2022年5月31日火曜日

ジャーナリストの死

パレスチナのヨルダン川西岸地区。赤はジェニン県左はガザ、青いのは死海。

昨年5月に発生した、イスラエルによるパレスチナのガザ空爆から1年経ちました。
昨年ほど大規模でないものの、4月のラマダン(断食月)に入ったころから、東エルサレムなど、ヨルダン川西岸地区のいくつかの都市では、イスラエル治安部隊(いつもパレスチナ領内を走り回っている)とパレスチナ市民との衝突、それに対するパレスチナ人の不当逮捕などが相次いで発生しました。
今年はイスラム教、キリスト教、ユダヤ教の宗教行事や祝祭が、4月から5月にかけて重なり(イスラム暦やユダヤ暦に従うので、毎年日にちが違う)、5月15日はナクバの日(ナクバとはアラビア語で「大災厄」。1948年5月15日、武力によるイスラエル建国によりパレスチナ人は住んでいた土地を追われて難民となった)でもあり、緊張が高まっていました。 

そんな中、5月11日に、パレスチナ北部のジェニンで、アメリカ国籍のパレスチナ人であり、アルジャジーラの記者であるシリーン・アブ・アクレさんが、銃撃されて亡くなりました。


ジェニンでは最近、イスラエル兵とパレスチナ武装グループの衝突が頻発し、複数の死者が出ていますが、その取材に入ったおりに、シリーンさんは銃弾に倒れました。ヘルメットをかぶり、Pressと大きく書かれたベストを着ていたシリーンさんは、耳の下あたり、ヘルメットでカバーしてない場所を打たれました。

イスラエル側は、同じ時間にジェニンで起こっていた銃撃戦のビデオを公開し、パレスチナ人武装グループによるシリーンさん殺害を示唆していますが、彼女に同行していた他の記者や近くにいた人たちは、その時周囲に武装したパレスチナ人はいなかったと証言しています。
また、
イスラエルのNGOであるベツレム(B’Tselem)は、分析した結果、公開されたビデオからはパレスチナ人武装グループが彼女を打ったとは考えにくいという結論を出しています。


シリーン・アブ・アクレさんはジャーナリストとして、パレスチナ人だけでなく、アラブ諸国の人々に、大きな影響力を与えてきました。2000年の第二次インティファーダをはじめ、現地で起こっている事実を広く世界に伝え、パレスチナ人の声なき声を代弁し、アラブの人たちから絶大な信頼を寄せられていました。


多くの人がシリーンさんの死を悼み、葬儀に参列しましたが、遺体の送致や葬儀の間ですら、集まったパレスチナ人に対して、イスラエル兵とイスラエル警察は国旗を奪うという名目で過剰に攻撃をくわえたり、逮捕したりしました。
イスラエルの法律では、パレスチナ人がパレスチナでパレスチナの国旗を掲揚することを明確に違法とはしていませんが、東エルサレム(西エルサレムはイスラエルによって占領されたけれど、東エルサレムには元からたくさんのパレスチナ人が住んでいる)ではパレスチナの国旗を掲げることで逮捕される例が、後を絶ちません。

ジャーナリストを殺害することは国際法違反ですが、それ以前に武器も持っていない一般人を打つこと自体が犯罪であり、許されることではありません。
ICC(国際刑事裁判所)を通じた公平な調査による真相究明が行われ、責任が明らかにされ、責任が果たされることをパレスチナ政府など多くの人々が求めていますが、イスラエル政府はパレスチナ武装グループの仕業を主張し、イスラエルによる調査を表明しています。


パレスチナ人の悲しみに寄り添い続けたシリーンさん。51年の生涯をかけて伝えたかったパレスチナの現状や人々の声、悲しみや怒りがより多くの人に届くことが、彼女の冥福を祈ることになるのではないかと思います。

情報は、JVC(日本国際ボランティアセンター)のパレスチナ事業担当からいただいたものです。





2 件のコメント:

  1. 信念と勇気のある方に敬意を表するとともに、ご冥福をお祈りします。

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  2. afさん
    ボタンを掛け違えると憎悪が増幅します。1948年まではパレスチナ人は来るユダヤ人を受け入れて、仲良く暮らしていました。しかし、武力占領、そしてその後の占領地の拡大で、修復は難しくなってしまいました。
    イスラエル人の中にも、ここにあげたNGOのように、イスラエルの過ちを認めようとする人たちがいるのが救いでしょうか。

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