渡辺京二さんが、2022年12月25日に逝去されました。92歳でした。
以下は、『小さきものの近代1』(弦書房、2022年7月) の緒言(序文)の一部です。
私はいろいろと長い歴史物語を書いてきたが、最後はいわゆる明治維新について書こうと思っていて、文献も40年間にわたって蒐め続けた。その大部分がいわゆる積読であったが、『バテレンの世紀』の連載が終わって、やっと所蔵の文献と本格的に取り組み始めた。
昨年(2021年)の1月から書き始め、4月から『熊本日日新聞』の週1回の連載がはじまった。その時点で私は90歳に達していたのである。(中略)
白状すると、『小さきものの近代』と言ったって、どうゆう物語の構図になるのやら、書いてみないとわからない。これはこれまでの『逝きし世の面影』『黒船前夜』『バテレンの世紀』の場合、書き始めの時点で全体の構成ができていたのと全く違う点であるが、終点だけは大逆事件あたりにしようかと思い定めている。関東大震災までとも考えたが、とてもそれまで生きてはいまい。もっともそれを言えば、大逆事件までも怪しいものだ。昭和前期のファシズム的動乱期については散々書いているので、改めて言うこともない。
この緒言を書かれたのが2022年3月、その時点で月1回の全紙面を使っての新聞連載で、9月分まで書いてあると話されています。
渡辺京二さんの作品はすべて、当時の文献を読み込んでの分析ですから膨大な資料を読まなくては書けません。そのあたりについても、緒言に書かれています。
文献の読破には苦労する。前掲3著の場合、読むべき文献の数は多数でも冊数はほぼ一定数に収まる。ところが今度のテーマでは、文献は膨大、しかも読むほどに読まねばならぬものが増えてくるのだ。おまけに読書力はガタ落ち。昔読んだものを読み返すと、誤植がみんな赤で訂正されている。それだけ精読していたわけだ。ところが今は、ちょっとややこしい所に出会うと斜め読みしてしまう。
とにかく老衰していて、体中痛いししんどいし、何よりも気力が衰えている。(中略)だが、書くしかない。死んで中断ということになるのも覚悟のうちである。悔やまれるのは『バテレンの世紀』の連載に日時を費やしすぎて、念願の維新史のための時間がわずかになってしまったことだ。
1991年、石牟礼道子さんと |
とまれ、本当にお疲れさまでした。
斜め読みしかしていない私ですが、歴史が立体的に浮かび上がってきて、幕末・明治が身近に感じられるようになったのは、渡辺京二さんのおかげでもありました。
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