2022年6月5日日曜日

6月5日

本日、6月5日は、第三次中東戦争が起こった日です。
1967年6月5日の朝、イスラエル空軍がアラブ各国(アラブ連合共和国、エジプト、シリア、ヨルダン、イラク)の空軍基地に空襲を行い、400機ほどの戦闘機を破壊し、アラブ各国の空軍に壊滅的打撃を与えたうえで攻撃を開始しました。アラブ側はイスラエル軍の前にほとんど抵抗できずに敗北を重ね、6日間で戦闘は終結しました。
このときイスラエルは、エジプトからシナイ半島のガザ地区
を、ヨルダンから東エルサレムを含むヨルダン川西岸をシリアからゴラン高原を占領しました。

徹底的に破壊されたガザ北部の住宅街。志葉玲さんが2009年に撮影

その日から、ガザとヨルダン川西岸に住むパレスチナ人には、さらなる苦しい生活がはじまりました。また、ゴラン高原には139の村がありましたが、多くの村が破壊され、生き残った村は5つだけ、ほとんどの人たちはシリアに逃れましたが、残った人びと(約6000人)はイスラエル国民になるよう、強要されてきました。
1967年以前に、イスラエルが占領していたシナイ半島の多くは砂漠でしたが、ゴラン高原は隣接する標高2814メートルのヘルモン山の雪解け水が流れて一年中水が潤沢な地域、ヨルダン川西岸はゴラン高原から流れてくる地下水を利用できる地域、そしてガザも水が潤沢な地域、これを奪うことによって、イスラエルは一気にたくさんの人口を養えることになりました。


ロシアのウクライナ侵攻で、ロシアの戦争行為をICC(国際刑事裁判所、International Criminal Court)にかけることが話題に上っていますが、イスラエルの人権団体がイスラエルの戦争犯罪を取り上げて欲しいとICCに申請すると、「予算がない」と却下されたと聞きます。





5 件のコメント:

  1. 戦争を知らない世代が大多数を占める今ウクライナとロシアの激しい戦争を目の当たりにして初めて恐怖を感じました21世紀宇宙で過ごす事さえ近い将来の今
    人間の愚かさが悲しいです、、沢山の未来を奪い何が残るのでしょう

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  2. あかずきんです

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  3. あかずきんさん
    ウクライナへの関心に比べて、同じことが起こった、起こり続けているパレスチナ、シリア、アフガニスタンなどへの関心は低すぎる、とは思うものの、今回のウクライナ侵攻で、いつでも戦争が起こり得る政治状況があること、そしていろいろな思惑が働いてそれを止めることは難しいということを、肌で感じ、考える人が増えたことは、唯一よかったことかなと思います。
    それにしても、一個人にできることに、何があるのでしょうね。アメリカの銃規制問題にも同じことを感じます。
    もしかして、人口を増やしたくない地球の秘かな逆襲?

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  4. イスラエルは自国の為に非常に卑劣な策を講じた。この事は、イスラエルの子供たちが知ったらどう思うでしょうか。知らされることは無いのでしょうが。イスラエルの人権団体が戦争犯罪として裁く様に訴えているのが唯一の救いでしょうか。

    卑劣な行為と言うと5月35日(6月4日)の天安門事件が思い浮かびます。

    かつての戦争では、日本もどれだけ卑劣な行為をしたのか。国家って何なのでしょう。

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  5. reiさん
    本当に、子どもに対して何も語れないことがまかり通っています。
    かつて、パレスチナに行ったとき、ゴラン高原を見ておきたいと、イスラエルのツアーに参加したことがありました。イスラエル領内になってしまったけれどパレスチナ人がたくさん住む町ナザレの教会、ガリレア湖、などを見てゴラン高原に入りキブツに泊り、次の日はシリアを望む展望台を訪ね、ローマの遺跡なども見てきた、参加者数人のツアーでした。
    車は、エルサレムからエリコを迂回して北上したのですが、ガイドが「エリコは怖い街で襲われないよう遠回りする」と説明していました。
    その前日、エリコにいた私は、昼食をとるというので大きなバッグは車に残して、運転してくれた人がてっきり鍵をかけるものと思っていました。パスポートもカメラも、その中でした。2時間ばかりのんきに食事して車に帰ってみたら、車は鍵もかけてなかったことを知り、愕然としたのですが、エリコはそれほど安全な街なのです。ところが、イスラエル人は「恐ろしい街」と教育されているので、ガイドの口ぶりでは、それを信じ切っているようでした。
    イスラエルにもパレスチナにも、子どもたちを交流させるプログラムを実施しているNGOがあります。小さな努力より卑劣な政策や行動の方が常に大きいので、何ともなりませんが。

    そうそう、知っているパレスチナ人の誰もがイスラエルの牢につながれた経験をしていたり、家族が殺されたりしているのですが、ゴラン高原ツアーの途中でイスラエルの刑務所を見ました。砂漠の中にぽつんと立っている刑務所でした。ここで、細い筒の中に立たされて上から蓋をされて真っ暗で、座ることもトイレに行くこともできず、定期的に蓋を開けて食事を渡されるという拷問などが行われていたのかと、鳥肌を建てながら眺めました。

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