久々のマトリョーシカです。
高さは19センチ、民族衣装を着て、花模様のエプロンをつけ、水玉模様のプラトーク(スカーフ)をかぶっています。
2番目の娘と3番目の娘のプラトークには水玉に加えて葉っぱのようなものが描かれています。
4番目から7番目までの娘たち。顔がそれぞれ違うので、別の職人さんの手によるものと思われます。
だいたいの産地のマトリョーシカは知っているつもりですが、どこのものか、見当がつきません。
ベルリン在住の、ビンテージ雑貨を扱っている方から手に入れたのですが、もとよりその方もご存じありません。
底にはシールが残っていますが、キリル文字は読めないし、破れているしで、年代もわかりません。
こんなときは道上さんにおたずねする以外ないと思い、もしかしてFacebookをやっていらしたかと思って、さがすとありました。
驚いたことに今年、道上さんはご病気になられて、長い入院や手術を繰り返していらっしゃいました。そして、今も入院なさっているようです。
脊柱管狭窄症というご病気ですごく痛いらしい。しかしその合間に、相変わらず精力的に見たこともないような1920年代のマトリョーシカなどを精力的に集めていらっしゃるのには、もっと驚きました。
道上さんのFacebookを遡って見ると、もう素晴らしいコレクションの山、見惚れてしまいましたが、水玉プラトークのマトリョーシカは出てきません。
調べていることも忘れて見入っていたら、2019年8月の投稿の中に、とうとう見つけました。
しかも、こんなにたくさん持っていらっしゃいます。しかし、文を読むと、
<生産地・・わかりません!> こんなに揃っているので生産工場(大工房)があるはずなのに、さてどこでしょう。 と書かれていました。 道上さんがわからないなら、私にわかるはずもありません。 ソビエトがマトリョーシカで外貨を稼いでいた時代、この国営のマトリョーシカ工場はどこにあったのでしょう? ちなみに、木地は素晴らしい出来栄えです。 マトリョーシカは上下を別の木でつくりますが、だいたいとても高いレベルのものです。きつくて開かないとか、ゆるゆるで上を持つと下が落ちてしまうのはほとんどないのですが、中でもこれはすごい、「ぱかっ」と音がして閉まります。 腕のいい職人さんが、大勢いらしたということなのでしょう。
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