2022年8月8日月曜日

鉄道看板

作業棟には、あちこちに息子一家の荷物があふれていて、彼ら自身、あれはダンボール箱の中だからとか、あれも出せないなどと言っています。


彼らの荷物が軒下にまであふれているのですが、その中に列車にぶら下げる「上野行」という琺瑯の看板が転がっていました。
息子にたずねると、友人のKさんを手伝ったとき、貰ってきたものだと言います。Kさんは、夜逃げしたりして住人不在となった家やマンションの清掃作業をするのを仕事としていて、ときおり見積もりとか清掃作業に、息子を助っ人として駆り出します。
「要るなら持ってていいよ」


「上野行」は、琺瑯の一部が欠けていますがきれいなもの、上野行きですから、東北や北陸を走っていた列車に掛けられていたものと思われます。
じつは、私は「品川行」と書かれた白地に赤の行先板と、「急行」と書かれたやはり白地に赤の看板を持っていました。


学生時代に、友だちが一夏借りた、鹿児島県の指宿のもっと南の開聞岳のふもとにある、長期に湯治する人用に建てられたらしい一軒家で暮らしたことがありました。
ずっとそこにいた人、途中で帰った人、途中から合流した人、東京からモペットという50ccのスクーターを駆ってたどり着いた人、宮崎県都城の実家から足を伸ばしてきた人といろいろ、出入りがあったものの合計10人ばかりで、ぼーっと過ごした夏でした。
私はここを拠点にして、K.SさんとN.Yくんと一緒に、ときおり九州各地の窯元や郷土玩具制作者のもとを訪ねる旅に出て、疲れたらまた戻ってくるという暮らしをしていました。

そのとき、もう時効だから言ってもいいと思いますが、福岡のあたりでプラットフォームに停まっていた品川行きの急行列車を見て、
「あの看板いいなぁ」
と言ったら、N.Yくんが失敬してくれたのです。私は反社会的なことをすることに後ろめたい気持ちがありましたが、そのまま看板をずっと持ち続けていました。
ところが、あちこちに置いていた荷物をかき集めて八郷に落ち着き、それらを段ボールから出す段になって、「品川行」はなくなっていることに気づきました。でも、「急行」は健在で、どこかに飾ったはずでした。


このたび「上野行」を見て思い出し、「急行」を探したのですが、見つかりませんでした。
ちょこちょこと掃除はしていますが、久しぶりに展示室の大掃除をする時期が来ているようです。






 

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