2022年7月10日日曜日

『天然染料と衣服』


しばらく前に、フナコレタロさんが紹介していたので知った、『天然染料と衣服』(青木正明著、日刊工業新聞社、2022年)という本です。
19世紀に化学染料が偶然発見されるまで、染めものと言えば天然の草木や動物などから色を抽出するもの、天然染料とか草木染めという言葉もありませんでした。
そして今、草木染めというと誰もが渋い色、言い換えれば寝ぼけた色を想像してしまいますが、先人たちは自然の材料を使って、いかに鮮やかな色を出すか、いかに色落ちしない色を出すか、そこに命を懸けてきました。

この本では、かつてつくられた、そして鮮やかな色を保ったまま現存している糸や布を、文献も参考にしながら再現する過程を、写真で見せています。
目次を見てみます。

第1章 赤
    1300年の間輝き続ける赤
    コットンを鮮明に染め上げた西洋のトルコ赤
    日本の武将を染めた南米の虫の赤「猩々緋」
第2章 藍
    江戸時代にもてはやされた市民の機能美、藍染め
    生の葉で染めていたかもしれない平安の高貴な藍染め
    中国少数民族の世界一艶っぽい藍染め布「亮布」
第3章 高位の色
    貝の内臓で染まる高貴な紫
    天皇のみが着用できる謎に満ちた黄櫨染
    上流階級のための特別な色彩だった紫
    今に蘇るカンボジアの絵絣「ピダン」
第4章 紅花
    鮮やかすぎる紅花の染め色
    江戸の女性が憧れた赤から採れる緑「笹紅」 
第5章 黒と緑
    豪傑剣士の染た黒 憲法染
    西洋を虜にしたログウッドの黒染め
    藍色と黄で染め重ねた緑

目次を見ただけで、わくわくしてしまう内容です。
一般的な草木染の本は、染めものに関心がある人しか手に取らないだろうし、それも辞典のようにして必要なところだけしか読まないだろうけれど(少なくとも私はそうだった)、この本は、染めものをしない人でも、隅から隅まで読みたくなる本です。


全部は紹介できないので、冒頭に取り上げられている赤い儀式用の糸(赤色縷)と、カンボジアの絵絣のピダンを取り上げてみます。
赤色は、正倉院に残されているものです。正倉院の御物ですから、もちろん手に取って見ることも、糸を少し切ってみて成分を分析してみるわけにもいかないのですが、青木さんは再現を試みられます。
まず、往時の文献などから、ニホンアカネで染めたものと推定、材料の分量などは、平安時代の『延喜式、巻14縫殿寮、雑染用度』に記載されている染色材料リストを参照されています。
『延喜式』には、綾織りの絹地1反(1350グラム)を浅い緋色に染めるのに、茜(アカネ)20キログラム、米4リットル、椿の灰23.5リットルを使うとあります。浅い色と言いながら、アカネは20キロとは、すごい量です。アカネの根は、たった100グラム集めるのも大変ですが、乾燥させるとさらに半分の重さになります。
どうしてこんなにたくさんの染料が必要なのか、再現の工程を読み進んでいくとわかります。アカネには赤以外にも黄色などの他の色の染料成分も含まれているのですが、赤以外の染料成分をいろいろな方法で取り除き、
より鮮やかな赤を得るために多くのアカネを必要としたのではないか、また、材料に米があげられていますが、これもアカネから赤以外の色を取り除くのに使われたのではないか、青木さんはそう推察されています。

このように、自ら再現されている色に加えて、再現にいろいろな人の手を借りているものもあり、カンボジアの絣染めピダンもその一つです。


これは、福岡市美術館が所蔵するピダンです。
ピダンとは天蓋という意味、古くから寺院に飾られてきた絵絣です。じつは、カンボジアには素晴らしい、古いピダンは多くは残っていません。激動の時代を経てきたからというより、熱帯の気候が多くを残さなかったと言ってもいいかもしれません。博物館にも空調がないような、虫もたくさんいるような環境で、布を残すのは至難の業と思われます。
しかし、同じように空調が整ってないバンコクの美術館で、1980年頃、私はたくさんのピダンを見たことがありました。パネルにして、風通しの良い場所にしまってあるのを特別に見せていただいたときは、その素晴らしさに衝撃を受けたものでした。
今回、青木さんはシェムレアップにある伝統的な絹絣の制作集団のIKTTに依頼して、福岡市美術館のピダンの1枚を再現しています。


IKTTの人たちは、ピダンの現物を見ることができません。それゆえ、福岡市美術館の図録をスマホで写真に撮り、それを拡大して模様を起こしていきます。スマホ、大活躍です。
カンボジア、タイ、ラオスなどの繭は黄金色で、精錬して糸をきれいにすると色は落ちて白い糸になります。左下の写真は、緯糸(よこいと)を絣にするためにスマホの画面を見ながら括っているところ、黄色かった糸はすでに白くなっています。
このピダンは白を含めて6色でできているので、染めて、解いて、括って、染めてを、何度も繰り返します。


上段の右から左に、収穫されたラックカイガラムシ、括った緯糸をラックで染めているところ、染めあがった糸をたらいに何度も叩きつけているところ、ラックで染めた糸をいったん解いて、次の染料ブロフーで染めるために括り直しているところです。
化学染料と違って、染まりにくい天然染料で染めるときは、何度も叩きつけないと、染料が糸の括り目まで入って行きません。

下段は右から、ブロフーの樹皮、ベニノキの実、ブロフーの黄色い染料で1回染めた後、ベニノキの朱赤を混ぜて染めているところ、ライチーの木の芯材です。
ベニノキは種を染料として使います。中南米原産ですが海を渡り、東南アジアでも植生が見られます。


上段右から、ライチーの染液、IKTTオリジナルの鉄焙煎液、鉄焙煎中、すべての色を染め終わった緯糸です。
ライチーの染液につけるだけだとベージュにしか染まりませんが、鉄焙煎をすると、みるみるうちに赤みのあるところは黒に、黄色いところは緑にかわっていきます。鉄焙煎液は、水に砂糖と大量のライムの汁を加え、そこに古鉄を漬け込んだ、IKTTのオリジナルです。白、赤、オレンジ、黄、緑、黒の6色がきれいに染めあがりました。

下段右から、柄の仕上がり確認、糸に順番をつけて巻き上げる、経糸(たていと)整経、経糸の染め、鉄焙煎した糸を機に掛ける準備しているところです。
経糸は整経して、糸束にしてから精錬して染めます。大量の経糸を染める仕事は力仕事、ラックで染めた後、鉄焙煎して黒に染めます。


いよいよ織る工程です。
一段一段、絣がちゃんと正しい位置にきているか、両側の「みみ」で調節しながら織ります。
1ミリあたり4本の緯糸が入り、緯糸5本一組で柄がつくられています。8メートルものピダンが、見事に再現できたようでした。


さて、私も1枚だけピダン(もどき?)を持っています。お土産ものを売る市場や絹布店には必ず置いてある、ありふれたもの。誰かからもらったり、誰かにあげたりしてたくさんのピダンが行き交いましたが、たった1枚だけ手元に残りました。
家の上に、「クメール」ではなくて「カンプチア」という文字が見えるので、1980年代に織られたものでしょう。


古いピダンに比べると、とてつもなく簡単なものとはいえ、かわいくて、私は好きです。

再現と言えば、ローマの軍人が着た真っ赤なマントとか、皇帝が来た紫色のマントなどは現存していないのでしょうか?
羊毛、あるいは絹という動物繊維だったので鮮やかに染まりやすかったことと思いますが、ローマの赤や紫、現存していれば見てみたい気がします。



   

7 件のコメント:

  1. 織物とか全く素人で分かりませんが、いつも絣模様で感心するのは、経糸、緯糸とも出てくる図柄を考えて長い糸を縛ってそめるの!?というものです。
    この最後の象の模様のものも、とてつもなく簡単とか書いてありますが、経緯全部この模様を考えて長い糸を染めるのでしょうか?文字もあるみたいで、考えただけで気が遠くなりそうですが、なにぶん何も知らないもので…教えていただければ幸いです。

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  2. karatさん
    自分でつくれもしないのに、「とてつもなく簡単}は、確かに失礼でしたね。
    カンボジアの絵絣は緯糸絣で、経糸は一色です。だから緯糸だけ4枚目の写真の左下と5枚目の写真の左上のように、布の幅と同じ幅の枠をつくって、それに糸を張って括りますます。その張った糸に絵を描くように染めたくないところを木綿の糸やナイロン紐をほぐしたものなどで括ります。5枚目の写真の左上は、一度括ってものを全部解いて、別の場所をくくろうとしているところです。
    昔のピダンは5本一組で括ってある(模様をつくっている)と書いてありますが、現代の象模様のものは10本くらいまとめて括っています。といっても、10本だけ括っているのではないのです。もっとたくさん一度に括ります。
    象に注目すると、4匹います。象は左右対称ではないので模様にしたがって括りますが、天蓋みたいなのの中にいる王様みたいなのは左右対称です。だから天蓋の中心から中心が一模様で、この布が四模様でつくられていることがわかります。枠に張った緯糸は、その一模様だけをつくるよう括ります。つまり、一模様10本でそれが4つ重ねてあるので、緯糸は40本一緒に括ってあるということになります。
    しかし、細い糸40本だとまだ細い。括る手間は大きいので、おそらく倍(80本)以上を一度に括って、布を何枚か織っているのではないかと思います。
    写真の象のピダンの右端は、左右対称の真ん中で止まらず、織りすぎています。これは間違えて織り過ぎたのではなく、緯糸を余分に染めていたのでそこまで織った、織り終わりではないかと思います。織り糸はすべて綾を取るので順番を間違えずに、順番に緯糸を使っていくことができますが、それにしても大変です。上から6枚目の下段の右から2番目の写真を見ると、ひえぇーっとなってしまいます。IKTTでも、絵絣を織るのは熟練の方しか織れなかったそうです。

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  3. karatさん
    過去の記事で、絣をつくる枠がわかりやすいものがありました。参考になるといいのですが。
    http://koharu2009.blogspot.com/2014/07/blog-post_5.html

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  4. 春さん、ありがとうございます。
    やはりどうしても気が遠くなるような作業ですね…よくやるなぁ…という程度の感想では間に合いませんが…。
    どんなものでも、「これでもか!」というような超がつくような仕上がりを目指す人がいて、そこにたどり着くようで、私はそういう方の持つ能力こそ超能力じゃないかと密かに思っています。
    バティックも凝ってくると何回も蝋を塗っては染め塗っては染めを繰り返しているようですが、私なら一色で止めるかも(^^;)。
    絣は一色の井桁の絣だけでも出来そうもない気がします。

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  5. カラー写真がふんだんに載っていて素晴らしい本ですね!
    貝紫、全く知らなかった!アカニシの内臓からとても品のある紫色が作れるなんて。現場はとても生臭そうですが(笑)。

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  6. karatさん
    技術をつないできた方たちは本当にすごい人たちです。
    そして、この本を書かれた青木さんのあくなき情熱が、いろいろな方の心を動かしてきたのでしょう。
    古いものを早々と捨てて生き残るのも人生なら、古いものを大切につないでいくのも人生ですね。
    ちなみに井桁の絣は、絵絣に比べれば括り方は単純ですが経緯絣なので、経糸も緯糸も括らなくてはなりません。

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  7. hiyocoさん
    さすが貝のエキスパート、貝に注目しましたか(笑)。
    ローマ皇帝の貝紫とか南米の貝紫は昔から知っていましたが、アカニシのヤマト貝紫はこの本を読むまで知りませんでした。
    しかし、貝で150グラムの布を染めるために15グラムの染料が必要で、貝の個数となると1500〜15000個とは!常人に集められる数ではありませんね。確かに臭そうですね(笑)。
    木の葉っぱとか枝というならともかく、染色材料として貝まで試してみたなんて、誰かのあくなき探求心だけでなく、収集能力(権力か)がないとできません。紫が世界中で高貴な色とされた所以です。

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