷さんと喜び合いました。
    そうそう、「千年の村を探す(歴史的に暮らしやすかった場所と言う意味か)」とかで日本中(世界中)見た彼は、最近茨城県に引っ越してきました(笑)。

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  7. フナコレタロ2021年6月25日 11:14

    春さま

    北海道の背負い籠の記事を興味深く拝見いたしました。実家が北海道なので、たまに帰郷した際は地元の博物館などの民具もみるようにこころがげているのですが。板製のもっこ型背負い籠はニシン漁で使われたものをかって余市や小樽の資料館で拝見しましたが。このフゴ(ビク)形のものはまるで記憶にございません。北海道も広いので見逃していたのかもしれません。わたしのブログにのせた背負籠のなかにもご覧のようにありませんでした。ただ背負い籠のブログの記事からビクにもリンクさせているのですが、そのなかで農作業に用いるビクのなかに、若干大きめのものがありそれならば肩紐をつければひょっとして同じように背負い籠にもなるかもしれませんが、そちらも不明です。竹の自生しない郷里の民具をあらためて面白くみさせていただきました。

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  8. フナコレタロさん
    勝手にお写真を拝借しました。
    私も北海道の竹籠は軽く見ていました。それがフゴ形の背負い籠がいっぱいあって、考えてみればじつに理にかなっている、ではほかの地域では何故あまり見ないんだろうと思ったりしました。材料の根曲がり竹と関係があるかもしれませんね。
    ちなみに、この調査報告書の中で、フゴ形の背負い籠が見られたのは、小平町、浜益村、神恵内村、泊村、岩内町などでした。

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  9. フナコレタロ2021年6月26日 11:28

    春さま

    フゴ形の背負籠、こうしてみますと海辺の村落のようですね。道内では入植の経緯もあるので、道央育ちの身としては他地方(管区)のことについては知らないことばかりです。カゴ類などは内地からの入手ルートもありますが、身近にあった竹製民具といえば、ザルカゴ類の台所道具を除き、私たちの世代の町場では、雪かき用のジョンバぐらいのものでした。ありがとうございます!

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  10. フナコレタロさん
    そうですね。フゴ形の背負い籠の見られた地域は、海辺の町や村ばかりでしたね。名寄や旭川など内陸は、漏斗形で、山歩き用のものが使われたようです。利尻は海もあるけど山もあるからか、やはり漏斗形が多いよう、地域特性はあったようです。
    羽幌の博物館では、台所用の笊を写真に撮っていたので、背負い籠とは無関係ですが、写真をあげておきます(笑)。いかにも本州からの行商人から買ったというものでした。

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