『週刊金曜日』に谷山博史さんの記事が掲載されました。ヤフーニュースから転載します。
絵は、小林豊さんの『えほん北緯36度線』からお借りしました。
タリバーンを孤立させれば報復につながる--“軍隊”を派遣していない日本だから可能な対話を
アフガニスタンでは米軍の撤退方針が示されるや、「イスラム原理主義過激派」と呼ばれてきたタリバーンが攻勢を強め、8月15日には首都カブールを占領。親米政権は崩壊し、ガニ大統領は国外に逃避した。長年、現地の住民らと交流してきた日本国際ボランティアセンター(JVC)の元アフガニスタン駐在代表、谷山博史さんがこの事態を分析する。
20年続いた米国を中心とした「対テロ戦争」の結末がこの現状である。タリバーンの勢力拡大、短時日での主要都市とカブール攻略に驚く報道が多いが、アフガニスタンの実情を知っている人は米軍が撤退すればこうなることはある程度予想していたはずだ。 私が最後にアフガニスタンに駐在した2006年から08年にかけてが、アフガニスタン情勢のターニングポイントだった。07年の時点でタリバーンの影響力の強い地域は主要都市部を除いて全土の54%に及び、08年には72%にまで拡大していた(国際シンクタンクInternational Council on Security and Development=ICOSレポート)。 私はその時点で対テロ戦争はすでに失敗であり、対話による和平以外に解決策はないと新聞や雑誌で主張し続けた。アフガニスタン政府や国連とタリバーンの和平交渉が密かに行なわれていた時期だ。地方レベルで停戦協定が実現したり、タリバーンを招いたピース・ジルガ(和平評議会)が模索されたりしていた。 だが、米国が対話を拒否していたために、和平の機会は失われてしまった。その後のタリバーン勢力強大化に伴い、タリバーンにとっては対話のインセンティブはなくなり、内戦は泥沼化の状況に至る。 形勢が悪くなった挙句、米軍は5月から一方的に撤退を始めたのだ。アフガニスタンは見捨てられた。20年2月にトランプ大統領(当時)とタリバーンの間で合意が成立したが、そこにアフガニスタン政府は加わっていない。しかも合意は和平のためではなく、米軍撤退のためのものにすぎなかった。
タリバーンより米軍憎し
アフガニスタンでの対テロ戦争は講和なき戦争であった。有志連合による主要な戦闘が終わった後、ドイツのボンで締結されたボン協定は、タリバーンを除くアフガニスタンの主要勢力と各国が結んだ協定で、和平協定ではなかった。 米国にとって対テロ戦争はタリバーンの掃討戦争、すなわち根絶やしにする戦争だったのである。スピンガル山脈のトラボラ地域の洞窟に籠るタリバーンを、原爆以外で最も殺傷力のあるバンカーバスターやデージーカッター弾などを使って殲滅するなど、凄惨な掃討作戦が繰り広げられた。 この掃討作戦が民間人への被害を広げた。06年の時点で民間人犠牲者は、タリバーンの自爆攻撃や簡易爆弾によるものと米軍やNATO指揮下の国際治安支援部隊によるものとがほぼ拮抗するまでになっていた。タリバーンに対する怒りと同程度、いやそれ以上に米軍に対する怒りや報復感情がアフガン人の間に生まれていた。
今こそ「平和外交」の時
私が今一番恐れるのは、タリバーンによる報復だ。米国は9・11の報復としてこの戦争を始めた。また、和平を選択肢から排除してタリバーンを根絶やしにすることに固執したために、戦争が長引いてしまった。そして最後には逃げ出した。根絶やしにするとの意図のもとに、害虫のように殺されていったタリバーン兵がどれほどいたか想像してほしい。だから私は報復を恐れている。 カブール制圧以降、タリバーンは一貫して「報復はしない」と表明している。とても意外なことである。国際社会を意識してのことであるのは間違いないが、タリバーンが報復を原動力として戦ってきたことを考えると、にわかには信じがたい。しかし、これは希望でありチャンスである。だからこそ、国際社会はタリバーンを孤立化させてはならないのである。 国連やG20(主要20カ国・地域)の場で各国首脳は鳩首協議してタリバーン非難声明などを準備しているが、なぜ早くタリバーンとの対話を始めないのか。日本の首相はなぜ米国と連携して対応するとしか言わないのか。これは対タリバーン外交上、最悪の意思表示だ。今日本政府がなすべきはタリバーンとの正規の交渉窓口を作ることである。 主要諸国の中で日本だけがアフガン本土に“軍隊”を派遣しなかった。日本が他国と違うのは、ひとりのタリバーン兵もアフガン市民も殺していないということだ。日本がタリバーンからも一定の信頼を置かれているのはこの一点においてに他ならない。日本はタリバーンと国際社会を仲介する大義をもっている。このアフガニスタン危機において日本の平和外交のイニシアティブを発揮するべきだ。
NGOの対話能力に期待
タリバーンが政権を奪取した翌日の8月16日、アフガニスタンの元JVCスタッフで私の盟友、サビルラ・メルラワールから2枚の写真が送られてきた。1枚は彼がその日、タリバーンの新知事を表敬訪問したときの写真。くつろいだ様子で話をしている。もう1枚は国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)の東部地域代表とタリバーンのNGOコミッショナーとの会合の写真。サビルラはいち早く知事に渡りをつけ、次にUNAMAを巻き込んでNGOとタリバーンとの対話チャンネルを作ろうとしている。NGOの活動と女性の権利の保障を何とか認めさせようと動いているのだ。 サビルラらJVCで長年活動したスタッフは、対話の重要性を体感してきた。村人の間に対話の場を作ることで対立と紛争を未然に防ぐ「ピース・アクション・プロジェクト」を立ち上げ、人々を分断する者には敢然と立ちはだかっている。 米軍がヘリから簡易ロケット弾をクリニックに落とした際は、国際会議の場で米軍に抗議して村での活動を止めさせた。政府がJVCのクリニックを選挙の投票所に使おうとした時は、拒否して使わせなかった。クリニックが武装勢力のターゲットになるからだ。米軍の発案で政府が村にコミュニティ・ポリスという民兵組織を導入しようとしたときは、長老たちと協議し、拒否を決めた。 サビルラらの自立した強い精神力を知るだけに、タリバーン支配下での彼らが直面する困難と苦悩の深さには想像を絶するものがある。しかし彼らなら必ず、タリバーンとの間にも対話のパイプを作り、少しずつではあっても人々の権利の保障をタリバーンに認めさせる実績を作っていけるはずだ。
(谷山博史・JVC顧問。JVCスタッフとしてタイ・カンボジア国境の難民キャンプやラオス、アフガニスタンなどに計12年間駐在。編著書に『「積極的平和主義」は紛争地になにをもたらすか?! NGOからの警鐘』(合同出版)、『非戦・対話・NGO 国境を越え、世代を受け継ぐ私たちの歩み』(新評論)など多数。2021年8月27日号)写真の絵はすべて、『えほん北緯38度線』より |
こう言う国情は日本人には理解されないなー
返信削除ミヤンマーも。
翔ちゃん
返信削除ビルマも難しいです。
歴史があるとはいえ、軍がどうしてあんな力を持てるのか、また、ロヒンギャをどうとらえるか、わからないことがいっぱいありますが、アフガニスタンより、大国の加担の理由は見えやすいです。
小学校時代の世界地図が面白いですよね
返信削除特にアフリカなど。
私は終戦前後が専門です。
昭ちゃん
返信削除1990年頃はアフリカには52か国ありましたが、今は独立国が54か国、西サハラを加えると55か国です。
昭ちゃん、いくつ名前を言えますか?