2022年8月9日火曜日


鉄道看板を探していたら、鐙(あぶみ)が目につきました。鐙とは馬具、乗馬するときに足(つま先)を置くものです。
プノンペンの市場で手に入れたもの、吊るところに、のんきな顔をした獅子の頭がついています。


ブロンズの鋳物で、蝋型をつくって鋳込んだものです。
蝋型だと、鋳込むときに原型は溶けて流れてしまうのですが、二つはほぼそっくり、とても手慣れた人がつくったものです。また、金属がとろっと丸みを帯びているので、とても長い間、実際に使いこまれたものです。

乗馬は、鐙の出現前はとても不安定なものでした。とくに軍事目的で使われるとき、不安定な馬上で武器を使うことができるのは、訓練を重ねた騎馬民族だけでした。それが鐙の発見で、戦い方が大いに変わったと言われています。
鐙のルーツは、中国、あるいは満州で、確認できる最古の鐙は、302年に埋葬された鮮卑と322年に埋葬された東晋の墳墓から出た陶馬俑に、鐙を使っている姿が写されています。また、実物として最古のものは、北燕貴族の馮素弗の副葬品の中にありました。
このことから、鐙が発明されたのは西暦290~300年頃とされています。鐙は、漢字からして金属でつくられたものでしたが、5世紀には木製の鐙が普及し、朝鮮半島や日本
でも使用されるようになりました。


日本では、もっぱら木の、舌長鐙が使われてきて、現在乗馬に使われている洋鐙と呼ばれるものは、明治時代に入ってきました。
ちなみに私が持っている形の鐙も「洋鐙」と呼ばれるものですが、実際は中国鐙と呼んだ方が正しいものです。というのは、7世紀以前のヨーロッパでは、鐙の存在が確認されていないからです。
鐙は中国から、ペルシャに、ペルシャからイスラム諸国に、そして東ローマ帝国に伝わり、ゲルマン民族などへと広まりました。


クメール民族も、ランナータイ民族も、秤の分銅やキンマーの石灰入れなど鋳物の上手な民族なので、カンボジアでつくられたことも考えられないわけではありませんが、使い込まれている状態から、中国からの移民が持ってきたものではないかと思われます。
もっとも、中国から東南アジアへの移民の多くは福建省や海南島など南部からの農耕民ですが。


上の写真は、乗馬の時の鐙の位置です。


競馬では、騎手がモンキー乗りをするため、鐙革は短くして、鐙は高く上げて用いられます。

さて、私の展示室を見て、
「いろいろなものを、どんな基準で集めているのですか?」
と、合点がいかず、問う人がいます。
ところが、見ただけで私の集めている雑多なものの関連性が、直ちにわかる人もいます。わからない人には説明しますが、たぶん説明してもわからない、わかる人は説明なしでわかります。面白いことだと思います。
私は時の権力者やお金持ちの持っていたような値の張る美術品や工芸品には関心がありません。どんなものでも、名もない職人さんが心を込めてつくって、生活に埋め込まれてきたものが好きなのです。
もっとも、そんな中にプラスティックの仮面ライダーなどがいたりするので、訳が分からなくなる人たちがいるのですが。




 

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