「つながる図書館」にどんな本を置くかは悩ましいところです。
というのも、私はわりと本を見返すことがあるので、
「あの本が見たいな」
と思ったとき見ることができないのは困ります。さりとて、図書館に要らない本ばかり並べるというのも、どうかなと思います。そう考えて本を持って行ったのですが、まだ棚に空きがあったので、
「写真集なら図書館で見るのにいいし、家でそう開いて見ることもないから」
と先日、野町一嘉さんの写真集と、管洋志さんの写真集を持って行きました。
ところで、今戦闘が激しいスーダンの首都ハルツームは、青ナイルと白ナイルの合流地点で、その地域特性で昔から栄えていました。ナイル流域のことをもっと知りたいと思い、さっそく野町さんの写真集を見たくなったものの、手元にないという不便に気づきました。ままならないものです。
初めて出逢った野町さんの本は、『バハル』(集英社、1983年)でした。忘れもしない、つくば市にあった本屋さんに平積みされていた大形の本でした。
今では考えられませんが、昔はカラー写真を印刷するのが難しく、値段も高く、美術本などは本文とは別に印刷してあるカラーの図版を切って貼ってありました。本の値段が高くなってしまうので、白黒の写真の中にカラー写真は少しだけ、しかもそれだけ別の紙を使ったりして載せてあるのが一般的でした。
それが、『バハル』は美しいオールカラーでありながら、3200円という画期的な値段、廉価でつくれた「カラー写真の本」の走りだったかもしれません。
情報センター出版局、1985年 |
1984年に発生したエチオピアの飢餓を契機に、夫が関係していた(当時は離れていたけれど、のちに私も復帰した)NGOと野町さんの接点ができました。
NGOは飢餓真っただ中のエチオピア北部で医療支援をしていたのですが、取材したい野町さんが接触してきたのでした。
のちに、カレンダー制作でおつき合いするようになってからは、好きというだけでなく写真の選定などの必要性もあって、『ナイル』(情報センター出版局、1989年)、『地球へ!』(講談社、1992年)、『チベット、天の大地』(集英社、1994年)、『サハラ20年』(講談社、1996年)、『神よ、エチオピアよ』(集英社、1998年)などなど、野町さんの写真集は増えていきました。
ときおり、写真展もあちこちに見に行きました。上の2冊はそれらのカタログです。
平塚の美術館で、2003年に開かれた写真展のカタログの中には、私の好きな写真がいっぱいあります。
チベットの、雪の中に座っているお坊さまたち。
エチオピアの、息子を亡くして悲しむお母さん。
アルジェリアのトゥアレグの男性、日除け布にはハエが止まっています。これは、第1回目のカレンダーに使わせていただいた、大好きな写真です。
メディナにあるコーランの学校。
サハラ縦断のトラックの客たち。
『長征』(1989年)、『ナイル』(1997年)ともに講談社文庫 |
写真だけでなく、野町さんは文も書かれます。
『バハル』より |
見たことのない光景の写真を見るのは心躍りますが、見覚えのある景色の写真にもわくわくしてしまいます。
上は、エチオピア北部の定期市場の写真。まさにこんな感じ、いつもは閑散としたところに、市が立つときだけ、大ぜいが遠くから歩いてやってきます。市場の中に宝探しに入っていきたくなりますが、今もこのままのスタイルで定期市が開かれているでしょうか?
ところで、スーダンの軍と準軍事組織RSFの権力闘争は、ロシアの軍事組織ワグネルも絡んでいるようで、一向に収束の気配を見せていません。戦闘が長引けば、家計を助けたいために兵として参加する貧しい少年たちが、いっそう増えます。何ともやりきれない話です。
地元図書館所蔵の「サハラ、砂漠の画廊」を予約しました。
返信削除reiさん
返信削除楽しみですね(^^♪
今はデジカメだし、カメラの性能も上がっているし、誰でもある程度の写真がバシバシ撮れる感じですが、たくさんの機材とたくさんのフィルムを持ってどこまでも行った野町さん。砂漠の画廊にたどり着いたときはどんなに嬉しかったかと想像できます。
楽しんでください。