2023年6月30日金曜日

タイ・スタイルの鏡台

「ホールにある鏡台みたいなのは何? 燃やしてもいい?」
「えっ、鏡台? いやいや、燃やしちゃだめよ!」
タイ製の鏡台の存在を、すっかり忘れていました。


一昨日の写真を見返してみると、鏡台がばっちり写っています。

2001年の暮れ、八郷近くの木賃アパートに下宿して家を建てる準備を始めたとき、当座の荷物は持ってきましたが、残りは東京郊外の長男が住んでいた家と、都心の次男が受け継いで住んだマンションに置いてきたままでした。
その後、母屋の地下に扉をつけて倉庫にしたとき、 長男が東京郊外の家を引き払ったとき、母屋に屋根ができてものを置けるようになったとき、次男が結婚したときなど、節目節目に合わせて残りの荷物は軽トラックで運んで来たのですが、鏡台は結婚した次男の連れ合いのあっちょが使っていたので、そのままにしていました。そして、昨年4月の次男一家の引っ越しに合わせて、いろいろな荷物と一緒に鏡台がやってきたのです。


動かそうとしたら、右後ろの足が1本取れていました。
一昨日の材木運び出しのときの壊れたのならいいけれど、前から壊れていて、足がなくなっているかしら?


一瞬心配した足がありました。短い釘が抜けたようでした。


ひっくり返して見ると、薄い板に足をつけ、それを本体に打ちつけて留めています。これなら修理はとても簡単です。


まずは、薄い板を取り外します。
釘はすっかり錆びていて、すっきりとは抜けず、折れてしまったものもありました。


見えないところだからと、足はネジ釘で留めました。
この鏡台がつくられたときも、リメイクされたときでさえ、インパクトドライバーはなかったので、全部釘打ちですが、釘を打つために、堅材のチークに玄能で力を加えるより、ネジ釘を使った方がずっと安全です。


薄い板を取りつけるのは、底になるので見えないとはいえ、釘にするかネジにするか迷いましたが、簡単・安全両面からネジにしてしまいました。


飾り板がまっすぐではなく、前に傾いているのがタイ・スタイルです。


飾り板は所々折れています。
まぁ、何度も引っ越ししたり、放っておかれたりしたので、仕方ありません。


この鏡台はバンコクに住んでいたとき、近所にあったアートフレイミングという家具+額縁屋さんで買ったもの、古いものをリメイクしてあります。


さて、足をつけ終わって母屋に運ぶと、急に大きく見え、見るからに邪魔そうです。しかし、どこかに収めなくてはなりません。


ものが多くてぐちゃぐちゃしている場所から、中にほとんど何も入ってない戸棚を引っ張り出しました。


そして鏡台を押し込みました。
下の引き出しには、1年に2度くる長男の歯ブラシや髭剃りを入れましたが、戸棚にはまだ何も入れていません。そこいらに転がっている木の実や貝殻を入れたらすっきりするのですが、それを入れている籠たちはどこに置くか、それも考えなくてはなりません。


この手の引き出しの取っ手、よく見る形なので、我が家にもあったはずと探してみましたが、ありませんでした。


あったのは、もっと新しい指を入れる取っ手や、鍛冶でつくった取っ手ばかりでした。


ちょっと大きすぎますがが、とりあえず収まってよかった。
あとは、ここに置いてあった大正か昭和初期の戸棚の置き場所を見つけるか、どなたかに差し上げてしまうかです。


ちなみに、『THAI STYLE』(LUCA I. TETTONI、WILLIAM WARREN著、ASIA BOOKS、1988年)には、もっと芸術的な鏡台が載っています。


私的には我が家の鏡台の素朴さの方が好きなので、全然羨ましくないのですが。






2 件のコメント:

  1. アートフレイミングがまだあるのかグーグルマップで検索したら、バンコクに額縁屋さんがいっぱいあることにびっくりしました。みんな国王の写真を飾るからでしょうか?
    アートフレイミングが健在かはよくわかりませんでした。

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  2. hiyocoさん
    額には王様の写真を入れるだけではなく、水牛の皮で切り絵したものなど入れて売っていましたね。昔風の絵を入れたり、刺繍布をを入れたり、持って行くとすぐ作ってくれるので超便利でした。額縁屋さんはバンコクにもプノンペンにもいっぱいあり、うまい下手もありましたが、アートフレーミングはいつも満足できる額をつくってくれました。とくに細い竹のフレームが好きでした。
    カンボジアの場合、畳1畳分くらいの大きなアンコールワットの油絵など、海外に定住した人やレストランなどが引きも切らずに買いに来ていたようですが(大家が絵屋だった)、額縁は帰国してからつくったのですかね? 大学の同級生の中に、ロスで額縁屋を企業して大成功した人がいます(笑)。

    アートフレーミングがあったのはスクムヴィット通りのsoi53(ソイとは枝道のこと、多くは行き止まりでしたが、53は別の通りに通じていました)、別名soiトンローで、40年前は郊外の寂れた通りだったのですが、今ではおしゃれな店の集まる場所の代名詞みたいになっていて、ソイ・トンローで検索したら東京にそんな名前のレストランまでありました。隔世の感があります。
    何もかも様変わりしているし、当時のようにたくさんの人は雇えないだろうし(隣接する工房では若い子がいっぱいいた)、ヴェトナム人の店主もいい年だったし、なくなっているのではないでしょうか。

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