ちょっと辛口になってしまいそうですが、書いておきたいと思います。
とあるサイトで、日本玩具博物館で中国玩具の特別展を見てきた方が、展示は素晴らしかったとの報告をされていました。
日本玩具博物館に、戦前や戦後の中国玩具の日本人コレクターたちから、中国の郷土玩具の寄贈があったこと、今年の夏には、中国の玩具の本が出たことも知っていましたが、『中国民衆玩具』という名前に引っかかって、本は買っていませんでした。
でも、やっぱりちょっと見てみたい。姫路までは行けないので、本を買いました。
ものや事象に、総称するような名前がなかったり、日本語として名前がなかったりするものに、誰かが新しい名前をつけるということがあります。
「民藝」も、「郷土玩具」も、近年つくられた言葉です。ところで、「民衆」という言葉が、私にはどうしても馴染まないのです。
「大衆芸能」という言葉は、ただの「芸能」より一段低く見た言い方です。「大衆文学」も「純文学」とは区別されてきました。そして、「民衆」という言葉も、例えばフィリピンの民衆と言ったとき、いわゆる知識人と呼ばれる人(知識人も嫌いな言葉だけれど)は含まれていないのです。そんな本を見ると、民衆という言葉を使っって本を書いた人に、「あなたも民衆の一員ですか?」と問いたい気分になりました。
中国のおもちゃの本 |
中国の郷土玩具には、すでに民間玩具という言葉が定着しています。なぜ民間玩具を使わなかったのか、なぜ「民衆玩具」という言葉を当てるのか、理解できませんでした。
本に紹介されている玩具には、大切に保管されていただろう木や紙でできた壊れやすいものも載っていて、なかなかのものでした。
それだけに表題が悔やまれます。
すでに、中国では消えてしまったおもちゃ、しかも古いものは文化革命などで失われてしまった。それが、私たちの手にあるという武者震いのようなものが、これまで使われていない新しい呼称をつけたくなった動機かもしれません。
文献にもあたり、生産地や生産者、中国での呼称など丁寧に調べた力作なだけに、題名が悔やまれると思った私でした。
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